赤ちゃん颱風
劇場公開日:1958年10月28日
解説
「がっちり若旦那」の光畑碩郎のオリジナル・シナリオを、「見事な求婚」の生駒千里が監督したホームコメディ。撮影は「野を駈ける少女」の森田俊保。「野を駈ける少女」の桑野みゆきに、轟夕起子・益田キートン・桂小金治・若水ヤエ子らが出演している。
1958年製作/55分/日本
原題または英題:Typhoon Baby
劇場公開日:1958年10月28日
ストーリー
フミは青森県から上京し、看護婦見習いで秋山病院に住込むことになった。汽車の中で、赤ん坊好きのフミがよその赤ん坊をあやしてやると、持主不明の赤ん坊なのである。遺失物取扱所では彼女を母親と思い、相手にしない。赤ん坊も不思議にフミになついた。交番へ届け出るのをあきらめ、赤ん坊を連れたまま、秋山病院へついた。そこでは幸江夫人が院長で、夫の周平は副院長なのである。フミは幸江の命令で交番へ赤ん坊を連れて行く。石川巡査の頼みで、フミは施設に送るまで幸江に内証で赤ん坊をあずかることにした。周平や、他の看護婦たちがそれに協力した。赤ん坊にポッポちゃんと名前をつけた。汽車の中で拾ったのだから。石川巡査が訪ねてきて、赤ん坊のことがバレた。持主がみつかったというので、フミは彼に同道した。人違いであった。帰途、たまたま通りがかった赤ちゃんコンクールに出ると、ポッポちゃんは一等になった。幸江は売名のためにこれを利用し、新聞に“捨子を育てる病院長”などと出た。雑誌やテレビから育児相談の口がかかった。秋山病院の門前に、がぜん、捨子が集中した。フミたちは喜んで育てた。が、幸江のインチキがバレてしまった。家婦連合会の指定病院の話をすすめていた、事務長格の相良と仲間割れし、家婦連に報告されてしまったのだ。テレビなどの口もみんな取消してきた。幸江は方針を変え、赤ん坊たちを収容所に引きとってもらえとフミに命じた。フミは拒み、出て行けと言われる。看護婦たちは団結し、周平もフミをかばった。冷戦の開始である。ポッポちゃんが急病になり、専門外の周平には自信がなかった。フミの頼みで、幸江はやっと診察してくれた。ポッポちゃんは治り、コンクールの写真を見た家族が引取りにきた。幸江は残りの赤ん坊たちのために本格的な育児施設を始めることにした、--お金もうけのためでなく。フミは改めて育児係ということになったのだ。