ハンナ・アーレント
劇場公開日 2013年10月26日
解説
ドイツに生まれ、ナチス政権による迫害を逃れてアメリカへ亡命したユダヤ人の女性哲学者ハンナ・アーレントを描いた歴史ドラマ。1960年代初頭、ハンナ・アーレントは元ナチス高官アドルフ・アイヒマンの裁判の傍聴記事を執筆・発表するが、記事は大論争を巻き起こし、アーレントも激しいバッシングを受けてしまう。その顛末を通して絶対悪とは何か、考える力とは何かを問うとともに、アーレントの強い信念を描きだしていく。監督はフォルカー・シュレンドルフの妻としても知られるマルガレーテ・フォン・トロッタ。2012年・第25回東京国際映画祭コンペティション部門出品。
2012年製作/114分/G/ドイツ・ルクセンブルク・フランス合作
原題:Hannah Arendt
配給:セテラ・インターナショナル
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2022年5月1日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD
ハンナ・アーレントは、ドイツ系ユダヤ人で、女性の哲学者で、ナチス・ドイツの迫害により、フランス、アメリカへ亡命し、エルサレムで、アドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴し、「イエルサレムのアイヒマン-悪の陳腐さについての報告」を発表した人です。
日本では、人気のない裁判映画ですが、実話です。
事前に「スペシャリスト 自覚なき殺戮者」を鑑賞すると理解が深まります。
ストーリーは、ハンナ・アーレントの学生時代の思い出が挿入されるくらいで、時系列に進むので理解しやすいです。
ハンナ・アーレント以外の登場人物については、知っていることが前提であるかのようにストーリーが進みます。
ハンナ・アーレント以外の登場人物については、鑑賞後、調べない限り、わかりません。
ハンナ・アーレント以外の登場人物の立場を理解していないと、この映画も理解できません。
ハンナ・アーレントは、哲学者として、最後まで考え続け、「人間が思考ができなくなると、人間が残虐行為を行う」という悪の汎用性を指摘しました。
ハンナ・アーレントは、ドイツ人もユダヤ人も人種に関係なく、大罪を犯す悪を持っていると指摘したので、一般的には受け入れられましたが、ユダヤ人からは非難されました。
ユダヤ人達の空気は、ナチス・ドイツは絶対悪で、ユダヤ人とは全く違うということです。
アドルフ・アイヒマンは、ユダヤ人課で、ユダヤ人たちの亡命と引き換えにユダヤ人たちの全財産を没収する巨額のビジネスを立ち上げ、この延長線上にユダヤ人虐殺があるのではと思うので、有罪で、死刑は妥当だと言えます。
日本の若い人の保守化が指摘されることがありますが「上に逆らっても状況は変わらない」、「抵抗したところで、どうせ成功はしない」と仕方なく考えるように、教育されているのではないのでしょうか?
いじめられようが、パワハラを受けようが、セクハラを受けようが、炎上しようが、自分で思考し、意見の言える日本人はいるのでしょうか?
いじめて、パワハラして、セクハラをして、炎上する日本人に必要なのは哲学を学ぶことです。
ナチス・ドイツに迫害され、亡命を余儀なくされたハンナ・アーレントが、アドルフ・アイヒマンを客観的に見て、普遍的な結論を導き出せた理由は、ナチス・ドイツに迫害され、亡命を余儀なくさせられる前に、マルティン・ハイデッガーから哲学も、不倫関係になり愛することも学んだからだと感じました。
マルティン・ハイデッガーは、後にナチス・ドイツに入党しました。
ハンナ・アーレントは、ナチス・ドイツが全て悪魔という考えはないでしょう。
教育は、重要です。
自分は、思考を停止し、民族として、日本人を愛する気はないです。
自分は友人を選ぶので、思考を停止し、民族として、日本人を愛する人を友人には選びません。
自分は、思考することで、自分が強くなりたいです。
2021年10月23日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD
思考することの大切さ。それを棄てた者はもはや人間とは言えぬ。
でもそんな人いっぱいいますよね。上司や政治家、そして宗教指導者の言を鵜呑みにする権威に弱い人間。
気をつけよう…私は人間でいたい、そう思った。
ラストの8分間の演説は圧巻。だが、映画として面白かったかと言われれば、私にはクエスチョン。また見たいか?…???なのだ。夫とやたらチュッ💋するのもウザい(笑)
2021年9月14日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:VOD
ー アイヒマン逮捕にモサドが関わった経緯については、脚色はあるものの、「アイヒマンを追え」で描かれている。
今作は、その後裁判に掛けられたアイヒマンの姿を見、言葉を聴いたユダヤ人哲学者のハンナ・アーレントが深い”思考”をして、ある結論に至る過程と、それによりシオニズム思想を持つ同胞たちから糾弾されながらも、自分の哲学者としての態度を貫く過程を、描いた作品である。ー
◆感想
・アイヒマンがイスラエルで裁かれる裁判シーンで、当時の実際の映像を絶妙のタイミングで挿入することで、
”アイヒマンは、”思考”しない只の凡庸な小役人であった。”
と言う事を、観る側に対し、伝えようとする構成テクニックの妙。
機械の如く、アイヒマンの口から繰り出される
”私は、命令に従っただけだ・・。伝達者だ。”
というフレーズ。
ー 今では、アイヒマンは只の小役人であり、悪の凡庸さを持った許されざる人間だったという説も認められるようになってはきたが、当時はそうではなかった。ー
・ニューヨーカーの特派員として、現地で裁判を傍聴したハンナ・アーレントが
”この男は極限状態の中、思考しなかった”悪の凡庸さ”の象徴だ。”
”ガラスの中の凡庸な幽霊だ。”
と気付き、逡巡しながらも原稿に認めていく。
ー ハンナ・アーレントが、哲学者として見抜いた事を逡巡しながらも、そして自らがユダヤ人でありながら、解釈の仕方によっては亡き600万人のユダヤ系民俗を冒涜するリスクを分かった上で、自分の考えを貫いて行く姿。ー
・その記事がニューヨーカー誌に発表された途端に、長年のシオニズム思想を持つ友人達や、ユダヤ系の人々や、ナチの行為を糾弾する人々達からの、脅迫紛いの多数の手紙。
そして、大学からも辞職勧告を受ける、ハンナ・アーレント。
だが、それに対し、敢然と”私は辞めない!”と言い放ち、満員の聴衆が見守る中、彼女が凛とした態度で、自説を述べていく姿。
ー このシーンは、白眉である。
ハンナ・アーレントが、満員の聴衆に雄弁に語った
”思考しない凡庸な悪”
”思考することの大切さ”についての数々の言葉。ー
<一部の人間が憮然として席を立つ中、多くの若者達からハンナ・アーレントに贈られる万雷の拍手。
けれど、長年の友人からは厳しい言葉を受けてしまう。
ユダヤ人哲学者として、ハンナ・アーレントが悩みつつも、”どのような状況であれ、思考する事の大切さ”を貫く姿勢に敬意を抱いた作品。
言論の自由、思考の自由についても、考えさせられる作品である。>
記録
『顔のないヒトラーたち』
『アイヒマンショー』
など、ナチスやホロコースト関連の映画をたくさん見てから、もう一度観たいと思う。
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