ル・アーヴルの靴みがき : インタビュー
アキ・カウリスマキが移民問題を良心とユーモアで描いたおとぎ話
アキ・カウリスマキ(上部写真右)が独特のユーモアで「フランスのメンフィス」と呼ぶ港町、ル・アーブルを舞台に繰り広げられる新作が「ル・アーヴルの靴みがき」だ。裏通りにひっそりとたたずむ古い町並みの住人であるマルセル・マルクス(『ラヴィ・ド・ボエーム』の主人公と同名)は、偶然出会った密航してきたばかりの移民の少年を、やむなく自宅に匿う。母親がいるロンドンに渡りたいという少年の望みを叶えるため、彼は一肌脱ぐことを決心する。移民問題という政治的なテーマを扱いながら、あえて非現実的なアプローチによってポエティックで心温まる物語に仕立てた本作は、カウリスマキの最高傑作との呼び声も高い。自身はペシミストと公言する監督が、それとは対照的な希望を感じさせる作品を撮った、その真意を聞いた。(取材・文/佐藤久理子)
——今回初めて移民問題という、政治的なテーマを真っ向から扱っていますが、なぜフランスのル・アーブルを舞台に選んだのですか。フランスにこだわりがあったのでしょうか。
「いや、他のどの西側ヨーロッパ諸国でも当てはまる物語だろう。最初のアイディアは、移民がアフリカから地中海沿岸にボートで辿りつくという話だった。だから地中海に面した港町を探したが、どこにも気に入ったところがなくてね。それでぐるりと上まで回ってようやく見つけたのが、英仏海峡に面したル・アーブルだった。幸運にも戦争の被害を受けていない古い町並みが残っていて、その上リトル・ボブこと、ロベルト・ピアッツァというロックンローラーがいた。ル・アーブルはフランスのメンフィス、彼はそこのエルビス(・プレスリー)だったというわけさ(笑)。それで脚本を書き変えたんだ」
——現代的な問題を扱いながらも、登場するキャラクターはまるで古きよき時代のような人情にあつい人々ですね。
「この映画は失われたヨーロッパについて言及している。移民問題はとても深刻で、僕には解決策など答えられない。残念ながら解決するには遅すぎると言ってもいい。かといってこのままにするわけにもいかず、政治家が何とかしなければならないが、彼らは残念ながら本気で興味を持っているようには思えないね。でも自分がシニカルで懐疑的になればなるほど、作る映画はソフトになっていく。かつてのよき時代に対するノスタルジーを感じるし、自分の映画のキャラクターを愛さずにはいられない。だから彼らに不幸な思いをさせることは忍びないんだ」
——たしかにあなたの映画には、どんなに厳しいシチュエーションでもどこかにぬくもりや、ユーモアがあります。ユーモアは辛い状況を乗り切る最良の方法だと思いますか。
「人間、もし笑うのをやめたら死人と同様だろう。ユーモアは僕を正常に保ってくれる唯一の要素だ。ユーモアがなかったら悲しみに染まってしまうし、悲しみは健康に良くない(笑)。とはいえ、この世界で僕を笑わせてくれるものはとても少ないのだが」
——今回は全編フランス語ということで、外国語をしゃべる俳優の演出はどんな点が異なりましたか。
「いや、いつものようにカメラを設置してただ回しただけさ。僕はリハーサルなどしたことはない。自分がつねにアンテナを張りめぐらせておけば、どんな言語でもうまくいっているかどうかが自然に感じられるものだ」
——しかもあなたの映画はセリフをあまり必要としないですね。俳優の顔があればいいと?
「いや顔すら必要ない(笑)。僕が必要なのは彼らの視線。視線こそ、人間同士の基本的なコミュニケーションだから。それに僕は自分が働かなくても済むように、優れた俳優だけを雇うのさ(笑)」
——今回が映画初出演となった少年役のブロンダン・ミゲルの場合も同様でしたか。
「彼は素晴らしい。とても明せきで、自然な才能があった。彼には毎回、こんな風にやってくれと指示して、彼はそれをコピーしたんだ(笑)」
——「コントラクト・キラー」から20年以上を経て、再びあなたが敬愛するジャン=ピエール・レオが小さな役で出演していますが、もっと彼のシーンを増やしたいという誘惑には駆られませんでしたか。
「いや、そもそも『大人は判ってくれない』の少年を演じた彼が、ここでは移民の少年を警察に密告するというアイディアが笑えると思ったんだ。ちょっとした目配せだね」
——あなたの愛犬ライカも活躍していますね。
「ライカの祖母は、『過去のない男』でカンヌのパルム“ドッグ”賞を取ったんだが、残念ながら昨年の秋に死んでしまった。犬の一生は短いが、彼女の生涯はエネルギッシュだったよ(笑)。ライカも彼女の才能を受け継いだ。犬は人間のようにしゃべらないから好きなんだ。人間はしゃべりすぎる。僕の映画の登場人物たちはあまりしゃべらないが、それでも今回はおしゃべりな方かもしれないね」