そして父になるのレビュー・感想・評価
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キャストも脚本も設定も展開もそこそこ…
おもしろくない訳ではない。そこそこにおもしろい。ただ、そこそこにしかおもしろくない。というかちょっとがっかり。テレビだからいいけど映画館に行ってたら不満かも。あたりまえの感情をあたりまえに描写してある。ここでそうくるのか。。。というところがなかった。
自分が欠けてることを認める
自分の欠けてる所を認めるのって恰好いいと思った。
開き直るのではなく、真摯に自分と向き合って、気づいたことを素直に人に伝える。その勇気に感動しました。
真木さんのお母さんっぷりが良くて、愛情ある子供の叱り方(怒鳴り方)抱きしめ方に、心があたたまりました。
途中のピアノの曲!
主人公の息子はピアノを習っている。子供のレベルでも上手ではない。
なぜその状況で、悲しいシーンで悲しいピアノソロのBGMを選択したのか、一気に冷めてしまった。
ラストのシーンでも、結局どちらの子供を引き取るのかハッキリせず。
一番賛否の分かれる部分に結論をつけない、フジテレビらしい選択。重要な事に切り込めない部分が残念でした。
親子の信頼関係
子育て奮闘中の自分にとって、とても刺激的な映画でした。リリーフランキーの様な父親になりたい!⭐️5です。
特に印象的だったのが、リリーフランキー「どれだけ子供と一緒に時間を過ごせたかだろう」です。
日々、子供と過ごせる時間を大切にしたいと思いました。
考える映画。
やがて親は子に乗り越えられる
人は一度は自分はこの家の子供じゃないのではないかと、思ったことがあるのではないだろうか。98歳で亡くなった私の父は、大学では学生たちから敬愛され、それなり威厳を保っていたが、家では暴君。それでいて小心で気が弱く、亡くなるまで自分が長男なのに、実の母親から愛されず無碍にされていた、と娘の私に「告白」しては、子供のようにグジグジすることがよくあった。そんな大人げない人は 父だけかと思っていたら、親しくなった人の中にも、自分がもらいっ子だと思い込んでいる人が何人かいて驚いたが、再婚したオットまでが、同じようなことを言い出すのには、閉口した。世の中は「心の孤児」、「充分愛されなかった、もらいっ子みたいな子」、「みなし児みたいな寂しい子」で、あふれているのかもしれない。
映画「そして父になる」を観た。英語のタイトルは「LIKE FATHER LIKE SON」
監督:是枝祐和
キャスト
野々宮良多:福山雅治
野々宮慶多:二宮慶多
斉木雄大 :リリー フランキー
斉木琉晴 :黄升呟
第66回カンヌ国際映画祭2013年に出品された時に、上演後10分間のスタンデイングオベーションを受けて話題になった作品。
映画のストーリーは、
病院で赤ちゃんを取り違えられた二組の親たちと子供たちのお話。子供が6歳になり小学校に入学するために受けた血液検査で、一組の親子がじつは親子ではなかったことが分かり、同じ日に生まれた赤ちゃんが、間違って別の親に引き取られて育っていた事実が分かった。自分の子供として6歳になるまで育てて来た子供が、血のつながった子供ではないことがわかった夫婦の苦悩は大きい。二組の夫婦は、病院で引き合わされ、提案に従って血のつながった実の親子に早いうちに戻すことが、子供たちにために良いと言われて、互いに子供たちが実の親に慣れるように、週末は子供を交換したり、一緒にピクニックに行ったりして互いに慣れるように、試してみる。しかし、当の二人の子供たちは、どうして自分が、親許から引きはがされなければならないのか、そして、今まで会ったこともなかった人の家庭に泊まりに行かなければならないのか、理解できない。強引な子供の交換に、二人の子供たちは混乱するばかりだ。二組の夫婦も病院を相手取って訴訟を起こすが、6年間育てて来た子供を失うことによって深く傷つく。というお話。
たった6歳の子供たちが、突然親から引き離されて、孤独の崖っぷちに突き落とされるような経験をさせられる姿が、可哀想で可哀想で、とても感情的につらい映画だ。
