シン・エヴァンゲリオン劇場版のレビュー・感想・評価
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さようならエヴァンゲリオン
正直見終わって、こんな明るいラストで良いのかな?と戸惑ってしまうくらい今までの作品にないスッキリとした終わり方。
でも、逆にスッキリ晴れやかに終わってくれたので迷うことなく本当に終わりなんだとも思った。
なのでエヴァらしくはないかもと思いつつ、こういうラストを見れた事はとても良かったなと思うし、勝手な想像だけど作品を作る中で監督の価値観も穏やかに変化していったのかもしれないなと思った。
あと、やはり劇場で聴く宇多田ヒカルはとても良かった。「One Last Kiss」から「Beautiful World」の流れで鳥肌がたった。
エヴァシリーズは全て鑑賞したが、一度見ただけでは分からない(少なく...
エヴァシリーズは全て鑑賞したが、一度見ただけでは分からない(少なくとも私は、、、。)
見れば見るほど深い、と思う。スルメのような物。
だから、評価の星はまた変わるかも。
頭を空っぽにして。
CGを多用していますが、決してCGに頼ってるのではなく、作り手のイマジネーションあっての道具としてのCG活用といえ、圧巻の映像です。ストーリーはエヴァならではの論争が巻き起こるところですが、CGが圧巻、さらに作画の力は日本のアニメの底力ここにありといった感があります。
超難関映画
序・破・Qを見ただけでは対応できなかったです。
難し過ぎる。。。
見たあと考察を読みまくって納得しました。笑
一見さんお断り映画過ぎてちょっと悲しかったですが、エヴァをしっかり理解しようと思える時間ももれなく着いてくるので策略?にハマりました。
人類補完計画の答え合わせ
【総評】
旧劇場版を観たときに、人類補完計画は大体こういうことなのかなという程度の理解はあった。ただ、非常にシンプルな話になるので、これでいいのかなというモヤモヤがあった。
だから、今作は人類補完計画について旧作以上に何かが明かされることを期待していた。
結論から言えば、残念ながら今作で新しい説明はなかったように思う。だが、人類補完計画について、非常に丁寧に分かりやすく説明していたので、20年越しに答え合わせを見ているような感じだった。新しい発見はなかったが、ほぼ自分の理解通りと確認できたことは満足だった。
結局、旧作で人類補完計画について必要な情報は全部出揃っていたのだ。ただそれらが断片的に散らばっているのでやや理解し辛かっただけだったのだろう。自分の中では整理がついたが、同じことをもう一度丁寧に描いたとなると、この映画をなぜ作った?という疑問もある。
この映画で何かすごく爽快なシーンや素晴らしいシーンに出会ったとは思わない。人類補完計画についても答え合わせ以上のことはなかった。それなのに不思議で仕方ないが、なぜか映画終了後はすごくスッキリした気持ちになるので、全体としてはいい映画だったと評価したい。
【農村】
好評価に反して、途中退出を考えたレベルでこのパートだけは受け付けなかった。
綾波がQの時と別人になり過ぎていた。Qではシンジがいくらアプローチしてもまったく興味を示さなかった人間が、なぜ今作は様々なことに驚き感心を持つようになったのか全く分からない。単にご都合主義のために性格を書き換えたかのようで気持ち悪かった。村で行われるやり取りも心温まるエピソードのようで実際は稚拙な感じが強く好きになれなかった。
【映画後半部について】
