シン・エヴァンゲリオン劇場版のレビュー・感想・評価
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×エヴァだからすごい ○すごい映画だからすごい
エヴァと言えば難解なことをこねくりまわして言わねば……というような流れが年月を経てユーザーの間で勝手にできてしまっていたが、本作はその必要が全然ない。かといって全編が説明的であるかというとそうではなく、
・難解な内容を説明しきった作品、ではない
・そもそも描かれていることがシンプルな作品、である
そして
・そのシンプルさは、人間の根底に響くどこまでも深い「王道」の良さである
という完成を果たしている。
シンジという1人で世界の命運を背負わされた少年に、シンジになれなかったただの大人達になった元少年少女たちが温かく接して、シンジは少年から青年へと成長し、成長を止めてしまった父と父の用意したエヴァを超えて、自分の世界の一歩を踏み出す。
遠い過去にエヴァンゲリオンを視聴し、シンジ=世界の命運を握る力を与えられ、悩むことを許された中学生に憧れた少年少女であった私たちは、彼のような世界の中心にいる存在にはなれないまま、その後の混沌とした十数年・二十年をなんだかんだ生き延びて、すっかりおっさんおばさんになってしまった。というか、もがいていたら、なれた。いろいろあったけど、本質はほぼ変わらないまま、ちゃんと生きてる。その凡なる私たち(はっきり言ってケンスケ)が、特殊な力など持たずともシンジを助けて結末を見届ける構図は、「さよなら、全てのエヴァンゲリオン」にあまりにもふさわしい筋立てだ。
かつて「特別な少年」で、憧れや嫉妬の象徴であったシンジが、今や応援の対象になっている。
そしてエヴァは性能的には盛りに盛って凶悪化しているのに、画面の隅で子供のケンカのような戦いをしている程度に封じ込められていく。書き割り、撮影現場。「作られたもの」だった。憧れ求めていた力がちっぽけだったと私たちが俯瞰したそのとき、シンジもまたエヴァの力ではなく自身の言葉で父を理解して、父とは違う一歩を踏み出す。倒す、というよりは独立する。
言ってしまえば「少年少女の独り立ち」という実にジブリ的な脚本なのだが、冒頭の引きや演出などエンタメ的な配慮、最新技術も駆使してどこまでも貪欲に追求された映像表現など、
・「非常によくある強い脚本を」
・「今の人間の限界でつきつめてみたらどんな作品になるか」
・「それも、エヴァの終わりということで」
という、天才たちの挑戦ここに極まれりという内容になっている。
3時間という尺があるが、夢中になっているうちにあっという間に終わってしまった。エヴァQは個人的に「最低」とすら思える出来だったが、エヴァQが前編でシンエヴァが後編として一気見すれば、普通に良作以上に思えてしまいそう。
ここまでシンプルな「映画力」で勝負してくる、最高点を打ち出すとは全く思っていなかったので、大満足な結果となった。「エヴァだからすごい」ではなくて「すごい映画だからすごい」。王道脚本の手堅さは当然として、それを他を突き放すレベルの映像で表現しきっているのだから、進歩を止めず一段階も二段階も上を達成した製作チームに拍手を送りたい。声優たちも歴戦となったプロ中のプロばかりで、一切の妥協無し。プロフェッショナルたちが挑む世界観を完璧に表現してくれている。
「手堅い脚本」「声は話題性起用」「いつもの絵」で「これがアニメ映画だよ」としていた人たちが、一番焦っているように思う。とくに声優たちの一切の妥協がない(ゆえに話題性もない)座組については、作り手として格の違いを見せつけられたと言われても仕方がない。完全に軸をかぶらせて前ではなく上に行ったので、これはこれでシンジのゲンドウに対する決別というか独立なのか。まあそんなことはさておき、この映画は面白く、素晴らしかった。
新劇場版は、4作を通して大傑作となった。
シンエヴァは優しい作品
本作品は都合3回観に行きましたが、全然飽きが来ません。
何故か?それは本作品が優しい作品に仕上がっているからだと思います。
前作のQを観た後、直ぐには感想が出て来なかったのを覚えていますが、本作品で好きなシーンは?と聞かれたら、沢山挙げる事が出来ます。
その中で一番好きなシーンは、第三村で綾波そっくりさんが、人間的になって行くところです。
考えたら、また観に行きたくなって来ました。
気持ちよい!
