道(1954)のレビュー・感想・評価
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見終えて道というタイトルが素晴らしい
白黒映画が余計に物語りの悲哀を掻き立てる。無情と愛情の交錯。そこにオブラートに包んだものはなくどちらも素でぶつかり合うというか・・・そしてどちらもが折り合うことなく別れは容赦なく訪れる。このためらいのなさが、昔の映画だからなのかはよく分からないがシンプルなのにとても心に残った、シェルソミーナのラッパのメロディーと共に
人生は道であり、心は波であり
フェリーニの代表作と言われるだけのことはあります。 観ながら、決して美しいわけではないジェルソミーナが、どんどん愛おしく感じてくるのに驚きました。 孤独感と後悔が波のように押し寄せるラストは、映画館だと滲みますね。 「生誕100年フェデリコ・フェリーニ映画祭」で、初めてスクリーン鑑賞できましたが、テレビモニターとは比べ物にならないくらい没入できました。
後悔と孤独の極み
アンソニークイン扮する旅芸人ザンパノは、ジュリエッタマリーナ扮する頭の弱いジェルソミーナを奴隷として雇って旅に出た。しかし、ザンパノは置いてきぼりにするなどジェルソミーナにつらく当たった。ジェルソミーナは、ひとり故郷に帰ると言ってザンパノから別れた。それでもジェルソミーナはザンパノの元へ戻った。乱暴者のザンパノは、けんかの末人を殺め逃げ出した。ジェルソミーナは、現場を見て錯乱し泣いていた。ジェルソミーナが眠り込んだうちにザンパノはジェルソミーナを置いたまま出発していった。ある日、ザンパノは町でジェルソミーナが口ずさんでいた歌を聞いて思わず声をかけた。ジェルソミーナは何も語らず亡くなったそうだ。何とも不思議なふたりの旅だったが、テーマ曲の節回しが妙に残ったね。
文句なしの名作である
西條八十作詞、古賀政男作曲の「サーカスの唄」という歌がある。1933年の発表だから本作品を遡ること21年である。 (一番) 旅のつばくろ淋しかないか 俺も淋しいサーカス暮らし とんぼがえりで今年の暮れて 知らぬ他国の花を見た (四番) 朝は朝霧夕べは夜霧 泣いちゃいけないクラリオネット 流れ流れる浮藻の花は 今日も咲きましょあの町で 西條八十(さいじょうやそ)は「東京行進曲」などで知られる、センチメンタルな詩人である。市井の人々の物悲しい人生をときに明るくときに暗く謡いあげる。本作品にも西條の詞のセンチメンタリズムと通じるところがある。 冒頭のシーンから心を敲たれた。娘を大道芸人のザンパノに売った母親が得た当の娘に金を見せて、これでしばらく暮らせるしあんたがいなくなれば口減らしにもなると嬉しそうに話すが、いざ娘が行ってしまう段になると行かないでおくれと縋りつこうとする。この母親が身勝手なのではない。貧乏すぎて心が壊れているのだ。 売られたジェルソミーナはドストエフスキーの「白痴」のムイシュキン公爵よろしく、従順で欲がない。おまけに少食で、贅沢よりも歌ったり踊ったりが好きな女だ。昔は欲のない人間は馬鹿だと思われていたようだ。日本でも「欲がないのは駄目なことだ」という教育が罷り通っていた。いまだにそうやって教えている教師もいる。欲は文明を発達させ、生活の向上に寄与した、欲がない人間は努力しない人間になり、文明と人類の発展から取り残されるのだと。しかしそこには文明が発展することが本当にいいことなのかという反省はない。 ザンパノは欲の塊である。しかし他人に指図されるのを嫌うから独立した大道芸人で生きている。行きたいところに行き、やりたいことをやって生きる。ジェルソミーナを買ったのは盛り上げ役のピエロがいたほうが稼げるからだ。ザンパノの頭には今日と明日のことはあるが、それ以降のことはない。将来がどうなるかなんて考えても意味がない。 ジェルソミーナはザンパノと対照的に善意の塊で、欲があるとすれば承認欲求だけである。残忍で粗暴なザンパノにさえも認めてもらいたいと願う。それはストックホルム症候群かもしれないが、ストックホルムの銀行強盗事件が起きたのはこの映画よりも19年も後のことだ。人が喜ぶことをしたいジェルソミーナは、同じ意味で人が嫌がることをしたくない。