旧劇場版での訳のわからない演出を引き継いだような意味不明の演出は今回もあった。旧作の時は、気持ちの悪い新興宗教セミナーを見させられているように感じて嫌悪感が強かった。だが、今回は、同じような演出が出てきたときに、やっぱエヴァンゲリオンはこうでないとねとワクワクして楽しんでいた自分に笑った。
いろいろ実験するのは構わないが、ストーリーやキャラクター設定がかなり陳腐化した。
実にテレ東版以来の鑑賞だった。
制服やスーツ、エヴァのデザイン等が現代風になり、
描写が写実風になり、CGでの戦闘もあり、単純なアニメーションではない実験が数多くなされていたけれど、私はエヴァにそんなことは求めていなかった。
ストーリーや、キャラクター設定がかなり陳腐化し、わかりやすさが優先された。
訳わからん理屈を並べ計画的で傷つかない大人 v.s. 知らされずに巻き込まれ傷つく子供の反抗
という図式と思っていたのに、子供は逞しくなるし、大人は理屈を述べずに子供に媚びる。
テーマが陳腐化し、結局わかりやすいエンディングで何も残らなかった。
26年前なら画期的だったけど同じことやってて陳腐化しちゃったんだけど焦らし作戦が成功して多くの人たちに気に入ってもらえた作品
ようやく終わった、という感想の人が多い。エヴァの呪縛から開放された、という感想も多い。いろいろと賛同を得られているのはそれの一点が非常に高いのだと思われる。エヴァの呪縛からの開放により安堵と嬉しさがこみ上げてきて、それは作品が良かったからに違いない、という勘違いではないだろうか。いや勘違いじゃなくても開放されるというのはそれだけいいことなのかもしれないが。
私は高校生のときにアニメをリアルタイムで観ていた。当時としてはものすごく画期的だったのだ。1話目ではロボット動かず。主人公は情けない。謎が多い。謎多き言葉でかっこいい。など。その後エヴァのオマージュ的な作品があふれた。にも関わらず同じようなことをしているのでとくに新鮮さがない。造語でまくしたてたり意味深な独り言を言わせる手法は相変わらず。エヴァのこれが好きって人は満足するのだろう。しかし、画期的なアニメであったエヴァというものが好きだったものとしては、もはやそれは陳腐化してしまったのだ。コモディティ化。他のアニメでもすでにやっていること。あー、このパターンね。まぁそうだよね。というところである。
いくつか細かいところで意味不明な行動がある。
アスカが2号機で落下しながら銃を乱射してまわりの無数にいる敵をうつのはなぜ?
下に向かっているんだからまったく違うところで上に向かっていく無数にいる的に向かって絶叫しながら乱射する意味がわからない。数を減らす?いやむっちゃ無数にいるから意味ないでしょ。前方の邪魔なのを銃でうって破壊していけよ。と思った。誰か教えてほしい。素直に何の意味があったのか知りたい。
ゲンドウにすかさず銃を打つ。脳みそがはじける。でも生きてるってシーン。
人を捨てたのね!?って驚きながらも想定の範囲みたいな感じ。人を捨てることがありえない選択なら、むちゃくちゃ驚くし、どうやって??ってなるだろう。けど、ああ捨てちゃったかーって感じなのね。いやいや、想定の範囲なら人を捨てたゲンドウに対して処理できるようなものもってないと、何のためにここまで突っ込んできたの?っていう謎。葛城さんと赤木さんのあまりにも軽率な行動が信じられない。相手の思うつぼでしかないわけでしょ、それって。ネルフからしたらヴィラはカモがネギ背負ってやってきた状態じゃない?ヴィラとしてはネルフを阻止しようとしてやってきたのに阻止する手段がゲンドウを殺すことだけで、それが銃で殺せないんじゃ意味ないでしょ。人を捨ててた場合にどうするか策を練っておかないとダメでしょー。