本作は2回観ました。最初はシン・エヴァ序から予習した上で鑑賞し、序からの伏線とQの謎解明まで一連の物語として清々しくまとまった、良作の感想でした。
その後、改めてTV版から旧劇場版を見直し、2回目を観た時、庵野監督の描きたかった内容と旧版で出来なかった事がシンで出来上がったことが理解できたような気がして、ものすごく感動してしまいました。
特に旧劇場版ではアスカから気持ち悪いと言われ、子供のまま終わったシンジが、シン版ではアスカを救えるくらい大人になった、その過程とラストが心地よく、実は母にずっと守られていた核心の部分は涙ものでした。
TV版から25年余り、一つの大きな物語が補完され、監督、声優、スタッフ全てにおめでとうと言いたい感じです。
シリーズの完結編としてだけでなく、単体の作品としても素晴らしい一作。
これまで「エヴァンゲリオン」については、アニメシリーズをほとんど観ていなくて、本作の予習のために一応「新劇場版」を観た程度の前知識しかない観客による感想です。そのため以下でも、本作が全ての謎や伏線を回収したかどうかなど、詳細な考察や解説は一切できないのですが、そんな「にわか」の観客でも十分に感動する内容だった、ということは書き残しておきたいと思います。
「にわか」どころ、「新劇場版」三作に対して、「何だかなー」と感じる程度の思い入れしかなかったので、結末でここまで心揺さぶられるとは自分自身でも驚きでした。「新劇場版」では難解な用語と設定に振り回された上、庵野監督が「理解できない観客は付いてこなくていい」というメッセージを放っているような気がしていたんですが、本作は明らかに姿勢が違いました。相変わらず謎の設定や用語は頻出したものの、根気よくかみ砕いて何とかその意図を観客に伝えようとしているかのようでした。微細な部分にまでほとんど偏執的に拘った描写は健在なんですが、それが単にすごいとか、自己満足とかいう段階を超えて、アニメの作品と現実世界の観客とを隔てる境界線をおぼろにするような役割を果たしているような気がしました。
庵野監督のインタビューをいくつか読むと、結構制作時の自分の悩みを率直にその時々のアニメシリーズや映画作品に反映させてきたとのこと。だからシンジの言動はほぼそのまま庵野監督自身だったわけで、それが時間を経て、監督もいつしかゲンドウと同じような立場、年齢となっていた。これまでの葛藤、そして周囲の人々の力添えがあって、ついに本作においてシンジであったかつての自分に向き合うことができたんだろうな、と感じました。
一人の才能溢れる表現者がかつての自分自身と対話し、新たな世界を開く様を具体的な映像として見せてくれるという点で、本作はとても希有で、観る価値の十分ある作品でした。
全て含めて現実の世界
序盤
当たり前のことが幸せ。
って思わせたいのか?と
農作業や自然、人の温かさなど
日常のありきたりなことを繰り返す演出に、
エヴァとしてみると、ガッカリだった。
また心を閉じるシンジにも腹が立ってくる。
が、やっぱりこれでは終わらない。
心を開き出し、幸せを感じ始めると変化が訪れてくる。
シンジの心が開き、父と向き合っていく
成長を感じる。
それぞれのキャラの気持ちが吐露されていくことで、
最期感が炸裂
撮影スタジオの背景になると
現実感に戻され、
アニメと現実との葛藤の中の様に感じる。
NHKの庵野さんのドキュメントを観た後だったからか、
これが庵野さんの思いの様に感じる
エンディングでは
アニメの前の線画
現実と2次元と3次元が混じり合うよな印象だった。
なんとなく
清々しいというか、爽快というか
もどかしさを残しながらも
達成感を感じた。
マジで終わらせた…
これが終わった直後の素直な感想。
それは段々と喪失感に変わり自分の中で2度目のエヴァの終わりがズンと押し寄せてきました。
あれだけ『本当に終わるのかよ?w』『結局また続くでしょ』なんて言っていたのにも関わらずに。
Qから数年の間ネット上には色々な考察や憶測が広がり、ファンの中には僕も含め色々な人が自分の中の理想のシンエヴァ像を作り上げてたのじゃないかと思う。
結果、自分が観たかったエヴァではなかったが素直に面白かった。素晴らしかった。
庵野監督自身の投影とも取れる内容で庵野監督がエヴァンゲリオンと言う作品とガチガチに向き合った渾身の1作だと感じた。
本編冒頭のパリのシーンは既に公開されていましたが、エヴァに関しては本当に本編に入ってるかも怪しい所でしたが公式通りの始まり。
そして歩く3人のパイロット。
シンエヴァはQではなく旧の続きになるかもしれないなんて考察されてた方が居ましたがガチガチにQの続編です。
本当に安心した。
Qで撒いた謎や伏線の回収はやって貰わないと観てるこっちは堪りませんからね笑
意外だったのはここから。
殺伐としたQとは少し雰囲気が違い、第三村の生活を割と長い時間を使い描かれてます。
お馴染みのトウジやケンスケ、ヒカリなど28歳になったメンバーはそれぞれの幸せを見つけ暮らしています。
『そっくりさん』と言われる綾波の初期ロットの感情を学ぶ一連の流れや、鬱モードだったシンジの立ち直りをちゃんと描いてくれており和やかな雰囲気。
Qを観た後の人間からすればある程度いろんな意味で覚悟して観てると思うので拍子抜けしたと言うか、観ていて安心した。
ただ、ネット上でも一部ファンが怒っている部分『アスカとケンスケの関係』もここでぶっ込んで来ました。
正直あの状態のシンジに裸のアスカが隠す素振りもせずケンスケと話をする様子を見せるのはまさに地獄。まさかとは思ったが内心『マジか…』と、、
結構な叩かれ方をしていますが僕個人としてはこれまでアニメシリーズからアスカは報われておらず悲惨な運命ばっかりで、流石に観ているこっちも滅入ります。
相手がケンスケだろうとアスカ個人の幸せが叶うのであればそれで良いんじゃないでしょうか?
ヴンダーによる回収からは話が一変。
対ネルフに話はシフト、一気にラストに向け突っ走ります。
今作は前作Qと違い庵野らしからぬ説明及び回収して行くのが『ああ、マジで終わらせるつもりだな』と。
個人的にミサトさんとの和解がグッと来た部分でもあります。
帽子とグラサンを取り髪を下ろしたあの姿には胸が熱くなりました。
終盤一気にバトルパートがQのCGバトルを彷彿とさせ何が起きているか分かりづらい辛いパートが少しあります。
ここでぶっ込んで来た、アスカの使徒化。
驚いたのはアスカが『式波シリーズ』と呼ばれるクローンだった事。たまげました。
『ゲンドウの狙いは使徒化したアスカ』
出ました『ゼーレのシナリオ通り』発動。
冬月は溶け、ゲンドウは人間を辞め最終決戦へ。オリジナルを思わせるようなシンジの精神世界の描写。例の電車!
