「観ていた時は泣かなかったんだけど」愛、アムール つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
観ていた時は泣かなかったんだけど
「愛、アムール」について、思い出すといつの間にか涙が滲み出してきて、どうにも言葉が滑らかに出てこない。
劇中、ジョルジュが昔観た映画の思い出を語るが、思い出の中のジョルジュのように、語ろうとすると映画を観た時よりも感動して、胸を鷲掴みにされるような感覚がある。
物語が自分の中で再構築される時、自分の心の中の大切なものの記憶が引っ張り出されるような、そんな感覚がこの映画にはある。
すべてのエピソードが無駄なく絡み合い、すべてのシーンにほどよい余白があって、映画を観た人それぞれが自由にこの映画を解釈出来る余地がある。
その一方で、映画が持っている「愛」というテーマは決して霞むことがない。
病に倒れても大好きな夫の側にいたい、と思うのは我が儘だろうか。そんな彼女の願いを聞き入れるのは、ただの意地だろうか。
どんな困難も夫婦二人、力を合わせて乗り越えてきた。新たな局面を迎えて、今までと同じように二人で乗り越えようとすることは無謀だろうか。
人生の冬に待っている、パートナーとの別れという苦痛は、愛が迎える最後の試練である。
消え行く命を感じて、アンヌはそれでもジョルジュの「可愛い人」であることを望み、それが叶わぬ事に絶望した。
自分が思っている以上に無惨に変わり果てたことは、まだ若い娘や教え子の目を通して、アンヌに突きつけられたのである。
そんな妻の心の痛みに、ジョルジュは最後まで寄り添うと決めた。妻の望みを叶える。「死にたい」という願い以外は。
病院にも入れず、看護婦を雇い、最大限の助言を受け入れつつ、生活のほとんどを妻に寄り添う姿は感動的である。
鳩についての解釈はそれぞれだと思うが、私は「天からのお迎え」だと感じた。
誰が開け放ったのかもわからない窓から舞い降りた一羽目の鳩。妻を逝かせはしない、と追い払ったように感じたのだ。
しかし二羽目の鳩を見て、ジョルジュは自らもまた最期を迎えるのだと悟ったのではないだろうか。
鳩を抱き締めるジョルジュは、彼岸の彼方に飛び立つことを受け入れるように鳩を抱き締めたのではないだろうか。
冒頭、花が一面に敷かれたベッドで眠るように目を閉じているドレス姿のアンヌが写る。
映画の終盤、サマーキャンプでの母との暗号を語るジョルジュの言葉を信じるなら、一面の花は「あなたと一緒に過ごした日々は、最高に楽しかった」というアンヌへの最後の愛のメッセージである。
音楽家の夫婦、その最期を迎えて、彼らが奏でてきた音楽が消え去ったことを示す無音のエンドロールに、寂しさと哀しさが込み上げてくる。
やっぱり、思い出すだけで涙が止まらない。
愛について描かれた名作映画は数多くあるが、いつか自分も迎えるであろうその時を、こんな風に愛に満ちたままで迎えたい。