んで、ヴィラがネルフに近づくのを阻止してたよね?待ち伏せとか。あれも意味がわからん。ヴィラがいくらやってきてもゲンドウとしてはすでに人を捨ててるわけでやってきても問題ないのでは?むしろシンジくんを連れてきてるんだから待ち伏せとかせずにウェルカムってやらなきゃいけないのでは。万が一、待ち伏せやらなにやらでヴィラが撃沈したらシンジくんもいっしょに死んじゃうよ?そしたらネルフの目的が達成できないのでは?何の茶番?って思えてしまう。
このあたりも実はこうこうこうでこういう話だったのよ、っていう納得できるものがあれば教えてほしい。
基本的には、エヴァのこれまでのことを新しいキャラをいれてやりなおしてるって感じ。うまくまとめた!っていう評価もあるけど、うまくまとめることを期待していてみたのならうまくまとまっているようにみえたのでしょう。すべてを解決したようにみえるけどだいぶ強引。だって最後、シンジくんがすべてをさとす役割をするんだから。なぜそれができるようになったかが謎。農村で受け入れられてシンジくんがそれで成長できたっていう説をみたけれど、それが納得できるほど農村で大したことをしたわけじゃないようにみえるのだけれど。
ひどかったのはアスカにレーションという食べ物を口に無理やりおしこめられるところ。虐待である。これを隠れた愛情って評価した人いたけれど、いやいや虐待でしかないよ。無気力の相手に食べさせるならあんな力づくでやっちゃダメ。あれでなんでシンジくんがその後復活できたのかほんと謎。あんなことされたらますます閉じこもるよ。不思議でしかたがない。ここだけじゃないけど、みんな感情爆発しすぎだし、精神論で対処する人たちが多い。ブラック企業かと思うくらいの。とくにヴィラの組織。そんな精神論じゃそりゃ負けるよって思ってしまう。悲しきかな。
んで、結局、繰り返される世界ってことでリセットされて別の世界になるって話なんだろうけど、これってドラゴンクエストユアストーリーのような感じで、あれ?あの農村での生活はなんだったの?ってならなかった?あのシンジくんを受けれいてくれてた農村の人たちは幻だったわけでいないにひとしくて、あれ?ってなっちゃう。もうなんでもありだな。何度でも世界を繰り返したらいいわけだからね。ってなる。解決したようで解決になってるのかなぁっていう疑問。だって他の人達がどうなっているかなんで最後は出てこないから。他の人達はあの農村のような状態になったらあのように立ち上がれたんだとしたら、あの農村のような状態になれなかったらそうでもない生活になっちゃうような。このあたりも誰か教えてほしいところ。
最終、繰り返す世界ってのがオチなわけだけど、この手法自体すでにありふれたものだよね。ああ、それねっていう。もう目新しさを出すことはできなかったわけで。もうネタ切れだしどうひねり出しても出てこなかったんだなぁって感じる。実際、テレビアニメ版のエヴァでは毎回でてくる使徒の画期的な新しさも魅力のひとつだったけれど、今回出てくる敵の使徒のデザインはなんだかダサい。うさぎのダンスよろしく、肩くんで一斉に足上げてすすんでくるのは正直ダサい。画期的さがない。ほかの敵のデザインもだいたい想像の範疇。テレビアニメのときの使徒が毎回画期的だったのがほんとすごかったなぁ、と。
何度も同じものを作るもんじゃないと思うんだ。次があるって言うふうに焦らしまくったら多くのファンの人達はその焦らし作戦にハマってしまったのが今回の作品ではないだろうか。エヴァの呪縛のある人には高評価で、エヴァの呪縛のない人には低評価ではないだろうか。私は後者だ。リアルタイムでエヴァをみていたがとくに呪縛はうけていない。
