忠臣蔵 暁の陣太鼓
劇場公開日:1958年12月21日
解説
中沢信・田辺朝巳の脚本を、「七人若衆大いに売り出す」の倉橋良介が監督した義士外伝ものがたり。撮影も「七人若衆大いに売り出す」の広田彰三。音楽は「弁天小僧」(大映)の斎藤一郎。「花は嘆かず(1958)」の森美樹、「妻恋道中」の瑳峨三智子に、関西歌舞伎から市川寿海・坂東簑助・中村富十郎・実川延二郎らが加わる。
1958年製作/97分/日本
原題または英題:Buttle Drum of dawn
配給:松竹
劇場公開日:1958年12月21日
ストーリー
中山安兵衛は江戸八丁堀の貧乏長屋に「けんか指南所」の看板を掲げた。異名を“のんだくれ安”という。男ぎらいで通る女髪結いのお勝が安兵衛に惚れた。--安兵衛の叔父・菅野六郎右衛門が剣客中津川祐範・村上兄弟らに斬られた。御前試合に勝ったのを恨まれたのである。知らせで安兵衛がかけつけたときはすでに遅かった。その場で、安兵衛は叔父の仇を討った。彼の人気が江戸中にたかまった。仇討のとき、浅野家の堀部弥兵街の娘・お妙が自分のシゴキを安兵衛に貸した。お勝の大敵が現れたというわけだ。さんざんもめた末「二本差しなぞ大きらいさ」お勝は身を引き、髪結いを廃業し、女侠客となった。名も三日月お勝と改め、江戸で名高い剣客俵星玄蕃の門をたたいた。元祿十四年、浅野家はお家断絶となった。吉良家では赤穂浪士の復讐をおそれ、剣客をしきりにやといいれた。玄蕃にも頼みこんできた。しかし、彼は断った。--いつまでたっても、仇討ちの気配はなかった。赤穂浪士は腰抜けとののしられるようになった。安兵衛は浪人して八百屋になっていた。お勝は彼と再会し、気が気でなかった。「安兵衛を信じてやれ」と玄蕃はいった。元祿十五年、十二月十四日、暁の陣太鼓が鳴り響いた。四十七士の討入り。引揚げの行列の中に、お勝はたしかに安兵衛の姿を見た。熱いものが胸元にこみ上げてきた。