福山雅治とリリーフランキーの二人の父親の対比が、興味深い。エリート社員と、しがない自営業者。上向志向の塊のような男と、出世と縁のない田舎の電気屋。勝ち組と、落ちこぼれ組。都会暮らしと、田舎者。個人主義と、大家族。核家族と、祖父まで含めた6人家族。有名私立小学校と、公立。金銭的に余裕のある家庭と、やりくりに苦労する家庭。すべてが正反対の対称をなす二人の父親の違う点は無数にあるが、共通するのは二人とも息子を愛していて、自分が一番良いと思う育て方をしてきたことだ。
慶多の父親は有名大学を出て一流会社に勤めていて自分が子供のときに、親に遊んでもらった記憶がない。自分の子供にも、ひとりで何でもできるように厳しくしつけて来た。自分がそのようにして育てられ、それが一番良かったと思っているから、自分が育ったように息子を育てているが、息子は人が良くて競争心に欠けるところに、苛立ちを感じる。だから、琉晴の父親に、「子供と遊んでやってくださいね。」と言われて戸惑う。6歳の男の子にとって、野外で思いきり体を使って遊ぶ時期に、遊びのルールやほかの子供と遊ぶ社会性を培う基本を父親から教わることができない子供は不孝かもしれない。しかし、だからといって子供と一緒に泥だらけにならない父親が悪い父親だとは思わない。
私自身、親に遊んでもらったことなどないし、七五三も、ひな祭りも、子供の日も、成人式も、誕生日でさえ、親に祝ってもらったことなど一度もない。学校で他の子供の話を聞いたりして、自分の親はよその家とは違った変な家なのだと自覚したが、よその子供を特にうらやましいと思うこともなかった。
慶多は仕事が忙しくて自分をかまってくれない父親をみて、いつもいつも寂しかった。それがいつも子供と遊んでくれるお父さんが本当のお父さんだと言われて、父親が迎えに来たときに「パパなんかおとうさんじゃない。」と言い放ち抵抗する。しかし、慶多がもう少し大きくなったら、一緒に泥だらけになって遊んでくれる父親よりも、知識が豊富で聞いたことに何でも答えられる知識人の父親や、難解な数学を教えてくれる父親の方が頼もしいと思うようになるだろう。頼りがいのある親もそうでない親も、出来の悪い親も、優秀な親も、子供はそれを自分の親として、じきに認識するようになる。そして、いずれはどんなに優秀な親も そうでない親も、子供から否定される時が来る。親は否定され、子に乗り越えられていくものだ。
一方、父親の側から考えると、子供に何を期待しても期待通りには子供は育たない。子供の性質は変えられない。子は自分の性質を持って生まれてくる。おっとり型マイペースで、他の子供との競合を嫌う子供もいれば、競争が楽しくて仕方がない積極的な子もいて、それらの特質を兼ね備えて子供は生まれてくる。親は子供のそういった特質をよく見て、良い点が伸びるような環境を整えてやることができるだけだ。
慶多はピアノが好きではないが、自分が練習するとピアノを心得ている父親が喜ぶので、練習を続けている。しかし慶多はそんな環境が合わずピアノをじきに止めるだろう。親がピアノを買い、小さなときから先生のところに通い叱咤激励してきた親の期待は無駄になる。
一方、琉晴は田舎の大家族で、家計のやりくりに苦労する家庭で3人兄弟の長男として育ってきたから、慶多のようにおっとりはしていられない。本当の父親の負けず嫌いや競争心の強い気質を受け継いでたくましい子供になっていくだろう。やがて知識欲を充分満たしてくれない心優しい父親を疎ましく思い、自立心の旺盛な子供になるだろう。そのようにして、父親は子供に乗り越えられていく。
親は子供が成長するごとに何度も何度も自分の期待を裏切られ、そのことによってありのままの子供を愛し、見守っていくことになる。
この映画では6年間、育てて来た子供が自分の子供ではないことが分かり、子供を本来の親のところに交換したあと、もう互いに会わないようにしようと 親同士で約束するが、子供たちは育ての親のところに帰りたがる。親たちは、どちらの子供を育てていくのか、結論を出すことができない、というところで終わる。親には、結論など出せない。決めるのは子供たちだ。子供が親を親と認識するまでは、決定することなどできない。映画の中で、病院で起きたことのために「私たち家族は一生苦しむことになる。」という台詞が繰り返して言われる。
そうだろうか。