こんなもんでしょ
アマプラで視聴。
まず初めに、私はエヴァ信者でも庵野信者でもありません。一方で、TV版のエヴァをリアルタイムで観ていた世代なのでそれなりに思い入れはあります。
結論から言うと、良くも悪くも「まぁ、こんなもんかな」って感想でした。
まず、相変わらず意味が分からない。ファンの方々が色々な考察をされておりますが、逆にあれこれ考察しないと理解できないって、映画としてどうなの?いうのが私の考えです。映画館だと有料で1回しか観れないわけですから「初見でストーリーが理解できる」っていうのは非常に重要だと思うんですが、この作品ではまず無理でしょう。ただ、この点に関しては、TV放送版にしても旧劇場版にしてもずっとこんな感じなので、いまさらマイナスポイントにするものでもありません。エヴァってのは「こんなもん」です。
一方で、戦闘シーンや各種ギミック、風景描写はいい感じです。特撮心をくすぐるというか、マシーンが無駄に複雑な動きをする感じなんかはワクワクしますね。こういうところは相変わらず上手いです。
エヴァの完結編ですから、エヴァ好はいつもの感じで必ず観るべきだし、エヴァをよく知らない人はわざわざ観るほどのものではありません。
ヱヴァと少年の懊悩の終わり、そして大団円
ヱヴァ13号機がもたらした結末に打ちひしがれた碇シンジは、
生存者の集う第三村での懊悩の日々と別れを経て、遂に父ゲンドウとの対峙を決意する。
セカンドインパクト爆心地、旧南極。己の願いのため邁進するゲンドウのもとへと迫るヴィレ一同。
その果てに待つのは……幾たびも繰り返された”少年の神話”、その本当の結末。
Qで(当時感覚としては)突如としてシンジに突き付けられた「ヱヴァに乗ったことの罪」。
視聴者の困惑も大きかったが、今となればこれが何を意味していたのかも分かるような気がする。
「ヱヴァという力を与えられながら世界を救えないシンジへの苛立ち」、
「ヱヴァに乗る限り世界の全てに痛めつけられるシンジへの嘆き」。
シンジが本作でヱヴァに乗ると告げた時に向けられた二つの銃口が示していたものは、
”新世紀ヱヴァンゲリヲン”という作品を追ってきた視聴者が
かつてシリーズに、庵野監督にぶつけてきた想いそのものではなかったか。
このシーン以後本作はメタ的性格を強めていき、
”ヱヴァンゲリヲン”という単語が示すものはシリーズそのものと重なり合っていく。
そしてその大胆な展開は成功した。この方法以上はなかったと言ってもいい。
巨人の姿で暴力を振るうことを終え、父親の弱さと想いを受け止めた。
根幹においてすれ違っていることを認め、アスカと遂に和解した。
互いが託していた想いを確かめ、カヲルと訣別を果たした。
「ヱヴァ」の不可分なパーツであることから、レイを解放した。
”新世紀ヱヴァンゲリヲン”の主人公として背負わされた業に、
遂にシンジは完全に決着を果たした。
そして、相補性に満たされた世界を幾度も願いながらも「ヱヴァ」に閉じ込められ続けた少年は、
その外からの来訪者と手を取り合って舞台を降りた。
シリーズへの不満など最早残させない、堂々たる大団円である。
よい。全てはこれでよい。
やっぱりわからなかった
面白かったけどわからないことだらけだった😵
根本的に人類補完計画と使徒、エヴァの関係がよくわからないし。
ただアニメーションのクオリティの高さだけで見たような感じになっちゃった。
ラストでいっぱい人が降ってきたけどあれってみんな元に戻ったってこと?
街が復活してたけど。その辺もよくわかんないし、マリはシンジが好きなわけ?
アスカはどうなったの?
