愛の讃歌(1974)
解説
大道芸人の子としてパリの舗道に生まれた歌手エディット・ピアフの、世に出るまでの不遇な青春時代を描く。製作は「キャバレー」のサイ・フュエとE・H・マルタン、監督は「パリは気まぐれ」のギイ・カザリル、ピアフの実妹シモーヌ・ベルトーの原作をカザリルとフランソワーズ・フェルレーが共同で脚本化、撮影はエドモン・セシャン、音楽監修はラルフ・バーンズが各々担当。出演はこれが映画デビュー作のブリジット・アリエル、パスカル・クリストフ、ギイ・トレジャン、ピエール・ヴェルニエ、ジャック・デュビー、アヌーク・フェルジャック、シルヴィー・ジョリー、イヴァン・バルコ、ミシェル・ベディティ、フランソワーズ・ディレックなど。
1974年製作/フランス
原題または英題:Piaf
ストーリー
第一次大戦さ中の一九一五年十二月十九日。パリの舗道にひとつの生命が生み落とされた。父は大道芸人のルイ・ガルシオ、母はリーナといった。生まれた子はエディット(B・アリエル)と名付けられた。やがて彼女は淫蕩な母親に捨てられ、淫売宿に預けられたが、戦場から帰った父のルイが引きとり、その影響もあって道端で歌うようになった。大人顔負けの音量を持った少女は、裏町で歌いながらいつしか父親とうまくいかなくなる年頃を迎えた。エディットは母違いの妹シモーヌ(P・クリストフ)と二人で歌うことにした。この日から、エディットと、彼女が“モモーヌ”と呼んで生涯愛し続けたシモーヌはいつも一緒だった。やがて恋に生きる歓びを知ったエディットは、日ごと夜ごと新しい恋に身を焦がして、二歳年下にしてはずっと幼かったシモーヌを戸惑わせた。そして、街角で歌い、酒を浴びるように飲んだ。十七歳になった彼女は、ひとつ年上のルイ・ジローに結婚を申し込まれた。小さなベッドに、新婚夫婦とシモーヌが一緒に寝起きするドン底の生活が始まったある日、この辺一帯をとりしきるヤクザの手下のスリ騒動で日頃の不満が破裂したエディットはひと思いに歌をやめ、シモーヌと共に造花工場へ働きに出た。九ヵ月の身重だったが、ルイの働きだけでは食べていけない。間もなく女の子が生まれ、マルセルと名付けられた。生活はいよいよ苦しくなり、息がつまりそうだった。何よりも歌が欲しかった。いやがるルイが止めるのも聞かず、マルセルを抱いたエディットは久しぶりに石だたみの上で歌った。街に戻った彼女は愛する子供のために、昼は街角で、夜は安酒場で歌った。だが、幼い娘のことを考えたルイは、マルセルを自分の母親に預けてしまう。寂しさに耐え続けて歌っていたエディットは、有名人が集まることで有名な“ジェルニーズ”の支配人ルプレ(G・トレジャン)に認められ、その店で歌わせてもらえることになった。だがその喜びもつかの間、わが子マルセルの死という悲劇に襲われた彼女は葬式にも行かず酒をあおり、泣いて絶望の淵に身を沈めていった。ルプレはエディットにピアフと名付けてくれた。ピアフとは雀、小柄なエディットにはよく似合う名だった。店で初めて歌うことになった日、その衣裳の貧しさをルプレの友人レイモン・アッソー(P・ベルニエ)の愛人マドレーヌ(A・フェルジャック)の機転で救われ、華やかにデビューを飾ったものの運の悪いことに、人々の目は歌の途中で入ってきた大西洋横断の勇士メルモーズにすっかり奪われていた。でも、ピアフの素晴らしさを再確認したルプレは彼女を可愛いがり、ピアフも彼をパパ・ルプレと呼んで深い信頼を寄せるようになった。ピアフの初のレコーディングの日が来た。前夜、興奮して飲みすぎた彼女が“ジェルニーズ”を訪れると、そこにはルプレが死体となって倒れていた。悲嘆にくれるピアフに救いの手をさしのべてくれたのが、ルプレの友人で作詞家のレイモン・アッソーだった。彼女を新しく生まれ変わらせるために、シモーヌと共に愛人マドレーヌに預けて行儀を教え始めたが、ピアフはしょせん裏街で生まれ育った野生の女なのだ。お上品な生活には我慢がならず、その苦しみをレイモンに恋することでまぎらわせようとした。一方、ピアフの才能に賭けたレイモンも、シモーヌを遠ざけ二人だけの生活に入っていった。レッスンに明け暮れ、遂に最も有名な舞台だったABCとの契約にまでこぎつけた。ABCでリハーサルの日、秘かに呼び寄せたシモールを二階に座らせると、ピアフはステージに上がった。やがて「アコーディオン弾き」の曲が流れ、深い悲しみに充ちた声が流れ出た。呆然と聞き惚れる客席の関係者たち。エディット・ピアフは、ここに栄光と悲惨が渦巻く偉大な歌手への第一歩をしるしたのだ。