白鳥(1966)

劇場公開日:1966年10月29日

解説

「沈丁花」の松山善三が自身の原作を脚色し、「絶唱(1975)」の西河克己が監督した純愛もの。撮影はコンビの高村倉太郎。

1966年製作/79分/日本
配給:日活
劇場公開日:1966年10月29日

あらすじ

麗子は大学を卒業したら昭一と結婚することに決まっていたが、叔父の古本屋で洋書を万引きした近藤を知ってから、その決心も動揺し始めた。近藤は運送会社に働く貧しい青年で、しかも、不治の病いに床に就いている妹千津を抱えている。医者の話では千津の命はあと半年と言われて近藤は、人殺しでも、強盗でも、千津が助かるなら何でもやる、と麗子に語る。今まで苦労なしに育った彼女は、この兄妹を知ってから変った。昭一はそんな麗子が心変りしたのではないかとなじったが、麗子は黙っていた。そして、昭一は麗子に愛の証しを求めたが、近藤に惹かれつつある麗子は拒んだ。二人の男を愛する女、麗子は万葉集の中に自分と同じ愛の苦悩から自殺した女の歌を知って、考え込んだ。そして、父の孝一郎に昭一との婚約を取り消して欲しいと言う。だが孝一郎はそれはふしだらな女のすることだと怒り、その上、麗子は実は、死んだ母が叔父との間に生れた子供であることを口にしてしまった。麗子は茫然とした。自分は祝福されて誕生した人間ではなかったのだ、不義密通によって生れたのだ、彼女は絶望した。家を飛び出した麗子は、その足で叔父研二のいる「古径堂」へ行った。そして、研二に向うと、何故、母を愛していたのに結婚しなかったのか、と責めた。研二は無言だった。麗子は「古径堂」を出ると、夜の闇を歩いた。研二が実の父であるというショックと、何故二人の男を愛することが出来ないのかという思いが、麗子の心を乱した。死んだ方がいいのだ、万葉集の中の女のように……そんな考えが、浮んできた。気がつくと、昭一の家の前だった。昭一の部屋に入ると、麗子は彼の前に身を投げ出して言った。「あげるわ……何もかも……」翌朝、麗子はある決意を秘めて近藤の家へ行った。その日千津が死んだと言う近藤と、ささやかな祭壇の前で、麗子は涙にくれた。そして、二人の間に燃え上った愛の火が二人を包んだ。麗子はたくましい近藤の胸に飛び込んでいった……。そしてあくる朝の未明の海、月光に美しく輝くその中に、麗子は静かに入っていった。

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スタッフ・キャスト

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映画レビュー

3.5 昔から今も美しい吉永小百合さん

2026年4月11日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

悲しい

カワイイ

吉永小百合さんがやはり美しくて、最後まで観てしまいました。
(配信で色々観ても、冒頭15分位まで観て、ガマンができないと続きを観なくなりました。
映画ファンなのに、生意気で贅沢です。)

吉永小百合さんが昭和40年代の、
少女マンガあるあるの主人公なのですが、
終盤はなかなか凄い。
2人の男性を愛してしまい、
『私のなかには墨汁のような血が流れている』
なんて純情なことを言いながら、
関口宏さんと結ばれたあと、今度は渡哲也さんとも結ばれる。
(おいおい数時間のうちに殿方2人と契りを結ぶのかい?
無鉄砲というか、もうイッちゃってる?)
関口宏さんとの交わりは(夜のなかの光)なのに
渡哲也さんとの交わりは海の終わりない波、
なんですね。
(そういえば桜田淳子さんのアイドル主演映画『若い人』でのロストヴァージンの描写も海の大きくザワザワする波、
でした。思い出した。)

古臭い、といえばそれまでで、
昭和30年後半40年前半の社会性なんて、こうだった、
と言えばそれまで。

吉永小百合さんが渡哲也さんといると、観客である僕は
どうしてか心が騒ぐんですね。
関口宏さんと居ても、なんでもないのに。

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なかじwithみゆ