本質的にはザンパノのことが嫌いだ。 人は時間と空間を移動し、出会い、別れる。ささやかな喜びがあり、少しの寂寥がある。人間は愚かだ。人生はつらい。本作品の結末は物悲しいが、世界中の至る所で同じような人々が同じような結末を迎えているだろう。 死にたかったジェルソミーナは死にたいと思わなくなった。それでも何のために生まれてきたのかという疑問は残る。人類すべてに共通する疑問である。他人の死を悲しむことは自分の死を悲しむことだ。死にたい人も死にたくない人も、いずれ死ぬ。自分の死を肯定するためには他人の死を肯定するしかない。 本作品には生も死も善も悪も、すべてひっくるめて肯定するような力強さがある。ときに人混みと熱気に高揚し、ときに寒さと寂しさに顫える。人はそうやって人生をやり過ごすのだ。意味を求めてはいけない。道があれば歩くだけなのだ。文句なしの名作である。
彼氏に好きな映画と言われたくない
いや、良い映画で少女の純粋さとか切なさとか今見たらまた違うかもしれないけど、男性の理想なん?と思うと都合良すぎじゃないの?とジレンマ。 ま、若かったからか。 今見てみたい
新年あけおめです。今年もいい作品をたくさん見たい。名作の呼び声高い...
新年あけおめです。今年もいい作品をたくさん見たい。名作の呼び声高い本作からスタート。 粗野な主人公ザンパノと子供かおばちゃんかわからぬジェルソミーナの生活譚。たいして面白く感じた訳ではないが、なぜか見入ってしまう。名作ゆえか。 私はてっきりまたジェルソミーナの妹のひとりが買われ、繰り返されていくのを想像させるラストかと思った。違った。まだまだ見る目がなさそうだ。今年も修行々々。
メロディが残ります。
久しぶりに見ました。 最後に見たのは数十年前だったので。 何もかもが辛い映画です。 マット、って名前でしたっけ、彼の存在感大きかったですね。 それからザンパノ、ラストで空を見上げてましたね。 どうぞその目に星が映ってますように。
うーん。結末を知っていたからかな。 どうも感情移入的なものが出来な...
うーん。結末を知っていたからかな。 どうも感情移入的なものが出来なかった。自分との接点が無さすぎる?時代背景が違いすぎる?万人受けするような作品じゃあないのかな。女は男に寄り添うのが普通、みたいな完全なる亭主関白とそれを望むような妻の姿がどうも、ねえ…。肌に合わないんですかねえ。
小石
ザンパノもマットもジェルソミーナもいわゆる底辺で生きる人間です。自尊心を持つきっかけもないまま、ゆっくり考えて生きる暇もないまま時間が過ぎた様に見えます。ただ、彼らは自分には価値がないと何となくですが分かっています。だからこそフェリーニはそんな彼ら(観客)を小石に例えて勇気づけます。何の役に立っているか小石には分からないかもしれないけれど、小石にも価値があるのだと。
名作中の名作
ジェルソミーナは元々は白痴ではないと思う 多分13か14才位の中学生程度の設定ではないか 確かに頭の回転は良く無い方だけども だからあの程度の知恵なのだと思う ザンパノにすぐ女にされて、恥じらいながらも性に目覚めて喜ぶさま ザンパノに愛想がつきたと逃げ出しながら、連れ戻しにきたザンパノを見たときのぶたれながらも嬉しそうにしたがう、なんという名演技!名演出! 白痴となるのはザンパノが殺人を犯してからのこと 彼女の幼い小さな精神のキャパでは 整合できず神経の衰弱していく様の演技もものすごい! これが終盤の海沿いの村で、村人が何とか世話を施そうとしたのに、本人が生きる意欲を無くして衰弱死していったさまがハッキリとザンパノと観客に伝わるように活きている ザンパノがそのはなしを聞いてからアイスクリームを買い食いするシーン あれを撮るフェリーニ監督は神がかってる あれがなければ渚で泣くシーンが活きてこない ザンパノもまた彼女をむげにしているようで実は女房として扱っている それを各シーンで滲み出すようにわからせる演出、それに応えた演技 補強する脇役のセリフ あいつは吠えることしかできない 本当に凄い映画だと思う
正直フェデリコ・フェリーニはあまり好きではなかったのですが、友人に...
