遥かなる青い海

劇場公開日:

解説

太平洋のほぼ中央、大小あわせて百万をこえる無数の島々が広大な海域に分散する南海の楽園ポリネシア。あすの豊かな生活を築くためにサンゴ礁の島に必要な“土”をもとめて、単身海洋にのり出すポリネシア青年の航海を中心に、めずらしい風物をドキュメンタリー・タッチで追いながら、自然界と人間社会のバランスを急速に破壊しつつある現代を批判する。監督は「チコと鮫」のフォルコ・クイリチ、ポリネシアに伝わる伝説をクイリチとジョルジョ・アルロリオ、ベルト・ペロッソが共同で脚本を執筆した。撮影はジョヴァンニ・スカルペリーニ、リカルド・グラセッティ、ビットリオ・ドラゴセッティ、音楽はエンニオ・モリコーネが各々担当。出演は全て現地人でW・M・レノ、ユベール・プチニー、K・イムリエ、E・テパマなど。

1971年製作/93分/イタリア
原題または英題:Oceano
配給:東和
劇場公開日:1972年6月17日

ストーリー

アラスカの基地で傷の手当てを受けていたポリネシアの青年が、意識を回復するなり脱走した。彼は一カ月前、こわれたカヌーとともに流氷の上で気を失っているところを助けられたのだ。ポリネシアからアラスカまでおよそ一万五〇〇〇キロ、どのように渡ってきたのか。彼目身だけが知る謎である。/ポリネシアの人々は、水平線のかなたにあこがれの土地を求めて大洋を渡った。こうして彼らは南太平洋の何千という島に住みついた。しかし島の多くは土がなく育つのはヤシだけで、暮していくためには他の島から土を運んで畑を作らなければならなかった。土を運んでくるかわりに、人の住む“土のある島”に渡って住むことは侵略だ。彼らはそれをしない。土を運んで育てたパンの木が枯れれば、彼らはまた他の島を求めて移動する。こうしてタナイ(W・M・レノ)という青年は出発した。広い天地と多幸な未来を夢見て、一そうのカヌーに命を託し、ただ一人冒険の旅に出た。航海中は次から次へ面白いほど魚が釣れ、食料には事欠かなかった。羅針盤も六分儀もなしに、やがてポリネシア最後の夢の島イースター島に着いた。しかし、同じポリネシア人でありながら言葉が通じない。彼らは祖国の言葉を忘れ、スペイン語しか話さないのだ。タナイにとって何よりも大切なのは土である。彼らがとめるのもかまわず二袋の土を土産としてこの島を後にした。間もなく風がやみ魚は姿を消し、海は死の食卓と化した。嵐が襲ってきた。帆はボロボロにちぎれ、タナイは浜辺に漂着したところを原住民に見つけられ、ジャングルの奥に連れていかれた。火山に住む女神ペレをなぐさめるための儀式と踊りの最中に現われた海からの外来者を、酋長は疑いの眼で迎え、部族の幼い子を死から生き返らせることができなかったために死刑を宣告した。だが、火山の爆発によって“死のしるし”である白い塗料をぬられたままタナイはからくも脱出した。次にたどりついた島では、白人の老人が漂流船のかげでたった一人の生活を楽しんでいた。白人の持つ“文明”の一つ、ベンジンが白ペンキの“死のしるし”からタナイを解放してくれた。その島を出た彼は漁民の一団に拾われた。救い出された先は満ち足りた人々が陽気に暮す平和な島だった。タナイと島の娘の恋も芽ばえた。島の人々の温い協力で彼のために新しいカヌーが作られ、六分儀が贈られ、測量の方法も教えてもらった。パンの木の栽培に必要な土も積み込んだ。束の間の恋の別れに娘の眼に涙が光った。/「核実験の航行禁止区域にカヌーが一そういる」ヘリコプターの無電がアメリカに向けて叫んだ。何も知らないタナイは眼前にひろがる島に近づいた。その瞬間、閃光と共に巨大なキノコ雲が海上をおおった。常に平和を愛し自由を求め、ただの一度も侵略したことのないポリネシアの誇りと栄光は裏切られた。帆は破れ、かじもこわれたカヌーの上でタナイは気を失ったまま北へ北へと流されていった。

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