子供の頃嫌いだったシーンです。
ここで碇ゲンドウがよく喋る。
何故か痛い程気持ちが分かってしまい少しうるっと来た。
ユイに会いたい。只それだけの為に他人を犠牲にし世界を犠牲にする。
誰よりも人間臭かったのはゲンドウ。
13号機と初号機のバトルは正直意味を持たず少しガッカリ。ここを予告に使うのはズルい気もした。
終盤はメンタル覚醒したシンジによる主要キャラの魂の救済。良い演出だった。
浜辺のアスカに違和感を抱いたがアレは旧劇のアスカなのか両方なのか。
アニメシリーズや旧劇の画像を差し込んでくる辺りやはりシンジは全記憶を見たのか。
変にループしたり前後したりしなくて良かった。
最後は新劇最大の謎人物『マリ』
ユダでありマグダラのマリア。
やはりゲンドウの同期でした。
が、何よりもこのシンエヴァでは大活躍。
マリのシーンはかなり多かったと思います。破で2号機に乗った時点でマリはアスカの替わりになるキャラかも知れないと思ってたが、やっぱりそうなのかな?
とにかく8号機共に大活躍です。1番エヴァやってた。
正直ポッと出の陽キャが主人公とくっ付けばそりゃ批判もくるでしょうね。まともに接点も無いままでしたし。
ただ個人的にマリの様なタイプは好きなので僕の中ではアリです。
乳のでかい陽気なオネェさんなんて羨ましい。
正直言って期待はしていませんでした。
が、庵野監督はちゃんとエンタメを意識した上でアンサーを出し終わらせてくれた。
少なくとも僕はそう受けました。
個人的には最高とまでは言いませんが一つの形の終わりを劇場で観れたことに感謝です。
文句言ったり叩いたりもするけど、それも含めエヴァらしいと言うか。
結局エヴァが好きなんだなと自覚しました。
あと、宇多田ヒカルは素晴らしい。
もう一度観に行きます。
鑑賞者への想いやりに満ちた傑作
20年という歳月の中で、エヴァンゲリオンという作品に触れ、そこに依存の様なネガティブなもの含め、様々な思い入れを持つ人たちのために、エヴァンゲリオンが前向きな方向に開けながら終わり、乗り越えるよう導く、慈愛に満ちた作品だった。
主な依存の対象となる、ひとりひとりのキャラクターについて、丁寧に蟠りをほどき、説明し、流れるべき方向へ解決させていく。
特に、碇ゲンドウについてのパートにおいて、シンジとの関係性の整理に至った事で、このエヴァシリーズにおける完全な物語的帰結に至ったと個人的に思う。アニメシリーズ当時10代だった自分たちは、大人になり、親になった。当時、恐れ、理解不能、克服不能の象徴的存在であったゲンドウが、今作において、今、図らずも父となった自分が、子との関係性に迷い不安を持つひとりの親として、男として共感の念を抱いたのに、自らに驚いた。
世界設定に関しても合理的な展開、結末を見せつつ、同時にそれが虚構であるという事についてもキャラクターに言及させている。それは本作が虚構のアニメ作品であるという2重構造と取りつつ、観客に対してある意味で、ややこしい、そして面白い、世界設定を詳細に理解出来なくても、あなたはこの物語を消化出来ますよ、と投げかけてくる様である。だって虚構だから面白いんだから。
終盤にかけての、アニメのリアリティにメタ的な揺さぶりをかける映像表現的な実験には、単なる技術的な挑戦ではない、本作のメッセージ性と連動した意味付けがなされ、前向きなラストへむけた「気付き」を観客に促している。
基本的に、庵野秀明監督が訴えている事はアニメシリーズの時から一貫して変わっていない。今作もある意味同じ事を言っている。しかし、それを伝える為の方法が優しく、慈愛に満ちたものになっている。監督自身にとってのこの20年の歳月や出会いも影響しているのだろうか。スタッフを含め多くの制作に関わる人たちの優しさが本作から感じられた。
ありがとう、さようなら。エヴァンゲリオン。
一つの伝説の終わり
まずは庵野監督に、本当にありがとうと伝えたいです。
新世紀エヴァンゲリオンから劇場版2作、そこから長い間隔が空いてのシン・エヴァシリーズ、そのグランドフィナーレを見事に締めくくってくれました。
新劇のアンサーとしての破のように、そして過剰に無機質で説明不足な前作Qは、生々しい生命感あふれる今作の対比としての存在でした。
エヴァという長いサガの中で、シンジが最も伝えなければならない一言を、ついに相手に伝えたラストの戦い。
これはシンジが大人になる物語であり、作中でもっとも子供だった碇ゲンドウ、そして多分庵野監督自身が大人になるための物語でもあったのでしょう。
優れた映像と演出技法のオンパレードで、自らの心をさらけ出してくれた庵野秀明という一人の表現者に、心から感謝と賛辞を送りたいです。
監督が終わりにしたかっただけの物語
全ての点が全くしっくり来ず、納得できず、共感できず、だから理解できない。
モヤモヤ感と気持ち悪さだけ残った映画となった。
モヤついた箇所をいくつか書きます。
○マリ
マリを肯定するか否定するかで、この物語を受け入れられるか否か決まろと思う。
私はダメだ。
最後までミステリアスに描き過ぎだ。
アスカのように背景や内面、シンジとの絆的なものをもっと描くべきではなかったか。(最もアスカにしても、ラストに詰め込み過ぎで見にくい)
マリはミサトより歳上でユイに好意を持つユイの後輩でしょう。
アスカが先に大人になったからとシンジから別れるシーンがあるが、そこで最初から大人なマリが「再見」と言っても説得力がない。
マリもアスカ同様14年シンジとの時間が空いた。なおかつ最初から大人。
シンジを待っていた理由なりを正面切って描いてくれないと理解できない。だから、ラストの違和感はハンパないものになった。
あのラストにいくのなら、アスカを描き過ぎだ。
意外性だけインパクト狙いの演出は嫌いなんだよ。
○トウジやケンスケの登場
Qでは死んでるように描かれていたよなぁ。
確かにこのキャラクターを使えば話は早いが、唐突感と今更感で話に入っていけなかった。もう少しQで、その存在なりを描く事はできなかったのだろうか?
