赤い家

劇場公開日:

解説

「肉体と幻想」「緑のそよ風」のエドワード・G・ロビンソンが新人ロン・マッカリスターと共に主演する映画で、「我等の町」のソル・レッサーが製作したもの。サタデイ・イヴニング・ポスト所載のジョージ・アグニュー・チェンバーレイン作の小説に基づき、「ハリウッド玉手箱」のデルマー・デイヴスが脚色監督し、「我等の町」のバート・グレノンが撮影している。助演者は「ローラ殺人事件」のジュディス・アンダーソン、無名より抜てきされた三人の新人アリーン・ロバーツ、ジュリー・ロンドン、ロリイ・カルフーンおよびオナ・マンスン等で、音楽は「失われた週末」のミクロス・ローザが作曲した。1947年度である。

1947年製作/100分/アメリカ
原題または英題:The Red House
劇場公開日:1948年8月

ストーリー

足の不自由なピート・モーガンは、オックスヘッド森の近くに、広い農場を持っている。森も彼の所有地であり、人を雇いさえるれば、手広く耕作もできるのに、偏屈者の彼は妹のエレンと養女メッグと三人暮らしをしている。メッグは学校友達のナス・ストームに手伝ってもらうように、養父に勧める。ピートは余り気が進まなかったが、エレンも口添えするのでナスを雇う。メッグもエレンもさびしさがまぎれて大喜びだ。数日後、ナスはオックスヘッド森を通り抜けて、近道して帰ろうというと、ピートは大反対し、気味の悪い目にあうから絶対通るなという。そのため却って好奇心をそそられ、ある晩通ろうとすると奇妙な音やピートに似た気味の悪い声に、おびえて逃げ出してしまう。そして二度目にはこん棒を持った巨人に殴られる。物心ついて以来、森に入ったことのないメッグは、ピートの挙動を怪しみ、ナスを襲ったのも彼ではないかと疑う。そして日曜日に、メッグはナス及び友達のティビー・リントンと三人で、森の探検に出かける。探検は成功しなかった。それを知ったピートが激怒して、テラーに侵入者には発砲しろと命令したからだ。テラーはピート・モーガンに森の番人として雇われている男で、ナスを襲ったのも彼であった。しかし若い者同士は親しみやすく、ティビーとテラーは、メッグとナス同様、愛し合う仲となったのである。ピートは物狂わしい挙動が多く、ナスとメッグの仲を嫉妬し、ナスを追い立ててしまう。エレンは兄が発狂するのではないかと思い、ある日石油とボロ布とマッチを持って森の中に入る。森の中の赤い家を焼払って兄の悩みの種を葬ってしまおうというつもりなのだ。ところがテラーがおどしのために射った弾丸を胸に受けて倒れる。死に臨んだエレンはメッグとナスに赤い家の秘密を語った。数年の昔、メッグの母親ジーニイを恋していたピート・モーガンは嫉妬からメッグの父を殺して誤ってジーニイも殺してしまったのである。2人の死体を2人乗馬車に積み馬にむちをくれて、馬車もろ共に底無しのどろ沼に追い込んだ。ーこの話しを終わるとエレンは息をひきとった。既に気の触れていたピートはメッグと共にトラックで赤い家へ出かける。ナスが森でテラーを探していると彼女をだましたのである。警官を連れて来たナスは、赤い家へ急いで母と同じ運命に陥ろうとしていたメッグを救う。警官の弾丸に傷いたピート・モーガンは、トラックに飛び乗ると全速力で底無しの沼に向かって走らせた。

