桐島、部活やめるってよのレビュー・感想・評価
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アルトマンならどうする?
バレー部のエースで人気者、学校の中心的存在である桐島が部活を辞めるというニュースが駆け巡る。
ひとつのニュースをきっかけに将来に悩み、恋愛に悩む高校生達の姿を描く群像劇。
「桐島が部活を辞める」という「起」にあたる部分と「桐島が学校に来た⁈」という「結」の部分が複数の視点から畳み掛けるように描かれていて面白い。
桐島が部活を辞めるというニュースは、いつも連んでいる仲間たちの心をざわつかせるけれど、映画部の前田や桐島の親友ヒロキに思いを寄せる吹奏楽部の部長亜矢にとっては大きなニュースではないということがこれでよく分かる。
今どきの高校生が何を考え何に悩んでいるかなんて分からないと思っていたけれど、これが現役高校生のリアルな姿なら昔も今も何も変わってないなと思う。
たとえ、一人一台携帯電話を持ち、授業中にこっそり渡す手紙がLINEのメッセージになったとしても。
彼らはいつも本音でしゃべっているわけじゃない。むしろ本当のことはなかなか言えない。でも、彼らの気持ちは私にも伝わってくる。彼らの仕草が、その視線が本当のことを言っている。
屋上でサックスの練習をするのは、君を見ている私に気付いて!というメッセージだし、
「映画出来たら教えて」って言っておきながらチャラ男と付き合っててそれを秘密にしているのは、どちらかのヒエラルキーに決めつけたれたくないからだし、
「カッコいいね」ってほめられたのに、泣きそうになったのは、そんなことを言う彼が羨ましかったから。
きっと彼等は大人は分かってくれないと言うだろう。
でも、誰もがいきなり大人になったワケじゃない。
彼等の姿はかつての自分の姿。
もしも大人から言えることがあるとすれば、
これだ。
私たちはこの世界で生きていかなければならない。
まだまだ先は長いよ。
お前らのほうが…
公開当時は高校生やってたのですが、あの時に見たらどう思ったのだろう。登場人物はだいたい僕の学校にもいましたし、ああこんな会話してるやついたなあと思いました。「○組の××っているじゃん。ほら、あの△△なやつ」とか。
高校の時はどっちかと言えば前田くん側だったので、クライマックスは結構テンション上がりました。あそこってBGMが吹奏楽部の演奏だし、桐島ピラミッドから外れてる人たちによってできてるシーンなんですよね。「お前らのほうがおかしいじゃないか」っていう台詞はでも当時の(若干中二病がかった)自分っぽくて嬉しかった。「ドラフト、終わるまではね」とか「この世界で生きていかなければならないのだから」とかところどころの象徴的な台詞も印象的です。
神木くんは非常にハマってましたね。好きなものを語る時の嬉しそうな感じとか非常によかったです。あーこんなんなるわー。野球部のキャプテンはその辺の演技の上手い野球部なんじゃないかと思った。
日本の高校を的確に描いた青春群像劇。好きな事があるって素晴らしい。
個人的にオーストラリアの高校を舞台にした同じく青春群像劇、『明日、君がいない』と合わせて見て欲しいかも。
問題提起で終わっている
「戦おう、この世界で。俺たちはこの世界で生きていかなければならないのだから」と観客に言うのは結構だが、それは問題提起でしかない。
作者が観客に伝えなければならないのは「具体的にどうすれば『この世界』をいい方向に変えることができるか」ということを物語を通じて示唆したりすることであって、この作品で描かれることは学生にとって当たり前のことだろう。
「ハリウッドよ、これが日本の映画だ」などと宣伝してたらしいが、ハリウッドの脚本なら開始10分で提示しなければならない前提(物語のテーマ)を10倍の時間をかけて提示しただけだ。
ハリウッドの脚本家ならこう言うだろう。
「それで、いつになったら彼らが抱える問題は解決されるんだい?」
あるいは、私が学生だったらこう言うだろう。
「こんなの当たり前の現実じゃん。そんで、具体的に俺らにどうしろって言いたいわけ?」
作者は「自分で考えろ」と言いたいのかもしれないが、だったら「あなたが物語ることの意味は何なのか」と問いたい。問題提起をするだけなら「原発は問題だ」「増税って大変ね」と口で言っているだけで、具体的な解決策を考えたり行動に移したりしない人と変わらないのだから。
『無意味』なことに打ち込むってダサいですか?