子供の成長は早い。いずれ子供は親を乗り越えていく。いずれ子供は親を必要としなくなる。親は、子供のことを心配するより自分の心配をした方が良い。自分が老いて子供にめんどうをかけずに済むように、子供の世話にならずに上手に老いていけるように準備することだ。
ちょうど映画を観た後、アメリカの実際の赤ちゃん取り違いを追ったドキュメンタリーフィルムを観る機会があった。病院の手違いで小学校低学年の女の子が、血の繋がっていない親に育てられていた。同じ日に生まれた二人の女の子は、同じ小学校に通っていた。親たち、4人が顔を合わせて深刻な話し合いを続けた結論は、4人の親で2人の娘たちを 同じように可愛がって育てようということになった。子供同士も親友になった。二人して、双子のように今日はこっちの家、来週はあっちの家というふうに学校から帰ってくる。「私たちにはパパが二人いて、ママが二人もいるの。」と嬉しそうに笑顔で言う女の子たちの姿は感動的だった。
子にとって親(親代わり)は多いほど良い。親にとっても子供が多い方が良いだろう。小さな土地で核家族では息が詰まる。親と子は、互いにもっとクールに生きていけたら良い。
映画では子供たちの演技が自然でとても良かった。監督の前作「誰も知らない」も、印象的な心に残る作品だった。この監督の次の作品が楽しみだ。
あり得るストーリーで考えさせられる
いい映画。推薦できる。知的作品。
父親であるあなたにぜひ。見てほしい。なんとも泣ける作品です。
6歳まで大事に育てたのに・・・我が子ではない?
この設定は面白く、残酷でしたね。
そして実の我が子は
こんな家庭で育っていた・・・
リリーフランキーさんのお父さん役が絶妙にゆるくて・・・
エリートな福山さん演じる家族と対照的なのが面白い。
対面した時も、「こんな家族なのかよ・・」みたいな福山さんサイドの反応が実にリアルで良かった。
やがて・・・子供たちは本当の家族の元で過ごしてゆくのですが・・・
子供ながらの・・・心理とか、行動とかが
胸に刺さる思いで
後半から泣けちゃって・・・考えさせられて・・・
これは深い作品でした。
結局・・・子供たちは どちらの家族を選択するのか?
そして・・・父母は何を想うのか?
ラストシーンは
福山さんの演技にも釘づけ・・・
大人向けの作品ですが
特に男性にもみてほしいなと思いました。
自分も子供いるから
自分に置き換えて同じようなこと起きたら・・・
そこまで考えさせられる作品です。
皆さんはどんな後味でしたかねー?
家族の対比がフェアじゃないが
二組の家族だが、リリー・フランキー側の家族に欠点や短所がまったくなく、ほとんどパーフェクトな家庭のため、福山側の短所ばかりが目立つ構成はちょっとフェアじゃないと思う。
福山も初期状態でさえ相当頑張ってるし公正な父親なんだが、対比される相手側があんな理想的な家庭だなんてちょっと可愛そうになってしまう。そりゃ負けますわ。
リリー側の家庭にもう少し顕著な短所を出していたら、もう少し考えさせられる映画にできたと思う。
福山の意識を変えるきっかけは、例の看護師に「誠意」を返しに行ったとき、旦那の連れ子が必死でカーチャン守るためにメンチ切ってるシーンが最も大きな山場だよね。なんでもないシーンだけど、その後の連れ子に対する福山のリアクションを含め、僕はあそこが一番感動した。
思ってたより。。。σ^_^;
始め野々宮夫妻は役者が2人とも独身のせいか親には見れなかった。ストーリー的に父はわかるがママも?なんかぎこちなさを感じさせる。
始めのクールな父親キャラも、子供を交換した時、自分の生い立ちも義理の母に育てられたのに何故にそんな接し方???と、共感は全く出来ない。別々に暮らすことにしたシーンや、思い出すシーンは泣けるけど、結局どうするかわからず終わる。ストーリーは取り違えの原因以外はまんまだったし、最後の方に急ぎ足で良いパパになってきて、、、うーん。ちょっと長くて飽きちゃった。なげっぱなしで観る側に考えさせたいならこんな長くなくても。。。子供とちゃんと向き合って無い人ほど身につまされるかも。私にはアカデミー作品ってほどじゃなかったかな。
考えさせられ……過ぎちゃうかもΣ( ´◡` Ⅲ)
スパイダーマンって、クモだって知ってた?
