別れの曲

解説

楽聖フレデリック・ショパンの伝記に取材して「春のパレード」を脚色したハンガリーの劇作家エルンスト・マリシュカが脚色し、「モナ・リザの失踪」「春のパレード」のゲザ・フォン・ボルヴァリーが監督に当った映画である。撮影は「ワルツの夢」「少年探偵団」のウェルナー・ブランデスが担当し、台詞は「吼えろ!ヴォルガ」のジャック・ナタンソンが書き、ルネ・クレールの助監督として「最後の億万長者」「パリ祭」に協力したアルベール・ヴァランタンが総指揮に任じた。なおショパンの音楽を編曲に当ったのは伯林国立歌劇場の指揮者アロイス・メリハルである。ショパンには「姿なき殺人」出演の新進ジャン・セルヴェが扮し、助演者はいずれも舞台と映画とに出演している人々、ジャニーヌ・クリスパン、ダニエル・ルクルトワ、リュシエンヌ・ルマルシャン、マルセル・ヴァレ等の腕利きを始め「にんじん」のカトリーヌ・フォントネー、古くから知られているエルナ・モレナ、その他の面々である。

1934年製作/87分/フランス
原題または英題:La Chanson de I'Adieu

ストーリー

一八三〇年の春、ポーランドの青年達の間にはロシアに反抗し祖国の独立運動が密かに劃策されていた。終日をピアノに向って精進するフレデリック・ショパンの胸にも祖国愛は火と燃えて、時到らば白い手に剣を取る決心も固められていた。ショパンの音楽教師エルスナーはショパンの芸術のためにこれを憂え何とかして彼をパリへ送ろうと考え、ショパンの愛人コンスタンティアを訪れて自分の考えを打明けて力を貸してくれる様たのんだ。危険な故郷に置いて彼の天才を若く散らせるより当時の文豪、詩人音楽家が集まっている芸術の都パリへ行ったらショパンは必ず成功するにちがいない。ショパンが成功したらエルスナーは必ずコンスタンティアをパリへ連れて行くと約束した。かくてショパンが故郷を離れる日、コンスタンティアは涙でこれを見送った。パリへ出たショパンはエルスナーの懸命な骨折でやっと小さな音楽会を開く事が出来た。当時パリ一流のピアノ店を持っていたピアニスト、プレエルが開いてくれたのだった。その当夜ポーランドの独立運動はのろしを上げた。その号外を見たパリの名士は同情の心から無名ポーランド青年ショパンの演奏会に出席した。ショパンは重い心を抱いてピアノに向ってミニュエットを奏しはじめた。しかし故国の戦いを聞いた彼は一向に興が乗らない。彼の求めるのはもっと烈しい強い曲なのだ。ショパンは遂に彼の情熱をピアノに打ちまけた。血みどろの戦いのエチュードが場内に拡がる、場内は青ざめた、こんなむき出しな情熱を今までパリの人は聞いた事がなかったのだ。演奏が終わった時ある者は烈しく拍手し、ある者は呆然と顔を見合せた。主催者のプレエルは憤然と席を立った。しかしジョルジュ・サンドはショパンの天才を知り当時名声の高いフランツ・リストに彼の後援を頼んだ。オルレアン侯爵婦人邸に於てリストの演奏会が催された夜、ショパンも招かれて出席した。演奏が始まる頃になると何故か豪華なサロンの燭灯は一つずつ運び去られた。薄暗の中に美しい音楽が流れ出した。こんなに美しくピアノを奏でられる人はパリにリスト一人しかない筈だ。しかしその時サンドがかかげた灯にほのかに浮び上ったのはピアノに向ったショパンとその側に立って静かに聴き入っているリストの姿だった。今こそパリはショパンを認めた。リストの友情とサンドの情熱とに育てられてショパンの芸術は今さん然と輝き出したのだ。ショパンの成功を知ってパリへ出て来たコンスタンティアは彼がジョルジュ・サンドと恋仲であるのを知り、淋しく彼をあきらめて故郷へ帰った。

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