原作は読んでいません。軽く調べてみたんですが原作とはだいぶ設定やニュアンスが異なるみたいですね。
必要最低限のセリフと演出で観ている人に何かを感じさせているように思いました。
最近の映画では珍しく観客の想像力を刺激する良い作品だと思います。
人物描写がとても繊細で「リアルだなぁ」と感心した所が多々あります。特に学校という、ある意味閉鎖された空間で起こりうる人間関係のヒエラルキー(階級)は自然でとてもわかりやすく「すげぇなぁ」と感心。自分はこれだけでも観る価値ありだと評価します。
ただ友達とワイワイしながら観る作品ではないですね(笑)一人で観ることをおススメします。
とりあえず自分が鑑賞してみて勝手に思ったことを
(以下完全にネタバレ↓↓)
なぜバレー部桐島キャプテンは部活を突然辞めたのか??
同じ部員にも親友にも恋人にも何も告げずに彼は辞めてしまったんですね。
一番気になるのはこの出来事なんですが・・この作品、重要な始まりと終わりの事柄をわざと失くしている。なのではっきり「こういう話だ!」と言えないようになってる。観た人によっては「ワケがわからないよ!」となっても仕方ないですね。監督に聞かないと無理じゃねって感じで(笑)
しかし至る所にヒントというか妙にひっかかったことが多々あり。
特に自分が気になった所が
なぜ宏樹は野球部に参加しないのに部活道具を毎日持ってきていたのか
なぜ野球部のキャプテンは夏が終わっても練習や自主練を行っていたのか
なぜリベロの小泉はレギュラーは無理なのに練習を頑張っていたのか
なぜ前田は映画監督は無理だと思っているのに映画を撮っているのか
なぜ宏樹は前田のインタビューを聞いて号泣したのか
最後の宏樹が号泣するシーンを観た時なーんとなくわかったようなわからないような(笑)
前田はクラスのヒエラルキーの中で底辺にいる人間。宏樹は馬鹿にはしていませんが"下"に見ていたのは間違いないでしょう。しかし前田の映画を撮っている理由を聞いた時、とてもカッコよく眩しく見えたのではないかなと思います。同時に自分がとても中途半端でカッコ悪く見えたんじゃないかなと。
以下妄想です。
宏樹はスポーツ万能ですが一人で野球部を引っ張り甲子園なんてほぼ無理。たいした結果も期待できないのに野球部を続けるのは将来的に「無意味」と考えたのではないかと思いました。それよりも塾に通い勉強を頑張るべきではないかと。桐島が部活を辞める前に宏樹は野球部をサボっているようだったので桐島ともそういった話をしていたのでは?宏樹と桐島はどうも似た者同士のような気がしてならなかったので桐島も宏樹と同じ状況(バレー部の近況を聞く限り)で宏樹と同じ結論に至ったのではないかな。
自分が出した結論はこんな感じでした。
ラストシーンで宏樹は桐島に何を言ったかはわかりませんが非常に気になります。まぁ映画に答えなんてないし人それぞれだと思います。「こんな感じ方もあるんだなぁ」ぐらいに思っていただければ幸いです。
Viva男子校
私は心底男子校出身で良かったと思った。
まあ男子校には男子校のいや~なとこもあるんだが。
群像劇において誰に感情移入出来るかで作品の解釈が変わると思う。この作品で私は誰にも感情移入出来なかった。
かといってこの作品がつまらなかったということではない。
私は最初に「あーここが結婚相談所か~」と言葉で説明してしまうコントが好きではない。その点今作は極力演技や見せ方で感情や関係を表現している。それだけでも好感が持てる。
しかしなんとも複雑というか気持ち悪い相関図だ。
ステータスや自己防衛としてのグループ。
私が「天使」と思っていたかすみもよりよって一番中身のなさそうなあいつに…。
話は最初から終盤まで気まずさと居心地の悪さに支配されていた。
多分、大多数の人が前田に感情移入するのだろう。
そしてきっとその人は自分の生き方に迷いの少ない人なのだと思う。
君よ 拭け 僕の熱い涙を
映画「桐島、部活やめるってよ」(吉田大八監督)から。
田舎町の県立高校の部活・映画部が制作したタイトル
「君よ 拭け 僕の熱い涙を」。
いかにも高校生らしい作品名だが、
高校生活で部活にも夢中になれない女子たちの会話、
「あの映画部が作った作品、なんて言うんだっけ?」
みたいな問いに対して「俺の熱い何とかを拭け、AV?」、
そして大笑いするのだが、なぜかそのシーンが印象に残る。
中学・高校で部活にも入らず、一所懸命頑張っている生徒を
批判したり、舐めきった態度をしているシーンを見ると、
映画とはいえ、腹が立ってきた。
主人公であるはずの「桐島」君は、登場しないし(汗)、
内容的には、ちょっと理解に苦しむ場面が多かった。