そんなこんなで理解できなかったけど雰囲気だけで★4つけちゃいました。
内容理解できなかったら通常2くらいしかつけないんだけどね。
人物の心の描写も良かったけどなんか、ちょっとわかりづらい部分もあったなー。
最後くらいスッキリさせるような戦いにしてほしかったなー。
関係ないけど、イデオンの映画版の最後すごく好きなんだよね。
なんか思い出すよ。
ボイジャーって曲好きなんだよねー。
昔小松左京原作のジュピターって映画でユーミン歌ってたよね。
今回あれは中々マッチしててすごく良かった。
誰が歌ってるのかは知らないけど。
まごころの苦しみやQに残したトラウマと決別した作品でした。
まごころを君にを見た時のトラウマと救いのない結末に心の傷を持ちながらQまで見た世代です。
Qを見終え、シンエヴァの公開の時、自分は楽しみというよりまごころを君に登場しまシンジ君と同じ鬱な感情になっていました。
世界が滅び、生き延びた仲間からも冷たい目線や態度、心の拠り所のカオル君もいなくなり、仮に勝てたとしてもこんな世界じゃ何も何も戻ったりも得たりもしない。
だからみんな死んでしえばいいという感情がでて今度こそ、まごころと同じめちゃくちゃになってしまえばいいと思っていました。
そうした感情の中、映画を見にいきました。
見終えた時、そうした感情や苦しみから解放されました。
第三村で小さくても強く生きてる人たち、旧エヴァでそばにいてくれなかった友達やアスカやレイの支え、ミサトさんと大人になれたシンジとの会話を見ているうちにみんないなくなれからみんな好きだからいて欲しいという気持ちになりました。後、アスカの裸体を見てもシンジは反応しなかったり、赤木博士の絶望のリセットから希望のコンティニューを選ぶ宣言など、まごころのオマージュもありながらも完全に違うという意思を感じました。
巨大レイが現れた時もトラウマから決着をつける時が来たと完全に向き合えるようになりました。
その後、エヴァ作品の心残りであった父との本当の和解やエヴァのパイロットの卒業を進めてくれてありがとうと思いました。
ゲンドウと直接和解でき、レイやカオルも一人の人として生きていこうと前に押してくれた事、そしてアスカと浜辺のシーンの時、止まっていた時間が動いてくれたと感じました。
二人とも想いを伝え、そして心の拠り所に帰ってくれた事。
青い地球で巨大レイやインフィニティが崩れた時、そこから人が出てきて戻ってくれた時、やっと、やっと呪いやトラウマから決別できたと泣きました。
ありがとう全てのエヴァンゲリオン。そしてさようなら全てのエヴァンゲリオン
旧から新への大きな変化は…
新も旧も 庵野氏の"極私的物語" だったのでしょうが、旧からの大きな変化は、そんな庵野氏に「伴侶」が出来た事ですよね。
それが、しっかり者の眼鏡っ娘で、繊細なコミュ障でも拒絶せず、時に寄り添い、時に助け、導いてくれる新からのキャラ「マリ」=「伴侶」
ここらへんは指摘している方多数いらっいますね。
それを踏まえての本作のクライマックス、庵野氏の脳内では、レイは理想の2次元キャラなので結ばれる事は無く、アスカは一方的に恋心を持ったが拒絶された恋愛トラウマの相手(なので旧作では絞殺…)、ミサトは初恋相手の憧れのお姉さん、そんな各自に決着を付け、結末がああなったのは大いに納得、何せ "極私的物語" なのだから!