Qが実は未完だったと言われた事がある。
シンを見たら、やっぱりQは未完だと思った。トウシ達の存在や、アスカの苦しみなどQで描いていいと思う。
なんか描き忘れたもの、あのラストにたどり着かせるための後付的描写すべてシンで描こうと無理したように見え、詰め込み感ハンパなく感じ、理解できない一因となった。
○アスカとケンスケの組み合わせ
今更感強すぎ!で入れなかった箇所の一つ。
今更感強すぎて、ケンスケがアスカを受け入れてくれる男と印象づけるカットが二つ程あったが、後付けの言い訳にしか感じなかった。(ケンスケが悪いわけではないのだが)
もっと説得力を持たせる描き方はできなかったのか(過去シーンが足りない。回想ではない直接的な過去シーンとか過去に触れる会話など、もっと欲しかった)
それに最後の最後で、1カットとはいえアスカ一人で登場させるのだから、第3村からアスカは一人で良かったと思う。
今回のエバァでは、この「今更」と言うことが多い。
大胆に変えたのだから、収束させるためとは言え、旧作では途中退場させたキャラクターに今更頼るな、無難過ぎる。
どうせなら、ここで大人シンジを登場させるぐらいのぶっ飛んだ演出が欲しかった。
○アスカ
式波(クローン)にした意味あったのか?
ラストで怒涛のごとくアスカについて描くシーンがあるけど、惣流で語られたこととほぼ同じ。これなら母親から生まれた惣流の方が良かったと思う。
スカイ・クロラのような秀逸なクローン物を見てるから、クローンとして綾波以上にひねりをきかした描き方を期待したが残念だ。
「頭を撫でて欲しかった」という下りも、25年前からの進歩を感じさせない箇所で今更だ。
25年前のエバァは、女性の描き方が斬新だったと思う。そこからの進化は感じない。もっと尖った描き方ができたはずだ。(例えば、マリはしっかりレズビアンとして描けばよかったと思ってる)
別に強い女性として描け、と言ってるわけじゃない。14年の歳月を与えたのだから、もっと別の描き方はできなかったのか?
○終わり方
「この程度の終わり方なら旧劇場版でもTV版でもできたはずだ」と書いた大学教授の論評を読んだ。また「「よくわからないが、何かすごい物を見た感じ」が無い」と書いたライターの記事も読んだ。
この二つがよく表しているかなぁ。
この程度かよと思い、凄いものを見た感じは全くおきない。かと言って、大団円の優しい終わり方でも無い。
劇場版4部作の超大作にして、14年もひっぱって終わりがこれぇぇ!?