正直フェデリコ・フェリーニはあまり好きではなかったのですが、友人に勧められて観て、本当にいい映画だと思いました。 主人公の2人の境遇と生き様に感情を振り回され、見終わった時にまるで長い人生を過ごしたような感覚になりました。 小説を読んだような、人生のヒダを感じる事の出来る深い作品です。
共依存。
旅芸人の男に、金銭と引き換えに人身御供に出された長女。 男は好色で癇癪持ち、女は世間知らずで学もなく。ドサ廻り、その日暮らしの中、彼女の得たものは…。 貧しさ、金銭的にもだけど、教育面、人間関係、社会のインフラやセーフティネットから零れ落ちてしまうとはどういうことか?、を思う。 居場所がないと心許ないのが人間、でも、居場所があればそれでいいのか、とも思う。
感慨深い哀愁漂う映画
失って気づく。何気ない日常こそが幸せだった。 そんな作品。 あそこであの男と出会わなければあそこでああしていれば・・・! ザンパノの馬鹿!と言いたい。 見た後は虚脱感と喪失感がすごかったです。 名作といわれるだけあります。
ジェルソミーナと何度も呼ぶのに
正直、あんまり好きではない。 理由は推して知るべし。 だから、星が全部はつけられない。 でも、見入ってしまい、ストーリーに引きこまれてしまう感じは超一流。 辛いと思いながらも見続けてしまう。 イタリア映画の悪しき伝統であり、1番の魅力であるから日常に潜みじわじわ迫る悲劇は、ストーリーに欠かせない。 誰のせいでもありゃしない、という言葉もチラチラ浮かぶ。 それはそれとしてザンパノは、ルックスが超好み。私は騙されてもよい。
とっても悲しい
午前10時の映画祭で見ました。 轟音と大迫力の現代映画に飼いならされた人間からすると、前半はちょっと薄味過ぎて物足りない気もしましたが、終盤に向かうに従ってどんどん引き込まれてしまいました。 特に音楽の使い方が上手かった。最初聞いたときは何でもなかった音楽が、劇中で巧みに物語性を与えられていくので、終盤近くで聞いた時には何とも言えない悲哀を帯びていました。 音楽に限らず、映画終盤になればなるほど面白くなる映画だと思います!
不思議な世界を観終えて、込み上げてくるのは悲しみ以上の何か。
観終わったあと何とも不思議な感覚に襲われる。 これこそがフェリーニの世界か。 貧しい旅芸人は何度も何度も同じ芸ばかりを繰り返し成功しそうな影すら見当たら無い。 また、イタリアの街並みも華やかな地は一切登場しない。 フェリーニは、そんなリアリズムで充ちているイタリアに世間知らずで頭の弱い女を登場させる。 そこに不思議な化学反応が起こりこの名作は生まれた。 閉塞的で希望の無い"世界"と天真爛漫で希望に満ちた女が出会い向かった先は悲しみだったが、そこにあるのはただの悲しみだけでは無い。砂浜で泣き崩れるザンパノのように、観終えた私達の心にも悲しみ以上の感情が込み上げてくる。
粗野で哀しい浮草暮らし
刹那的で粗野な哀しい生き様に圧倒されました。 ここのところ天才・オタクと、現代的な頭でっかち系の作品を観てたので、なんというか、凄く斬新でした。 フェデリコ・フェリーニ監督の1954年の名作、粗野な大道芸人のザンパノと少し頭の弱い娘ジェルソミーナの物語です。 どうしようもないザンパノとの生活の中、ジェルソミーナが明るく、時には幸せそうにすら見え可愛く、哀しいです。 フィギアスケートでも使われた有名なテーマ曲が、明るく哀しく心に染み込みます。 ラストでザンパノに気持ちが持っていかれ、ついもう1回観直してしまいました。
自分の人生=道 を考えさせられる
ぎこちなくも何とか旅生活をしている2人の生き様が離れる瞬間が切ない。 その後の2人の末路も。 主役の女優のとても輝いている笑顔が印象的だった。 人生という道はいきなり車線変更もできないし、ワープするわけでもない。 日々の積み重ねの道筋が人生になる。 当たり前だけど、そんなことを思いながら鑑賞しました。
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