ここからは画的な話ですが、やはりCGメカは嫌いです…、旧の12使徒vsアスカを越えるメカ画が新シリーズには無かったですね…
それと、気になったのがプラグスーツでのキワどいバックお股越しショットが多かったですが、総じてムッチリ感の無いキャラばかりなので個人的にはグッと来ませんでした…
難しいことはわからないけど
エヴァは難しい。
アニメからこれまでの劇場版に至るまで
一応全て観たけど、やっぱり難しい。
でも、今回のシンエヴァで
碇親子の心が通じ合えた。
それだけで見た甲斐があった。
アスカは死んだのかどうかわからないけど、アスカの願いは叶ったのだと思う。
登場人物たちの想いが報われたようなそんな作品だった。
この作品にたどり着くまでのアニメから始まるエヴァ作品たちだったと思う。
庵野監督お疲れ様でした。
本当に面白かったです。
お疲れ様でした
なぜ音符のリピート符号が使われているのか?旧作との関係性は?などなど、
様々な憶測を呼びましたが、雰囲気で観るのがジャストだと思ってます。
すごいと思うのは、
シン・ゴジラを一回やってるから「シン」という枕言葉に違和感がなくなってること。
旧作の最後では、アニメの間に「実写」が挟まれて、映画館を鑑賞している人たちが映されました。
あれは、オタクを家から外に出させたくて挟んだカットだった。あの後、本当に凄いことになったよね。
今回もやっぱりありました。シンジくんを引っ張って、走って連れ出すシーン。やっぱり実写になりましたね。
それで満足。
本編の内容に少し触れると
・この世界は神話の通り、神様が作ったもの
・神様が使徒を作った
・アダムだけが知恵の実を食べた
・他の使徒は生命の実を食べた
・アダムと他の使徒が交わるとインパクトが起こる
・完全な生命の誕生
・だから、向かってくる他の使徒は全て殲滅した
・碇ゲンドウは、それを利用して世界を変えたい
・魂(知識)を具現化(生命)したい
・使徒のクローン(エヴァ)は、インパクトを思うがままに操る唯一の鍵。中に乗れば、思い通り。
・交わるためには使徒の魂を守るATフィールド(心の壁)を解放する必要がある
・解放するための道具が、槍
・槍を使って「海」と「大地」を変えるインパクトは起こした
・あとは鍵を強制起動して、最後のインパクトを起こし、魂の世界を作り替えるだけ
ちなみに槍の名前は、皇帝シーザーを背中から刺した、歴史に載ってる「ガイウス・カシウス・ロンギヌス」さんから取ったと思われる。
ガイウスの槍 :外圧。原作者の槍。バッドエンドにしたくない時に登場する。
カシウスの槍 :希望。作り出す槍。
ロンギヌスの槍 :絶望。神殺しの槍。
で結局、オヤジ(碇ゲンドウ)は、外圧(槍)に妨害されて、碇シンジが代わりにネオンジェネシス(新世界)を創造したのでした。今回はハッピーエンド。
見終わって、監督のことが知りたくなった
監督が誹謗中傷見て鬱になったのに涙してしまった…
多くの人を巻き込んだ、
シンジにそれはキツいよ…
痛くて苦しくなるアニメだったけど、一人じゃいい作品、いい人生は送れないって思った…
他人と関わったら世界が広がる。
オタクだったら一人の世界に浸らず、外に出たら、また一人の世界が広がるから、外に出てって大事なメッセージが監督が命を削って伝えたのがわかった。
庵野の独り善がり、漸く終了
小難しい設定と小難しい単語が織り成す、意味不明の庵野の独り善がり。
私、トンデモ設定とご都合主義は宮崎駿で卒業しましたので。
あー、苦痛だった。
アマプラで観たけど、何回か寝落ちしちゃいました。
この人の最高傑作は「トップをねらえ!」でした。以降、下降の一途。
シンゴジラも酷かったが、シンエバはさらにその下。
なんでこんなものが流行るの?意味分からん。名前だけで金儲けできて良いなぁ。
時間のムダでした。
…てことで、はい信者の方お待たせしました。
誹謗中傷はコメント欄に宜しくお願いいたしますにゃ。
ドシドシ書いてね!
↓
取り敢えずの完結という感じ
ダイコンアニメの頃からナディア、トップと、自分が描きたい世界を繰り返し繰り返し手を変え品を変え表現してきた庵野監督らしいエヴァでした。
監督も自分も年齢重ねたからなのか、今の人間観が垣間見える表現は納得できました。共感できるかどうかは別として。
当たり前だけど、男性目線が強く出てるんで、そこを不快に思う人もいると思います。
個人的には、あれだけ「魂」「魂」連呼してるんだったら、精神世界での性の表現って邪魔なんじゃないのかな?と思いました。
きっとまた別の切り口思いついて同じテーマを追った別のエヴァを作るんじゃないかと予想します。15〜20年後ぐらいに。
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