不思議なヴィクトル氏

解説

「舞踏会の手帖」のレイミュが主演する映画。「不良青年」の製作者ラウール・プロカンが製作、かつて「父帰らず」「燈台守」を作り、最近第一線に躍進して来たジャン・グレミヨンが監督に当たったものでルネ・クレールの助監督だったアルベール・ヴァランタンが書卸したストーリーに基づき「我等の仲間」「女だけの都」のシャルル・スパークが脚本を書き台詞を執筆したものである。レイミュを助けて「美しき青春」「母の手」のマドレーヌ・ルノー、「舞踏会の手帖」「罪と罰(1935)」のピエール・ブランシャール、「我等の仲間」「タムタム姫」のヴィヴィアーヌ・ロマンスが共演するほか、「我等の仲間」「罪と罰(1935)」のマルセル・ジェニア、我が国には新顔のアンドレックス及びエドゥアール・デルモン、「姿なき殺人」のジョルジュ・フラマン等が助演している。音楽はラオル・プロクインが、撮影はウェルナー・クリーン、装置はオット・フンテ及びシラーが、担当している。

1938年製作/フランス
原題または英題:L'Etrange Monsieur Victor

ストーリー

南フランスの軍港ツーロンの町にある何んでも屋「港百貨店」の主人ヴィクトル氏は、町の人々に尊敬され親しまれている善良な市民であり、家庭にあっても良き夫であった。特に今日は妻のマドレーヌが長年待っていた赤ちゃんを生む。ヴィクトル氏は有頂天ではしゃぎ廻っていたが、実はこの町の人気者は、一皮むくと思いもよらぬ悪党の二重人格者だった。今日も教会が襲撃されて番人は殺され、貴重な宝物が盗まれたというニュースが町の人々を驚かせたが、間もなくヴィクトル氏の店へ商人と名乗った三人の男が訪れた。ヴィクトル氏は蔵の中で彼等から、教会の什物を安く買いとった。これが彼の裏面の正体なのである。三人の中の一人はアメデと称する男で、彼は靴屋の浮気な女房アドリエンヌにつきまとって、亭主のバスティアンと口論をした。夜になるとアメデはヴィクトルを誘い出して、纏った金を貸せと脅迫した。争っているうちにヴィクトルは持っていた靴製造用の錐で相手を刺した。貧乏な靴屋の子供が、錐を玩具に遊んでいるのを見たヴィクトルが可哀相に思って立派な玩具とかえてやったのである。アメデの屍体の側にあった錐のため、バスティアンは殺人犯として刑務所に収容された。そして七年の歳月が流れた。その間にバスティアンの受け取った唯一の便りは、妻の請求した離婚が許可になった証書だけだった。アドリエンヌはアメデの仲間だったロベールと結婚したのである。我子を一目見たさにバスティアンは脱獄して遥々とツーロンへ辿りついた。雨の夜にパッタリ出会ったのはヴィクトル氏である。彼は顔を知らないマドレーヌには外国人部隊を脱走した友人だと偽って、バスティアンを家にかくまった。訳を知らないバスティアンは、ただ夫婦の親切に感謝するのみである。ヴィクトルの計らいで我が子の姿も垣間見ることができた。しかし彼は何時しかマドレーヌに深い愛着が湧いて来るのを、どうしても制しえなかった。ロベールはバスティアンに懸けられた賞金欲しさにヴィクトルを訪れて脅迫したが、彼は平然として真実を語り、自分が捕らえられればお前も共犯になると逆に相手を脅した。その時警官が邸内に入って来た。マドレーヌに言い寄った事を恩人に対して申し訳なく感じたバスティアンは、自ら警官の前に進み出て逮捕されたが、それを見ていたロベールはさすがに無実の人が捕縛されるのを見るに忍びず、大声を挙げて真犯人はここに居ると叫んだ。ヴィクトルは力一杯彼の首をしめたが、も早及ばなった。善良な市民、善良な夫であるヴィクトル氏は、かくて殺人犯として拘かれて行った。

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スタッフ・キャスト

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映画レビュー

3.5フランスの波止場町を舞台にとる、善悪のあわいの曖昧な「不思議」テイストのノワール。

2022年12月26日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

シネマヴェーラの「ヌーヴェル・ヴァーグ前夜」にて視聴。
アメリカン・ノワールのプロットを、ルネ・クレールのようなフランスの流儀で撮ったという感じの、ちょっと不思議な犯罪ものだった。

冒頭から、美しいモノクロームの画面にくぎ付けになる。
うっすらと朝靄のかかる港町トゥーロン。陽光指す表通りと、陰影の濃い路地裏の対比。
活気に満ちた街の点景を、次々と念入りに映し出してゆくカメラワークを観て、ああこの感覚はいかにもヨーロッパ映画だなあ、と独りごちる。

その流れで、靴の修理屋とその家族、洒落ものの三下ギャング三人組、何でも屋を営むヴィクトル氏と、主要なキャストが順次紹介されてゆく。
主人公のヴィクトル氏は、ようやく子宝に恵まれたばかりの好人物で、街の誰からも愛される名士のひとり。だが、彼には家族すら知らない裏の顔があった。
彼は、街の犯罪者たちを牛耳る、故買屋の親玉でもあるのだ。

この設定自体は決して「不思議」なものではないし、むしろよくあるような話だ(日本の時代劇でも、さんざんそういった大店の店主は出てくる)。
ただ、この話の展開や、キャラクターの行動には、たしかにちょっと「不思議」なところがある。
通り一遍の犯罪譚を語っているようでいて、どこか「ズレている」というか、「思ったように話が進まない」というか。この微妙な違和感こそが、本作の「味」であり、タイトルに冠された「不思議な」という語感の由来なのだろう。

ヴィクトル氏の「二面性」ももちろんそうなのだが、他にも、癇性で偏屈の靴職人とか、亭主が逮捕されたのでギャングの玉の輿を狙う夫人とか、そのギャングの色に染まってろくでなしに育つ息子とか、本作の登場人物には、善悪のあわいが曖昧なキャラが多い。
しかも、作り手のほうは、彼らをあえて「善」と「悪」とに分けていない。
当然、人間は相手によって見せるペルソナを変えるし、善いこともすれば悪いこともする。
その両面を等しく描くから、観客は出てくるキャラに共感していいのか、嫌悪すればいいのか、よくわからなくなる。この仕組まれた不安定さ、不穏当さこそが、「不思議さ」の淵源だ。

しかも、「このあとどうなるのかな?」と思ったら「7年後」とか(笑)、ラストでの素っ頓狂なモーリスのっ言動とか(すげえびっくりした)、全体的に観ればかなり緻密に組み上げられた物語なのに、そこかしこの展開に突拍子のない部分があって、いわゆる「破調」が多い。
この、なんとなく「つかめない」感じが、わざとなのか天然なのかも、うまく「つかめない」。
これこそが、ジャン・グレミヨン監督の持ち味、ということか。

ヴィクトル氏役のレイミュは至芸。
あと、刑務所の群衆描写や、波止場でのペタンクのシーンなど、本筋ではない描写の活気と美観に心動かされた。クセは強いが、見ごたえのある映画だったと思う。

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じゃい