早春
劇場公開日:2018年1月13日
解説
ポーランドの名匠イエジー・スコリモフスキが1970年にイギリスで撮りあげた作品で、15歳の少年の不器用な初恋を色鮮やかな映像美でつづった青春ドラマ。公衆浴場で働きはじめた少年マイクは、職場の先輩である年上の女性スーザンに惹かれていく。スーザンへの実らぬ思いを募らせたマイクの行動は次第にエスカレートし、悲劇的な結末へと突き進んでいく。当時ポール・マッカトニーの婚約者として話題を集めたジェーン・アッシャーがスーザン役、「初恋」のジョン・モルダー=ブラウンがマイク役を演じた。イギリスのシンガーソングライター、キャット・スティーブンスと、ドイツのプログレッシブロックバンド「カン(CAN)」が楽曲を担当。日本では72年に劇場初公開。2018年1月、デジタルリマスター版でリバイバル公開。
1970年製作/92分/イギリス・西ドイツ合作
原題:Deep End
配給:コピアポア・フィルム
日本初公開:1972年5月27日
スタッフ・キャスト
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2023年5月5日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD
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1970年製作のイエジー・スコリモフスキ監督作品。
舞台はイギリスですが、イギリス・西ドイツ合作映画(まだ東西ドイツに分かれていた頃ですね)。
主役ふたり以外は西ドイツの俳優で、プールのシーン以外のほとんどを西ドイツで撮影しました(特典の監督インタビューより)。
英国ロンドンで暮らす15歳の少年マイク(ジョン・モルダー=ブラウン)。
自転車を駆って向かった先は、公衆プール&浴場施設。
学校を中退したマイク、そこで働くことにしたのだ。
年上の女性従業員スーザン(ジェーン・アッシャー)に施設内を案内され、接客要領について教えられるが、マイクはひとめでスーザンに恋してしまう・・・
といったところからはじまる物語で、色白美少年マイクの「早すぎる春」の映画。
あまりの美少年ぶりに、マイクは中年女性の常連客(ダイアナ・ドース)から個室浴場で誘惑されるが這う這うの体で逃げ出す。
引き連れてきた女生徒たちにボディタッチしながらも、スーザンに色目を使う体育教師(カール・ミヒャエル・フォーグラー)に嫌悪するも、スーザンが体育教師を個室浴場へ引き込むのを目撃してしまう・・・
と展開する前半は、うーむ、あまり面白くない。
が、俄然面白くなるのは、スーザンが婚約者の青年(クリストファー・サンドフォード)と出かけるのを尾行するあたりから。
スーザンと婚約者は、60年代末から盛んに作られた成人向け映画(大人のための性教育を謳って女性の裸を登場させ、観客はそれを愉しんだり、滑稽な性描写を笑ったりする)を観に映画館へ。
マイクも年齢を偽ってもぐりこむが、スーザンの婚約者に見つかり、痴漢騒動へと発展。
その後も、いかがわしい界隈をうろつき、脚にギプスを着けた娼婦の部屋へ迷い込んでしまったり・・・
このあたりの描写、いわゆる「不思議の国のアリス」と同じ趣向だけれど、街の猥雑さがマイク少年の心中のなんともいえない燃え滾るものを表現していて興味深い。
その後いろいろあるが、終盤は、雪野原でマイクと取っ組み合いになったスーザンの薬指から、婚約指輪のダイヤモンドが外れて紛失。
勤め先のプール(休日のため水が抜かれている)へ持って行って、雪を融かして見つけ出そうとし、悲劇が訪れる・・・
あらすじだけ書き出すとなんともいえない、どちらかといえば、すっとこどっこいなストーリーなのだけれど、登場人物の生々しさ、背景の猥雑さ加減が、青春の一歩手前の時期のこらえきれない欲望のようなものを感じさせます。
全編を彩る音楽は、キャット・スティーヴンス(英国)とプログレッシブロックバンドのカン(The CAN 西ドイツ)。
70年製作の映画だから、もう50年も前の映画だが、早春の時代は変わったのだろうか。
2018年11月2日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD
瑞々しい感覚で青春の青い性の目覚めを描く
中卒で地元の公衆温水ブールに就職した15歳の男の子
中々にイケメン、ズバリ美少年
女性からモテまくりで羨ましい限り
しかし職場の先輩の綺麗なエロいお姉さんには相手にされない
物語としてはそれだけだ
21世紀に生きている我々からするとなんとナイーブなことかと思うかもしれないが、これが舞台のいくら大都会ロンドンでも1970年当時はその年頃なら普通のことだったのだろうと思う
マイク役のJ・モルダー・ブラウンが素晴らしく、この映画のテーマをその整った顔、その細く綺麗な肉体が写っているだけで体現しているといっていい
冒頭の赤いペンキが結末の惨事を予告して、更に惨事の前には緑色の壁を真っ赤にまで塗ってみせる
白い無彩色の雪の公園、同じく白い無彩色な空のプールが、ラストシーンの血の赤、コートの黄色、水の青の色彩と対比されて、我々はその美しいを鮮烈な思い出としてこの光景がマイクと共有される
この色彩の使い方が見事だ
スーザンのヌード看板と水中での自慰しかできなかったのが、実際に彼女の裸体にしがみつき妄想が叶った時の彼の脳裏には、最早スーザンの裸体しかにない
その色彩が狂おしい性衝動のなかで渦巻いているのだ
若い男子の性衝動は止めようがない
就職したところが悪かったというか
彼が奥手過ぎだつたのか
もちろんプールが舞台なのは、人が服を脱ぎ裸になるところであり、大量の水は性への連想を予定してのことであり、空のプールに水を流し込む行為は性行為そのものの暗喩だから
それ故に、そこに舞台が定められているのだ
同時代の庄司薫の青春小説「狼なんか怖くない」
や「赤頭巾ちゃん気をつけて」等の作品の雰囲気と、とても似ていると思う
何十年ぶりに懐かしく読み返したくなった
2018年10月31日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館
イエジー・スコリモフスキの映画の登場人物に関して、「共感できない」「見ていて苛つく」という感想が目に付き、そのことが作品そのものの評価になっている。非常に残念な映画体験である。
モノクロ時代の彼の作品「バリエラ」「出発」、監督作ではないが「水の中のナイフ」、近年の作品「イレヴンミニッツ」に登場する主な人物の誰に共感できるだろうか。共感できる者がいたとしたらスコリモフスキ自身が驚くのではないだろうか。
この作家の作品を観ていていつも感じるのが、バチバチと音を立てるかのようにすんなりとは脳に入ってこない映像である。カラー作品であれば色彩がその要因の一部をなすが、それはあくまで一つの要素に過ぎない。人物への反感など、様々な摩擦が自分の中で起き続け、ストレスなしには観ていられないのである。
よくもまあ、これだけ観客を突き放しにかかる映像をまとめ上げるものだと、そのひねくれぶりに感心させられるのだが、これがスコリモフスキの才能であろう。
2018年8月17日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD
世の中は割り切れない。まさに映画表現として素晴らしいと思った。