2012年 群馬県桐生市のご当地映画
「縁」と同じコンセプトだが、内容は人の存在認識という誰もが自己否定の際に起きる心的部分に焦点を当てている。
主人公加藤小判
誰にも全く認識されていない時起きる「テレポート」
テレポート先に衣類は持ち込めない設定で、だから裸になってしまう。
このファンタジーに、桐生市に古くから伝わる「河童伝説」
町おこしの材料にこの河童を使ってイベントを考える委員会
そして、シーナという若い女性
20歳を少し過ぎた彼女と、高校生という微妙なスタンスと距離感
舞台を桐生市、題材を河童にしているだけで、描かれているのは人間の心
加藤小判の人生 誰からも存在を認識してもらえないというのは、群馬県が抱える根幹的問題だろうか。
このあたりの設定はなかなか上手だ。
5歳の時に母が家を出て行って、酒に入り浸って破産した父
叔父に引き取られたものの、彼は散財して自己破産する。
住む場所さえなくなった高校生の小判
彼が雨宿りのために思い浮かべた場所は、1日でクビになった工場
そこにいたシーナ
彼女は、突然裸で現れおかしな言い訳をする小判の能力を知ると、悪知恵を使う。
さて、
一晩を過ごすために行きずりの男の家に泊まるシーナ
彼女はそもそも「彼」の家から飛び出してきた。
殆ど荷物も持たずに出ていったシーナを、探すこともしない男古井
彼が「町おこし」のデザインをする役割になっていることで、物語の登場人物の枠が決定する。
小判の、誰からも存在を認識されないという悩みを、群馬県が抱える問題とリンクさせ、小判が同じように傷ついた女性に寄り添うというのは、群馬県人が単にそう思っているだけで、その認識を変えるだけでいいんじゃないですか? と、監督は言っているように感じた。
小判は、シーナの腹痛のためにスーパーにテレポートしたが、警備員に捕まる。
河童の正体
がっかりする委員会は、やっぱり河童を使って新しい企画を考える。
そして、
男女の問題は、この作品の中には持ち込ませなかったのは、いい判断だったように思う。
小判の叔父の家を購入したシーナ
彼女は捕まった小判の保護者として登場した。
その店は、彼が店長をする店で、シーナはいきなり古井に抱き付く。
「何で迎えに来てくれないの?」
シーナは、いわゆる「女のわがまま」に分類されるような方法で古井の気を引こうとした。
しかし、おそらく古井にはもうそんな気にはなれなかったのだろう。
古井が出したゴミ シーナの私物
それを引き揚げたことは、葛藤があったからで、でもそれは彼としてではなく、人としてだった。
このシーンの中にシーナは登場していないが、個人的には小判とシーナの会話に割り込んできた清掃車と捨てたゴミを拾いに来る古井がいてほしかった。
古井にはセール中の土地の向こうにいるシーナが見えないが、シーナには古井が見えることで、この二人の関係と顛末を表現しても良かったように思った。
さて、、
テレポートというファンタジー
そして河童
今ではいないかもしれないその存在は、老研究者の言う「居るから考えるのではなく、考えるから居る」という言葉に集約する。
ユーレイもUFOも同じ。
この言葉の背後に、明確に存在する群馬県が、他から見て認識されないという「勝手な問題」は、群馬県民の勝手な思考であって、日本人は誰もそんな風に思ってはいないということを、他県民にではなく、群馬県民に理解してほしいと作られたのがこの作品だろう。
小判は、知れば知るほど自分と似たような悩み持ったシーナのことを強く認識し始めた。
それは単純に濃いとか愛とかには分類できず、もっと人間的根源に寄り添う想いだったに違いない。
突然荷物を残していなくなったシーナ
小判は、もしかしたら自分と同じテレポートが彼女にも起きたのではないかと疑ったのだろう。
シーナが迷い込んだのは、誰もいない薄暗い森の中
シーナはそこで寝てしまえば元の世界に戻るのかもしれないが、小判は、自分が彼女を救いたいという思いに駆られたのだろう。
町おこしの河童役を依頼され、人々から認識されるようになった小判は、もうテレポートできなくなっていた。
しかし、強くシーナを想うことによって、もう一度ダイブできたのだろう。
奇しくもその場所は初めて二人が会った場所
その場所で、小判はシーナに思いを馳せた。
「あのう、私のこと、考えてました?」
この言葉は多義的で面白い。
誰にも認識されないと思っていたシーナは、小判の想いのエネルギーに引き寄せられてあの工場へやってきた。
もしかしたらシーナには小判の記憶はないかもしれない。
あの日、この工場で出会ったはずなのに、シーナは「誰かから想われる」感覚を頼りに工場へやってきたという解釈ができる。
同時にそれは、本当に新しい出会いで、パラレルワールドかもしれない。
「怪物」の最後のシーンを思い起こさせる。
この「人に想われること」に焦点を当てたこの作品
シーンの至る所で若干間延びしてしまっていたが、なかなか良かった。
また、
小判という名前
物語では当時流行った歌手からと言っていたが、おそらく赤城山の伝説徳川埋蔵金からそう名付けたのだろう。
そんなモチーフがきっとたくさんあって、群馬県人であればたくさん発見できるのだろう。
いい作品だと思う。