悲鳴しか上がらん。
キャラクター達それぞれに安息の居場所を与えて、主人公は成長し、助けてくれたヒロインと未来に歩んでいく(ように見える)ラストカット…「この程度」だよな。これだったら予定通り2013年に終えて欲しかった。もっと言えば4部作ではなく3部作にまとめて2010年くらいに終わって良い。そのぐらいに見たら、多分納得できた。
終わりの気に入らない点を列挙する。
□落とし前
なんか「責任を取ることが大人(になること)」と言いたいのかと思わせる箇所がいくつもあったが、正直ウザいだけ。と言うのも説得力があるように描いて無い。
例えばシンジが、アスカを助ける事も出来なかったことを「責任を取りたくなかっただけ」と発言するが、それ大人の話。責任を取りたく無いから何もしないのは大人で、子どもはそこまで考え回らん。
今回、とにかく大人になることが前面に出て、物語が矮小化したと思う。
多様性への希望とか、もっと神話的な部分とか必要でしょ。
□総員退艦、ミサトの死
ヤマトレベルだよ。
今回のエバァであった「誰かが犠牲に」と言うセリフは、大嫌いな言葉の一つ。
今回のストーリーラインでミサトが死ぬ必然性を感じない。むしろリツコが生き残るのに違和感を感じる。ここは全員で戦いミサトを助け、リツコが死ぬ方が自然だろう。
□ゲンドウ
ただ、ただ気持ち悪い存在になっただけ。
Q以降ゼーレの存在を消し、ゲンドウと冬月だけでネルフを描いたから、リアリティが欠如し、ゲンドウがただの悪役になった。化け物にしたから尚更。見に行った知人女性は、ゲンドウの独白に「ただイラついた」と言っていたが、そう言う人多いと思う。
ゲンドウの行動に説得力を感じ無いので、ラストの父と子の戦いも滑稽な喜劇にしか見えなかった。
Q以降、物語を成立させる最低限のリアリティを無視する箇所が多く、共感できない原因となっている。(例えば冒頭のパリのシーン。白人も黒人も誰一人出てこないのはとてもおかしい。「前任者」と言うセリフだけ。14年も戦争するには、国以上の組織が必要で、ここは海外で戦っている別部隊が登場しないと(そこにアスカのクローンが登場すれば面白かった))
□アスカとの別れ
「捨てた女の扱いに似ている」見た知人の感想。
成る程と思った。
この辺りのシーンを、ちょとした救いに見るレビューもあるけど、全然足んない。
キスシーンの一つぐらいあってもいい。
リツコのところに送りましたで終わり。
大人シンジと大人マリのシーンでは、パーカーかぶって一人でいる。
この対面にアスカ、レイ、カヲルがいるカットについて、いろんな考察ができるけど、ここにケンスケ、トウジ、委員長がいてもおかしく無いと思う。
ポスターでもアスカ一人だけなんだよね。しかも少し不機嫌。
ケンスケという居場所を与えましたよ、と言うのならこの辺も徹底すべきだと思う。
そもそも、適当な男あてがって安息を与えましたよ、と言う描き方は、今の時世的にどうよと思う。アスカというキャラクターを矮小化した感じしか受けない。
言うこと聞かない女を追い出し、好みの女に美味しいとこ与えたように見えた。
エバァに思入れは無いと公言している監督だけのことはある。
□レイとの最後の会話
正直覚えてない。理解できない部分が多かった事もあるが、絵がとにかくみにくい。レイに被せるように今までのタイトルを映すから、レイの表情が全くわからなくなった。だから話にも入っていけなかった。
レイの住んでいた無機質なアパートで、もっと落ち着いた演出の方が良かったのでは。
実写や線画など取り入れたアニメーション表現を讃める人もいる。
予定通りの2013年だったら斬新だったけど、もう他の作品でいろんな表現やっているので、二番煎じのただ見にくいアニメにしか見えなかった。特に終盤。
Q以降、マリを活かすためひたすら影が薄くなった、と言うが薄くさせられた感じしか受けない。三人目の消し方は、何の意味があるのかと理解不能だ。
□大人シンジと大人マリ
これさえ無ければ、評価は3をつけたかも。
このシーンを入れたことで、第3村とケンスケのところに送ったことにしたアスカが吹き飛んだ。いや、第3村は存在して、アスカは無事再生して安息を得ましたよ、と理解すればいいのだが、私は上書きされた感じしか受けない。
このシーンは、今までの物語と繋がりを感じ無い。
シリーズ通して、観客それぞれが意識的にまた無意識に読みとってきたものを、無理やりに一つにしようとしたように見えた。補完計画かよ。
最後のテロップのバックに、第3村と無事再生できたアスカを描いて欲しかった。せめてそのぐらいの描写が有れば、評価は2をつけた。
ラストカットまでマリが行くことにどうにも納得がいかない。マリの立ち位置はユイの代役。アスカが言った「必要なのは母親」がマリにかかっているわけで、マリも役目を終えた的にホームに残るのならまた納得した。
気持ち悪いのは大人シンジの服装。スーツにネクタイが大人の象徴的に描かれているのは、感心しない。(後「胸の大きいいい女」発言も問題だよな)
話の筋からすれば、最後の服装は農作業着じゃないのかな。
声をわざわざ昔の人気子役にしたのも感心しない。
ラストを長い間シンジを演じた緒方さんに飾らせてあげない演出は、作品への思入れのなさしか感じず腹しか立たない。
大人になるのは歳ではなく経験を重ねること。発狂して当然の状況下を経験したシンジは15で十分大人として描いていい。大人シンジを出す必要性が無い。
ここまできたら、むしろ第3村に戻ると言うストレートな演出が良かった。この世界で戻るべき場所は第3村しか無いのだから(監督の故郷なんてどうでもいい)
トウジ達のところに戻って、農作業やるなり、無事再生できたところまでアスカを描いて再会させるなりの演出をしたら評価は4をつけた。
大人シンジと大人マリのシーンは、奥さんにエバァの呪縛から解放された監督にしか見えず、それ以外理解できない、と言うより理解したくない。これがある限り評価は1。
序から14年、その間に300本以上の映画を見た。終わらせ方や物語自体に疑問や不満を持った作品はいくつかあったが、その中で最大級の拒絶感を覚えた作品となった。
これでエバァが終わりだと思うと、悲しいを通り越して腹が立つ。
誰か4年後の30周年企画で、動画配信用にTV版をリメイクしてくれないかなぁ。
14年時を進めるような奇策に頼らず、監督のメンタルや都合に振り回されないしっかりしたプロジェクトで正面から描き直してくれないかなぁ。
庵野の呪縛から解放されたシンジ・アスカ・レイの物語を後一回見たい!
