伊達騒動 風雲六十二万石

劇場公開日:

解説

沙羅双樹の原作を「素晴らしき娘たち」の棚田吾郎と佐伯清が脚色、「東京べらんめえ娘」の佐伯清が監督した伊達騒動とその中心人物原田甲斐の半生を描く一篇。撮影は「大菩薩峠 完結篇(1959)」の三木滋人。

1959年製作/99分/日本
原題または英題:They call him a Conspirator
劇場公開日:1959年6月23日

ストーリー

徳川四代将軍家綱治下の寛文三年春、老中筆頭・酒井雅楽頭の屋敷で行われた伊達家の内紛公儀評定の席上、国家老・伊達安芸を倒し、自らも乱心者の汚名を受けて死んだ江戸詰総奉行・原田甲斐のこの悲劇は、すでに六年前、若い綱宗に家督が決った日から始まっていた。妾腹の子ゆえに十五歳まで正嫡として認められなかった綱宗は酒色に憂さを晴らし、吉原の花魁高尾太夫に執心の余り、彼女の情人・島田重三郎一味を傷つけたばかりか、なおも意に従わぬ高尾を殺した。折も折、綱宗放らつの噂に幕閣は千代田城外濠改修工事を伊達藩に申しつけた。江戸詰総奉行の甲斐は綱宗の行状に心をいためつつ、一方では改修の難工事に日夜苦労を重ねていたがついに綱宗隠居を決意、幼君・亀千代に替えることにした。が、これを実行すれば亀千代の後見役・本家直系の伊達兵部と甲斐が結託するものとして家中から邪推されることは明らか、しかし甲斐は決行した。高尾を斬り狂気にかられた綱宗は、さらに甲斐が故意に隠居を謀ったと思い重臣・白河主殿を刃にかけた。甲斐は、不忠者の罵言に耐えつつ綱宗を縛った。外濠工事は、藩祖公の遺した四万九千五百両の軍備金を費い果して完成したが窮迫した藩財政建直しのため藩士の俸給を一割けずることになった。家中の非難の声は甲斐に集った。国家老・伊達安芸は、藩の動揺を押え、伊達家中の内紛をつぶすため甲斐を倒そうと決意し、公儀に悪心二十七カ条の訴状を差出した。甲斐は二十七カ条のことごとく身に覚えはなかった。が、藩を救い、藩士とその家族を救うため、こうして酒井雅楽守の屋敷に自らを殺す決意を固めて向ったのであった。

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