高原に列車が走った

劇場公開日

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解説

軽井沢の高校に赴任してきた音楽担当の若い女性教師が、高校の非行グループに接していくうち、過疎ダイヤの悪影響を知って列車増発運動に打ち込んでいく姿を描く。中沢憲一の同名小説の映画化で、脚本は本田英郎、監督は脚本も執筆している「どろ犬」の佐伯孚治、撮影は林七郎がそれぞれ担当。

1984年製作/103分/日本
配給:東映セントラルフィルム

ストーリー

軽井沢の朝間高校に、宗形順子が音楽教師として赴任してきた。全校生徒を前に挨拶に立った彼女の第一声は、「やるってきめたら、やるっきゃないね!」。生徒達は順子をヤング・ギャルと見くびっていたが、彼女は事あるたびにキョーレツな機知と意表をついた言動でやり返し、次第に人気を集めていった。順子の先生仲間の杉村は同僚の真理と、列車増発運動に励んでいた。信越本線の軽井沢←→小諸間には、普通列車が一日わずか七本というダイヤで、地域の人々や通学の高校生の不便となっているのだ。例えば、一本乗り遅れると二時間以上も待たねばならず、その空白の時間が生徒の非行を生んでいた。順子は「だったら列車を増やせばいい」と言うが、列車増発には国鉄の姿勢、たとえば赤字線のカットや減量経営、労組の問題など多くの障害がある。杉村は長野高教組北佐久支部の定期大会で増発運動を提案し、そこで大島書記長のバックアップを得て以来、奔走していた。非行が売春にまで進んでいると知った順子は、運動に乗り出し、駅頭でビラまきとアジテーションをはじめた。増発運動は他校にも働きかけられ、軽井沢駅員であり組合の書記長・原口の協力を得て色めきたった。ある日、順子はツッパリグループのナツ子が妊娠していることをゴロから打明けられた。ナツ子は子供を生む決心をし、ゴロと二人で新生活をめざし東京へ発っていった。十二月、運動は進展し、御代田の商工会々長・湯川の大きな協力を得、また、彼の要請で小諸商工会の唐津会長も動いてくれることになった。順子のもとにナツ子流産の知らせが届く。順子は悲しみのあまり、一人山に登って泣き叫んだ。翌年正月、ナツ子からの手紙の中に、運動へのカンパ金が入っていた。力の湧いてきた順子はカンパ集めに奔走した。一月三十一日。軽井沢・御代田・小諸の住民を中心に、増発要求の大集会が開かれた。三月二日。国鉄本社での交渉で、労働条件については一切文句を言わない、と力説する原口の語気が功を奏し、翌五十七年六月、新ダイヤが発表された。上下普通列車の六本増発である。十一月十七日。軽井沢駅前広場で祝賀パレード。軽井沢発十六時十五分の増発列車が出発した。順子が乗る400ccバイクが列車と併走した。

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