劇場公開日 2013年6月15日

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嘆きのピエタ : インタビュー

2013年6月13日更新
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ベネチア制したキム・ギドクが描きたかった暴力と愛、オダギリジョーとのタイトル命名秘話語る

3年に渡る隠遁生活の中で生まれたドキュメンタリー「アリラン」(2011)で、完全復活を遂げた韓国の鬼才キム・ギドクによる久々の長編劇映画は、第69回ベネチア国際映画祭で韓国映画初の金獅子賞受賞という快挙をもたらした。孤独で冷徹な男による目を覆いたくなるような暴力と慈悲深い母の愛を息のむサスペンスタッチで描き、観客に衝撃の結末を突き付ける。来日したキム監督に話を聞いた。(取材・文・写真/編集部)

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天涯孤独のガンドは、資金繰りに苦しむ町工場の経営者から非道なやり方で取り立てる無慈悲な借金取りとして生きてきた。そこへ、ガンドを捨てた母だと名乗る謎の女が現れ、聖母の様な愛を注ぐ。初めて触れた母の愛に、ガンドは人間らしい感情を取り戻していくが、そこには衝撃の真実が隠されていた。

最初のスタートは、暴力とは何かを悟ってもらう映画にしたかったと話す。「この世の中には残酷な暴力がたくさん存在します。お金をめぐる個人対個人の暴力だったり、広い目で見ると、国家対国家のものもあります。暴力とは何か、暴力とはいけないものだと悟らない限りは、繰り返されてしまうと思うのです」。

これまでの作品でも暴力的なシーンは多いが、ドラマを見せるための感情の一つとして暴力を描くのであり、決して暴力は正当化されるべきではないと説明する。「暴力というのは、原因があって生まれてくると思うのです。ガンドにとって、それが何だったのかというと、母親に捨てられたという事実だったと思います。殴られたりということではありませんが、幼い子どもにとっては母親に捨てられることはひとつの暴力だと思うのです」

 「母親の愛情を感じたからこそ、ガンドは変わることができた」というように、母性愛を鋭く描いており、女性客からの評判も良いという。今作での母親像を描くにあたっては、自身の母親の姿も反映させた。「私が人生の中で出会った女性たちの姿や印象も取り入れています。この世のすべての女性は男性にとって母親だという言葉に強く共感していて、男性は女性から幸せを得たり、癒してもらったり、女性がいないと男は生きられないとさえ思っています」

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原題「ピエタ」は、十字架から降ろされたイエス・キリストを胸に抱く聖母マリアを指し、母の慈愛を象徴する言葉だ。当初は「悪魔」のような残忍な人物を表すようなタイトルを考えていたが、シナリオを書き進めながら変更を重ねた。「悲夢」でタッグを組んだオダギリジョーにも相談を持ちかけたと明かす。「『ピエタ』の前に途中でいくつか考えた中の一つが『夢精』です。オダギリさんには『夢精』のままで行った方がいいって、言われたんです。『夢精』にこだわったのは、ガンドのそのシーンと、未だに子どもであるということも表しますからね。でもエンディングを考えたら、慈悲という意味が込められたピエタの方がタイトルに合うと思ってこちらに決めました」

これまでカンヌ、ベネチア、ベルリンと三大映画祭で受賞経験があり、今回はベネチア最高賞という名誉を勝ち取ったキム監督にとって、映画賞や名声とはどんなものなのだろうか。「賞を嫌いだという人はいないと思います。そして、賞は自ら貰いに行かないと受け取れないものです。当然のことながら、何らかのコンテストに参加する以上は、期待をしてしまいます。賞が与えられることによって、次の道が開けますから。私はメジャー会社から出資してもらって安定した環境で作品を撮れるような監督ではありません。私の様な監督がたくさん映画を見てもらうためには賞が必要なものでもあります。もしかしたら日本でこのように公開していただけるのも、賞を獲ったことがひとつのきっかけになっているのではないかと思います」

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