一心太助 江戸っ子祭り

劇場公開日:

解説

「日本侠客伝 白刃の盃」の中島貞夫の同名原作(『平凡』連載)を、自身と、「任侠柔一代」の金子武郎が共同で脚色し、「兄弟仁義 関東三兄弟」の山下耕作が監督した歌謡時代劇。撮影は「お尋ね者七人」の鈴木重平。

1967年製作/87分/日本
原題または英題:Our Chivalrous Fish-peddler
配給:東映
劇場公開日:1967年4月20日

ストーリー

威勢のいい魚屋の太助は義侠心にも富んでいて、自分の縄張を荒す同業の金太の面倒もよくみていた。それというのも、金太はスリから更生しようと魚屋になったからである。ある日、旗本大久保彦左衛門の屋敷に商売にいった太助は、将軍家光から賜った皿を割ったことで腰元のお仲が手討ちにされそうになるのを見て、皿より人の命が大切、と彦左衛門を説得した。それ以来、彦左と太助は歳と身分を超えた友情に結ばれたのである。その頃、魚河岸を取締る松前屋に代って、新興勢力の相模屋がのさばり、魚河岸からは何かともめごとが絶えなかった。相模屋は勘定奉行の川勝丹波守と組んで魚河岸の問屋株を買い占めて総て自分の勢力下に置こうとしていたのだった。それを聞いた彦左は丹波守に忠告したが、逆に家光から魚屋風情に味方するなと言われ弱り切ってしまった。そうなると魚河岸はますます相模屋の思うままに牛耳られ、しじみ売りの少年からピンハネするなど、彼らの悪辣さは目にあまるものがあった。一方、彦左は何ら手を出せないまま病床に伏し、間もなく、他界してしまった。太助は口惜しがったが、ふて腐れてやけ酒をあおる日もあってお仲を心配させた。家光も彦左が亡くなった後、丹波守と相模屋の悪事を知らされたが、何の証拠もなく手をこまぬくばかりだった。そんなある日、太助はお仲に忠告され、相模屋の悪事の証拠を握って、彼ら一味を倒そうと決心した。仲間も太助の許に集り、それぞれ情報を集めあった。そして、丹波守の私邸で相模屋がワイロを渡す現場に踏み込んだ太助たちは悪人逮捕の一番手柄を立てたのである。彦左の墓前で家光から褒美を頂いた太助は、翌朝、威勢のいい売り声を江戸の町町に響かせていた。

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