真実の瞬間(とき)

劇場公開日:

解説

50年代のハリウッドを直撃し、映画史を歪ませた赤狩りを背景に、一人の映画監督の姿を描く。監督・脚本に「ロッキー」などで知られるアーウィン・ウィンクラー。俳優ジョン・ベリーの実体験をもとにした脚本を執筆し、これが初メガホンである。製作総指揮はスティーヴン・ルーサー。撮影はミハエル・バルハウス。音楽はジェームズ・ニュートン・ハワード。

1991年製作/105分/アメリカ
原題または英題:Guilty by Suspicion
配給:ヒューマックス=ギャガ・コミュニケーション配給・提供
劇場公開日:1991年11月2日

あらすじ

1951年9月、売れっ子監督デイヴィッド・メリル(ロバート・デ・ニーロ)はフランスから帰国した。彼は仕事のし過ぎでルーヌ(アネット・ベニング)と離婚していたが、息子のポーリー(ルーク・エドワーズ)を交えて親しい付き合いをしていた。帰国パーティの席上、突然に女優のドロシー・ノーラン(パトリシア・ウェティッグ)が夫のシナリオ・ライターのラリー(クリス・クーパー)をなじり始めた。彼が共産主義者を取り締まる非活動委員会に友人を売ったというのだ。翌日、映画界のタイクーン、ダリル・ザナック(ベン・ピアザ)から呼び出しを受けたデイヴィッドは弁護士のグラフ(サム・ワナメイカー)を紹介され、ブラック・リストに名前が挙がっているので、誰かを売ることを勧められた。断固拒否して席を立ったデイヴィッド。帰宅するとドロシーがFBIの力により息子の保護権を奪われたことを知った。友人の監督ジョー・レッサー(マーティン・スコセッシ)は逮捕を予期してロンドンへ発った。デイヴィッドは仕事を奪われ、撮影所には出入り禁止。B級映画の仕事すらなくなり、求職のためニューヨークへ行くが、そこでもFBIは妨害し、昔の恋人でさえ彼を避けた。そんな時、力になったのはルースだけだった。彼は再び3人で暮らし始めた。ある日、ドロシーが自殺のようにして事故死した。友人のバニー(ジョージ・ウェンド)は委員会の呼び出しを受けたので、名前を売らせてくれと頼みにきた。彼はうなずくしかなかった。やがて、デイヴィッド自身も審問会に喚問される日が来た。そこで彼は、友人の名前を売ることを敢然と拒否した。バニーも前言を翻した。デイヴィッドは胸を張って委員会の偽善に立ち向かっていくのだった。

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映画レビュー

4.0疑わしきは罪?

2025年2月9日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

知的

 友人のみならず妻をも売ったラリー(クリス・クーパー)。共産党集会に顔を出したことがあるだけで罪人にされてしまったというハリウッド史上の汚点。デビッドは、ザナック社長が弁護士に相談するように忠告したことに従わなかったため、新作映画の仕事をほされてしまう。モンロー、ボギー、カザンと実名の映画人が多数登場する映画だ。この映画のあとに『マジェスティック』も作られ、ハリウッド・テンもかなり有名な話になったが、この映画は過去の汚点を告発する初の映画となったことが評価できるのだろう。

 ジョー(マーティン・スコセッシ)が共産党員で、ロンドンに逃げるからデビッドに映画の完成を託すシーンがひょうひょうとして面白い。もしかしてチャップリンを表してるのかとも思わせる。

 仕事をほされて、あちこち放浪、クリーニング屋でバイトもしていた。ようやく夫婦中もよくなって、久しぶりの仕事をもらったら、7日間で仕上げなくてはならない西部劇だったが1日で解雇される。ザナックからは監督を依頼されるが聴聞会で証言したらという条件付。そんな折、友人の脚本家バーニー(ウェント)がメリルの名前を出してもいいかと頼まれ・・・

 原爆反対しただけでも共産党員扱い。妻までもが疑われた上、帰国祝いのサプライズ・パーティまでもが共産党集会にでっち上げられた。もう委員会のやり方は無茶苦茶。多分、ロナルド・レーガンも一枚噛んでいたに違いない。当時のアメリカ政府の恐ろしさがわかる・・・「疑わしきは罪」ってことだ。

【2005年ケーブルテレビにて】

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kossy

5.0Red Scare(赤狩り)と Red Purge(赤粛清)は違う

2024年12月3日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:VOD
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アンドロイド爺さん♥️

3.0赤狩りで苦しんだ人々を描く。

2024年11月10日
PCから投稿

1950年代のマッカーシズムが吹き荒れる米国で、共産主義者のレッテルを貼られた映画監督の苦悩を描く。様々な登場人物の描写を、散漫と取るか、興味深いと取るかで、本作の評価は変わるだろう。

本作は、主人公の名前を告発した友人とその妻や、幼馴染の脚本家との証言をめぐる葛藤、失業した主人公を献身的に支える元妻など、赤狩りで人生が一変してしまった人々に焦点を当てている。

中には、あっさり亡命を選ぶ監督もいる(マーティン・スコセッシが演じてる)が、赤狩りに巻き込まれた人々を、淡々と描いている。この描き方が、最後まで見れないことはないが、大きく好みが分かれたところかも。

ロバート・デ・ニーロとアネット・ベニングの熱演が、本作を大いに支えている。結末にモヤモヤを感じた人も多いと思うが、赤狩りで苦しんだ人々を描いただけでも、価値のある作品とは思う。

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瀬戸口仁

3.0正気の沙汰ではない

2024年9月27日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

 赤狩りというテーマを元に、リアリティある描写がされていた点はよかった。共産主義者という冤罪疑惑を回避するために仲間を売ることを求められる。そしてそれが人間関係の破綻にまで追い込む赤狩りは、正気の沙汰とは思えない。共産主義からアメリカを守るための赤狩りのはずなのに、かえって国内を崩壊に導いている。まさに手段が目的化している良い例だ。それだけ当時のアメリカは、ソ連を中心とする共産主義勢力に、強い警戒心を抱いていたのだと分かる。

 しかしストーリーは散漫な印象だった。冒頭の知人に対する尋問、その知人の妻の自殺、デ・ニーロが監督の仕事に再び就くも免職、最後の公聴会などのエピソードが、それぞれ単発で起こっていて、結末に向けて一つにまとまっていない印象を受けた。もっとデ・ニーロに焦点を当てるストーリーにした方がよかったのではないだろうか。

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根岸 圭一