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スタッフ・キャスト

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映画レビュー

3.5エドワード・G・ロビンソンの圧倒的存在感。老人の妄執と若人の恋愛を対比するサイコ・スリラー

2021年8月11日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

一応、ジャンルとしてはサイコ・スリラーとなるのだろうが、不思議なテイストの映画である。 一方では、鬱蒼たる森、秘められた廃村と封印された「赤い家」、孤絶して闇に生きる義足の男と妹といった、ゴチック・ホラー色丸出しの要素があって、怪優エドGと『レベッカ』の家政婦長がその謎めいた農場の主として君臨する。他方、本作には4人のフレッシュな若手俳優たちが登場し、くすぐったくなるような田舎のハイティーンの恋愛模様が、比較的本腰を入れて描かれる。 両者はむしろ対比的に表現され、過去に固執し絡めとられた老人の歪んだ愛情は、夜の森のおどろおどろしい昏さと、ピュアでうぶな高校生どうしの恋愛は、陽光あふれる田舎の瑞々しい自然とそれぞれ紐づけられる。 話の骨格ははっきりしていて、追いやすい。 エドG演ずるピートと妹エレンが守り続けてきた、森の奥深くに埋もれる「赤い家の秘密」がある。 養女のメグと、農場のバイトにきた同級生の青年ネイトは、それがなんとしても知りたい。 でもかたくなにピートは秘密を守ろうとし、怪談めいたタブー意識を押し付けようとする。 そして、その「秘密」は、どうやらメグ自身も知らない出生時の過去と結びついているらしい……。 秘密に若者たちが迫るほどに、老ピートは壊れてゆく。 過去の記憶に犯され、見境がなくなり、メグとその死んだ母親の区別もつかなくなっていくピート。 やがて起こる凄惨な悲劇。ずっと目をそむけてきた過去の悪夢に、ピートは再び飲み込まれていく……。 ゴチック・ホラーと青春映画の掛け合わせというのは、実際に観るとそう食い合わせの悪いものではないし、とにかくエドワード・G・ロビンソンが、狂気と哀愁のブレンドされた抜群の怪演ぶりで、映画をぐいぐい引っ張っててすごい。やっぱりいい俳優だよ、エドGは。 メグが大人しそうなのにまあまあやることは大胆とか、ネイトが善良そうな青年に見えて妙に意固地とか、類型から少しズレた描き方が不安感をそそる部分も、うまいといえばうまい(逆にキャラづけに違和感を感じる客もいるかもしれないが)。 あと、クソド田舎の高校生を主人公に設定したことで、車での移動がスクールバスや親に頼む以外原則封じられ、ひたすら「野中を歩く」映画になっているのも面白いところ。これは、ピートが義足で行動範囲が狭いことや、森の秘密が守られている理由とも展開上深く関連があるし、終盤にふたつの「車を用いた移動アクション」が登場することを考えると、なおさら興味深い。 少し気になるのは、「赤い家の秘密」が、高校生探偵団の活躍や新たな物品の発見によってではなく、ピートとエレンの会話の断片からなし崩し的に明らかになっていくところで、キモになるそこの部分をこんなやり方で片付けちゃってよかったのかな?とは思う。 エレンに関する終盤の扱いも、話の本筋からズレた偶発的な形でああなるのでベストとは思いづらいし、ジュリー・ロンドンの扱いもさすがにあれじゃああんまりなのでは(笑)。 あと、内容からするとちょっと長すぎるような気も。 でも、総体的にはじゅうぶん楽しく観られました。 それにしても、なんでこんなことになっちゃったんだろうなあ? なんだかんだで、15年近くピートとエレンとメグは、仲睦まじく幸せに暮らしてたのに。 直接のきっかけは、メグが内心恋心を抱いているネイトを農場のバイトに連れてきて、彼が夜の森を通って帰ろうとしたのをピートに脅されて、意地になっちゃったことなんだけど、 結局は、メグが恋に落ちて自分から離れようとすれば、ピートの「トリガー」は入っちゃったんだろうね。 そう考えると『赤い家』って、日本の横溝正史の『三つ首塔』とか『女王蜂』あたりととてもよく似た話ではあるわけだ。 意外と横溝……この映画観てるかもしれない。 1948年といえば、『本陣殺人事件』のあと、ちょうど『獄門島』を連載していた時期だし。

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じゃい