Netflix頑張ってくれないかなぁ…まっ無理か。
言いたいことはまだあるが、疲れたのでこれで終わります。
わからないなりにドキドキしました
新劇場版をテレビで見たくらいしかエヴァは観たことがありませんでしたが、めちゃくちゃ話題になっていたので見に行きました。ハッキリ言って、訳分からない部分がかなりありましたが、雰囲気で押し切れる強さを感じました。用語などは意味不明ですが、キャラクターやキャラクターの行動の動機などはリアル一辺倒で、素晴らしく入り込めました。面白かったです、観てよかった。
納得はできる終わりかたでした
本放送、旧劇場版ともにスッキリしないモヤモヤとした終わり方であったが、新劇場版はひとまずはキチッと幕引きがなされていたと思う。ゲンドウが他者のこと考えず、補完計画を推し進めていた理由と、「天気の子」の主人公が、世界より好きな彼女を選択したワケは同じではあるが、ゲンドウのほうが情けなく見えてしまうのはどうしてなんだろう。
さようなら全てのヱヴァンゲリヲン
ところどころ違うと言えど、
旧劇の簡易版ダイジェストみたいな
そんな感じがしました。
旧劇よりも、ストーリーや
映像が劣化していて
観ていて不快になりました。
特に巨大綾波レイのCG映像は
とても酷く旧劇の頃の綾波レイの方が
芸術的に見えるほど
今作の映画の巨大綾波レイはチープで
とてもがっかりしました。
こんなに不快になれる映画があるんだと
逆に感心しました。
こんな体験をさせて下さる映画は
なかなか無いと思います。
こんなものを好きだった
昔の自分が恥ずかしいです。
仮に、またヱヴァンゲリヲンの映画が
あっても見たいとは思いません
これで、ヱヴァンゲリヲンという
コンテンツとは未来永劫
お別れすることにしました。
今まで好きでいさせてくれて
ありがとうございました。
さようなら、全てのヱヴァンゲリヲン。
13位/443 2021.05.16現在
今でこそエヴァ大好きで
自分の居酒屋にも
エヴァコーナーがあるけど
でも、エヴァ好きな人多いから
好きになったのは最近。
5〜6年前かな?
エヴァの歴史からしたら新参だけど
それでも今までありがとうと言いたい
今回劇場版まで観て自分はバカなので
多分8割理解してない
いや8割理解してるのかも
それすらも分からない
自分の理解が正解なのか分からない
でも、捉え方は人それぞれでいいし
正解なんてないと思う
それでも感動して泣いた
理解してないのに泣ける作品って
素晴らしい
自分は、真希波マリ が好き
好きだなぁ、、、、
健気にエヴァに乗る姿がカッコいい
にゃにゃにゃにゃにゃ〜!
危機感感じなくって素敵。
でも、大人なんだよなぁ。
最近、真実一路のマーチ
車でめっちゃ聴くし
ココスのコラボイベで
マリのファイルが出た時は
めちゃ嬉しかった!
アスカも好き。
惣流より式波が好き
アスカで何度も泣いた。
名前が違う理由に
こんな深い意味があったのかと
アスカは本当に優しくて
でも素直になれなくて、ずっと孤独で
だからこそ
アスカには幸せに生きて欲しいと
心から願ってる。
きっと幸せになるんだろうけど
その形がかなり意外だったけど。
個人的に、シンジもレイもカヲル君も
好きじゃないんだけど
特にシンジは好きじゃない
いくら、作品の中で成長した
って言われようが、見ててイライラする。
今回、特にイライラしたなぁ、、、
最後、挽回したって関係ない。
そりゃ鬱にもなるのは分かるけどさ。
まぁでも嫌いと言っても
表現が難しいけど、、、
人間的に好きじゃないだけで
大好きな作品のキャラクターとしては
好きです
ミサトさんにも号泣させられたなぁ
まだまだ書き足りないけど
全部書こうと思ったら
相当長くなるので割愛
ほんと全部素晴らしいけど
ラスト10分は特に素晴らしい
ラストに出てきた駅
行きたいなぁって思ったけど
超遠いなぁ、、、、、
美音が14歳になったら旅行しよう
自分は今、思い出しても
この虚無感、、、
当時から観てた人は
1ヶ月くらい無気力になりそうだな
この素晴らしい作品
是非、劇場で観てほしい
観たことない人は、とりあえず
序、破、Qだけ観るだけでも
大丈夫です!primeにあるし!