映画「そして父になる」(是枝裕和監督)から。
子どもの取り違え事故をテーマにしながらも、
どこにでもいる「父・子」のコミュニケーション、
その難しさを感じながら、メモを振り返った。
物語の前半とラスト、2度に渡って登場したフレーズ、
「スパイダーマンって、クモだって知ってた?」
息子の知らないことを教えてあげるのも、父親の役割。
さらに、息子が自慢げに話すことに、へぇ~と
驚いてあげることも、父親の役割、と教えてもらった。
「もちろん知ってたよ」と大人の会話をするのではなく、
「ううん・・初めて知った」と答えてあげることが、
子どもの好奇心をくすぐることになるし、
パパの知らなかったことを、自分が教えてあげたという
ちょっとした自慢から、子どもは自信がついていく。
だが、子どもとの時間を最優先する父親は羨ましいけれど、
実際は、仕事を最優先しなければならないのも現実。
だからこそ、些細な会話で子どもとの関係を保つ努力は、
こういった何気ない気遣いが必要になるのだろうな。
もっと早く知りたかったなぁ、こういうことって。(汗)
P.S.
子どもが弾くピアノ曲「チューリップ」がキーワード。
「どの花みてもきれいだな」が、子育ての基本だものなぁ。
考えさせられる
抑えた構成に好感
家族の映画として、イチオシです。
6歳になった子どもが、実は取り違えられた子だと知ったら。そんな事件を通して、子どもの愛し方を見つめ直す父親の話。
最近父親になった僕としては、とても入り込める作品で、久しぶりに家族を考えるいい映画に出会ったなあという感想です。これは子どもがいない人にはつまらないかもしれませんね。感情移入して、淡々と進む中で自分自身でも葛藤して見ると、すごく良い映画だって思えます。
わかりやすさのために大袈裟な対比になってますし、俳優の割り当ても対比が明確で、より入り込みやすい作りになっています。真木よう子は福山側かなあ…とも思いましたが、わざとですかね。どちらもお母さんは素晴らしいと思います。でも結果的に交換してしまうことになるのは、ダメですね。身を張って防がないと。
最終的に、どうなったんでしょうね。私としては元のままに戻る推しでしたが、一回交換して暮らしてしまってるから、正直ベースで両方の親を続ける、但し血のつながる親元で暮らす、という感じなんですかね。
福山も、けして初めから父になれてなかったわけではなくて、終始一貫して、子どもを愛しているのは感じました。カメラを見たときの涙が証明しています。だからこそ、慶太くんもいい子で頑張ってるんだって。そこが救いですね、それすらない父親も世の中にはいて、片方がそうだときっとまた全然違う話になりますね。ビジネスライクをやめる、ってのが福山の成長ですかね。
後は、まさかの故意の交換でしたが、あの助産師には罰を受けてほしい。夫の連れ子がお母さんを守るシーンも印象的でしたが、その身勝手さと与える影響の大きさに対して、何らかの罰を与えたいと思いました。
見終わってスヤスヤ眠る子の顔を見て、明日からも愛していこうと誓うのでした、いい映画だった!
福山目線にいささか共感はできず。
家族が愛おしい
福山雅治、尾野真千子、真木よう子…
大好きな俳優女優さんたちが見れてすでに大満足ですが、今までに映画からは味わったことのない家族愛を見せられ胸打たれてしまいました。
福山雅治が演じる『良多パパ』は、決して悪い父親ではない。仕事に没頭するあまり家族との時間をないがしろにしているが、仕事をすること、それが家族を守り幸せにする事と信じているところがあり、ちゃんと家族を愛している。
少なくとも、たいした仕事でもない仕事を理由に家族との時間を取らない自分などとは大違いで、むしろ尊敬に値するくらいの父親像だと思う。
また、物語冒頭からラストまで一貫して登場するレクサスLSが、父として男としての憧れを手に入れた世の中の理想像を象徴している。
しかし、不思議とこのレクサスLSが物語後半ではつまらないものに見えてきてしまう。
家族を幸せにするために本当に必要なものなのか?
そもそも家族ってなんなんだ?
いやがおうでも家族と、息子と向き合わなければならない時間が父親としての意識を変えていく…
じわーっと、しかし、しっかりと心の奥に響いてくる良い作品でした。
ほんとに、今からでも遅くないから子供や妻とちゃんと向き合おうと思ってしまいました。
リリー・フランキーほど家族と触れ合わず、福山雅治ほど稼がない、わが身のポンコツっぷりに心底反省です。
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