ありがとう!そして、さらば
すべてのエヴァンゲリオン
以下、
超個人的主観による駄文のため
盛大にスルーしてください
(RG風)
シンエヴァのあるある言いたい♫
シンエヴァのあるある早く言いたい♬
シンエヴァのあるある今から言うよ♪
正直シンジにはイライラしがち♩
備考 点数は自分が
生まれてから現在まで
観た映画をランキングにして
相対評価で点数付けてます
上位と下位から順番に
感想書いてます
初回鑑賞年齢→40歳
(2021年時点40歳)
初回鑑賞場所→映画館
鑑賞回数→1回
記憶度→100%
マイ映画ランキング
2021年時点
全映画中→13位
邦画アニメ部門→2位
理解してなくても泣ける部門→1位
想定の範囲内すぎて逆に想定外
期待してることが全てされてて、過不足なしでした。
迫力のバトルシーン、演出の奇抜さ、伏線回収、そして分かりにくさ。
全てが良くも悪くも想定の範囲内すぎて、逆に想定外というか。
あ、前半の綾波萌えだけは想定以上です。
こういう難解なアニメは得てして何らかのメタファーになってますが、細かい設定が分からなくても、アニメ業界やそれに関わる庵野監督と周辺の人々がテーマになっていると、しっかり受け止めれる作りになっています。
全ての主要キャラクターがしっかり幸せな方向(?)に昇華されていってて、「エヴァが終わった感」に溢れた、まさに卒業式。
特にゲンドウは思ってた以上のさらけ出しっぷりでした。SFモノの一つのテンプレである、「自分は本当はこういうやつなんだー」と相手と対話する心象場面をハッキリ書ききっていたのが一番の驚きでした。
ただあの辺はちょっと時期を逸した演出でしたね。
ビューティフルドリーマー、グリッドマン、実写でも松本人志の大日本人でやってたことで。
数年早かったら大爆発だったんですが。
シリーズ最終のお祭り映画
最初のテレビはリアルタイムで見て最初の映画も徹夜で見に行きました。
うんちくなんかよりただエンターテイメントとして面白い作品でした。
しかし新劇場版は前作Qからすっかり違う方向へ行ってしまいただただ謎を考察するかキャラ萌えだけの内容で素直に見るだけでは全く面白く感じられない作品になってしまいました。
長年待たされてもうダメだろうとは思ってましたが見に行ってああやっぱり、というところです。
最初から説明的なセリフばかりなのに話は良くわからないという展開。
色々とネタの仕掛けはありますが個々の話としては前からの同じ繰り返しの内面話で新鮮味もなく薄っぺらさだけが目立ちました。
ただ成長したキャラを見て楽しめる人のための作品ですね。
前作がダメな人には全く時間の無駄です。
結局最後まで期待外れ
妻と観に行きましたがシリーズ通して結局何がどうだか伝わらないまま終わっちゃいましたね、終わったあとなに?結局使途は何しに来てたの?目的は?シンジのお父さんは何がしたかったの?アスカは何者?結局どうなったの?マリとはろくすっぽ会ってないのに最後何事?
じゃあ何?シンジは結局神様で転生して新しい世界作って終わり?等々、訳解らんのオンパレード、要するに作品から内容が全く伝わらなかった、人に何かを伝えるには解りやすく伝えないといけないのだが、私らには全く伝わらないまま終わっちゃいましたw
話を伝えるってことは、使途の目的は地球の支配だったとか、地下に眠る秘宝が目的だったとか、シンジのお父さんの目的は神の力を得て何々をしたかったとか、ハッキリと解りやすく伝えないとなーてのが感想でした、最後はちゃんと解りやすく作ってくれると期待したが最後まで謎のまま、名探偵コナンが犯人も謎で解決しないで終わった感じ
トラウマと統合と成長の物語
エヴァを世に出した(エヴァに乗った)ことでトラウマを負った庵野監督による決着の物語。
旧作を発表した監督は心ないオタクたちによって精神を粉々に砕かれた。
監督が受けた被害は度を越した批判に留まらず人格否定や殺害予告まで多岐にわたる。
それでも監督は「ほかに自分の価値なんてない」と言わんばかりにエヴァを作り続ける。
そのたびに深いトラウマを負いながら。
第三村のシーンはセラピーの章。森田療法を連想した。
心のかたちを取り戻したシンジは傷を背負いながらも前へと歩を進めていく覚悟を固める。
2021 年 5 月 13 日,株式会社カラーは「『シン・エヴァンゲリオン劇場版』制作関係者に対する誹謗中傷・脅迫行為に関して」という声明を発表した。
新劇場版の真の完結はこの声明によって成ったと直感した。
監督が REBUILD と称して新劇場版の制作にあたった目的,それはかつて蹂躙された心を取り戻すこと。自分が価値ある存在であると信じること。自身や仲間たちの尊厳のために戦うこと。…だったのかもしれない。
素晴らしい最期でした。
監督に心から拍手を贈りたい気持ちです。
ニワカなりの感想
作品が発表されて 25 年にもなるそうだが、私はテレビシリーズは一つも見ておらず、劇場版も「序・破・Q」をレンタルで1回ずつ見ただけというニワカである。この作品にどっぷりとハマっている娘が、一緒に見に行ってもいいと言ってくれたので最近になって見始めたという有様で、コアなファンが多いこの作品について何か書くというのも気が引けるが、感じたことを少し書く。
これまで、エヴァに接する機会が実は何度かあり、研究室の学生さんに勧められて見始めたりしたのだが、どうにも主人公の碇シンジの幼稚さが鼻持ちならず、作品世界に入り込むことがどうしてもできなかった。いくら主人公の成長が物語の骨格だと言っても、限度があるだろう。「何故」という疑問に一切答えないのがこの作品の作風であるため、「何でこんな幼稚なガキに世界を救って貰わねばならんのか」という疑問が頭から消えることがないまま見続けるのは、苦痛でしかなかった。
世界を救う当事者が、普通に学校に通っているというのも全く解せなかった。彼が闘わなければ世界が滅ぶというのであれば、サッカーやラグビーのワールドカップ全日本代表選手など比較にならないほどの待遇を用意し、いつ使徒が襲って来てもすぐに出動して貰えるように最大限の配慮をすべきではないかと思うのは、きっと私が歳を取りすぎたために違いない。アスカが主人公に対して投げつけるトゲだらけの言葉を聞くたびに、「その通りだ」と溜飲を下げていた。
ところが、コアなファンは、このひ弱な主人公に自分を投影しているらしい。彼らは、いろいろなプレッシャーに責められてオロオロする現実世界の自分とこのシンジがシンクロするらしいのだが、還暦を過ぎて人生の主要部分が終了している私のような人間は、全く同調できなかった。シンジを完全に自分の外部の人間としか見ることができず、その未熟さにひたすら腹が立った。こんな自衛隊員がいたら国が滅ぶだろうとしか思えなかった。劇中の台詞で言えば、「シンクロ率 0.00%」と言った状況である。
原子力空母の建造に1隻数千億円かかるのを考えれば、あのような能力を持つ特殊なモビルスーツの単価は日本の国家予算を超えるはずだが、そんなものが 13 号機まであるとか、ヤシマ作戦で日本中の電力を集めたのであれば、あんな太さの電力ケーブルでは焼き切れてしまうはずだとか、細かなところも気になった。司令や支援スタッフが戦闘中の情報交換を音声で行なっているのも時代遅れで、物理量の計測値などは各自がパネルの表示を見て瞬時に理解しなければ間に合わないほど即時性が求められるはずである。
また、最初の搭乗で、シンジがロクな訓練もしてないのに使徒と対等な闘いをしているのも鼻白んだ。そもそもエヴァの操縦は、オペレーターの指示をエヴァの機械装置に伝えればいいだけであり、コックピットを機外に出して、安全な場所で操縦して信号だけ無線で伝えれば良いのではと思うのだが、それが成立しない設定なのだというのが娘の説明であった。だが、そんな説明シーンも一切なかったはずである。
シンジが暴走したために犠牲になった人々が相当数いるはずだという疑念は、「Q」で周囲の敵意に晒される姿が描かれていたので、いくらか気が済んだが、シンジの決定的にダメなところは一面的な情報を盲信して、裏も取らずに身勝手な思い込みで突っ走ってしまうところである。この思慮の浅さと結果の重大性のアンバランスは、どこかで見た覚えがあると思ったら、地下鉄サリン事件を起こしたオウム狂徒の実行犯と同じように思えて来た。同調などとんでもないキャラである。
おかしいと言えば、父親のゲンドウの行動や態度も極めて異常であった。何らかの理由で息子を操縦者にしなければならない事情があるのであれば、あんな子育ては目的の放棄に他ならない。しっかり我が意を含ませて手懐けることに全力を注ぐのが、作戦執行の責任者の取るべき態度であるはずであり、国家予算級の機械装置を作るより重要であるし、はるかに低コストで行える内容である。全くやる気がないとしか思えない。人生を賭けた「人類補完計画」の成否の鍵を握っているのが、自分の息子であるというのであれば尚更である。
人間個々の自由が失われる代償に死から逃れられるという「人類補完計画」というのは、共産主義のパロディなのだろうが、そんなものに賛成する人間がいるということ自体あり得ないと思う。個が失われたら不死に何の意味があるのか。しかもそれで亡き妻に再会できるというのはどういう話なのか、全く分からない展開であり、ほとんど付いていくのを断念せざるを得ないのではないかと思われた。見終わった現在でもその思いは同じである。
戦闘の最中に何度も繰り返される「やめてよ父さん!」という台詞ほど無意味なものはないと思った。刑事ドラマなどで、逃げる犯人を追いかける時に刑事が言う「待て!」と同じで、その台詞に相手が「そうですね」とか言いながら従ってしまったらドラマがぶち壊しになるだけである。ユダが裏切らなければキリストは救世主になれなかったのである。
シンジが綾波に惹かれる設定というのも、見終わってみればかなり気持ちの悪い話である。アスカまで尋常でない存在だったというのにも脱力感を味わわされたし、月面で宇宙服も着けずにいられるカヲルというのは一体どういう存在なのかと非常に不可解であった。彼の爆発するチョーカーの扱いには、行動原理が全く読めず、非常に解せないものを感じた。チョーカーに対してシンジが見せる態度も無様の一言に尽き、自分だけ悲劇の中にいるかのような態度の一方で、届けて貰った食事を礼も言わずに人がいなくなったところで食べ、挙句にチョーカーに対して生き物らしい反応を示すところなど、本当に腹立たしい思いしか感じられるものはなかった。
このシリーズの音楽の扱いには非常に違和感を感じさせられた。特に酷かったのは「Q」に出て来るベートーヴェンの第9の終楽章と、「シン」の冒頭のバッハの「主よ人の望みの喜びよ」と、各作品に時々出て来る場違いな鼻歌である。音楽はシーンの性格を左右する非常に重要な要素だと思っているのであるが、この監督はどうやら違うようである。雰囲気を損なわれたことが一度や二度では済まない。今作で唯一しっくり来ていたのは、モーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」だけであった。エンディングの宇多田の歌もこのシリーズを終わらせるには力不足であったと思う。
監督の人生の中の 25 年にも大きく影を落としたこの作品において、本作は本当の意味で結末を付けたかったというのがよく分かる演出であったと思う。「鬼滅の刃」がラスボスを倒してしまったら鬼滅隊や数々の特殊技能の存在価値が失われてしまったように、本作において監督はこの作品にケリをつけるつもりだということがよく分かった。エヴァのファンは、これからロスを味わうことになるのだろうが、それはある意味正しいケリの付け方なのだと思う。スター・ウォーズも Ep9 で終わりにすれば良かったと思うのだが、ルーカスから製作権を買い取ったディズニーはやめるつもりなどサラサラないように思える。サザエさんやドラえもんのように終わりがない話というのは実は悲しい姿なのである。
(映像5+脚本4+役者4+音楽4+演出4)×4= 84 点
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