しかし、作品終了後のエンドロールで、
出演者の名前が表示されるが、例えば
前田(映画部)・・・神木隆之介
沢島(吹奏楽部)・・大後寿々花
のように( )で部活名が書いてあって面白かった。
「部活」って、やっぱり「サークル」や「クラブ」とは違う、
なにか特別のものなんだよなぁ。
初めて共感できた学園ドラマ
金八的なドラマを観ると、何かイベントやトラブルをきっかけにクラスがひとつにまとまったり、仲違いしてたグループが打ち解けたりする。でも、実際にはそんなことない。本屋大賞を獲った「夜のピクニック」を読んでもなんかむず痒かったし、私は今まで学園モノで共感できた作品ってなかった。大人が書く作品には、実際には使わない若者言葉が出てくることもあるかもしれない。女子が「~だわ」とかって絶対に言わないのに、今でもドラマやCMでよく使われてるよね。
この作品は高校を卒業したての朝井リョウが原作ってのと、エチュードをとりいれながら演出したっていう吉田大八の手腕とが相まって、非常に上手に「いまの子のリアル」が描けていた。(30代半ばの私が言えるかっつー話はおいといて)
桐島は評判がいいのは聞いていたけど、「スクールカーストをきちんと描いた」だけなのかなーと思っていた。そしたら「スクールカースト上・中・下」とかそんな生やさしいものじゃなくて、いろんな立場の子をきちんと描いていたことにびっくりした。
いろいろな人の感想を見たけど、言及している人がいなかったと思うのは、女子4人組の2人組×2 からなるリアルな構成。4人組を構成しているのはちょいワル系といい子系なんだけど表面上は仲良くしていて、ふとしたときに ちょいワル>いい子 の関係性が透けてくる。そしていい子組はちょいワル組を心の底では少し軽蔑している。
だったら分裂すればいいのに、って話だけど、いい子の方は上位のちょいワル2人にくっつくことで得られるメリットも多いんだろう。ちょいワルの方でも、いい子からノート借りたりとかあるんだろう。そして、2人だけでつるんでいると、片方が風邪ひいたときに1人になっちゃうリスクがあるんだよね。そういうもろもろのメリットやリスクヘッジがあって、2人組×2の4人組があるんだ。
これ以外にもいろいろな場面で設定が細かくて、リアリティに満ち溢れたステキな映画なのに、映画リテラシーの低い私ときたら 【1】桐島が出てこない、という設定に映画半ばでやっと気付く 【2】肝心の飛び降りシーンには気づかなかった 【3】バド部の地味な方がバレー部の小さい男子に惚れてたということにも気づかなかった ・・・いう有様なので、ぜひもう一度観てみようと思う。
私は中高時代がすごく嫌で、早く大人になりたかった。
勉強に精を出しつつ、なるべく学校の外に身を置くようにしていた。
でも映画部部長を観ていたら、彼のようにサブカルどっぷりの仲間と語り合える場に身をおいてもよかったかもな、て思った。
不思議な感情
とにかく衝撃的。
こんなにココロが震える体験は滅多にない。
自分が高校生だった時、どんな生活を送っていただろうか。自然と考えてしまう。登場人物の誰にあてはまるわけではないけど、それぞれ共感できる部分がある。あの時は主観的な物の見方をしていたと感じる、自分は割と客観的に物事をみるタイプだと思っていたけど、この映画をみて、やっぱり自分の世界は自分の主観でみているのだと実感した。自分では気づけないような事を、気づかされた気がする。自分は一体なんなのか、何がしたいのか、どうあるべきなのか。これを観て何かが解決するわけではないから、スッキリした気持ちにはならないかもしれない。しかし、悩み、考えることは一生続くことだし、登場人物一人一人の行動は、自分にとって何かのヒントになるかもしれない。人は誰でも悩みを抱えている、しかし、分かり合えることは極少ない、それでもみんな悩んでいるという事だけは、覚えておく必要がある。
撮影方法も演出もよかった、ミサンガのシーンやクライマックスが印象的だった。なによりキャスティングが最高、メイン的な橋本愛、神木隆之介、大後寿々花、東出昌大はこれからも活躍してほしいと思ったし、脇を固める配役も存在感があって素晴らしい。
言いたいことを言い出したらキリがない、それくらいのメッセージを受け取った。正直、つまらない、と言っている人に何故だと言いたいくらいだけど、それもこの映画の特徴だと思う。見る人によって全く違う見え方がすると思う。
そして、大人が観た方が面白く感じる映画だと思う。超オススメです
やはり『パーマネント野ばら』はマグレ当たり
傑作『パーマネント野ばら』と、駄作『クヒオ大佐』という作品を監督の吉田大八は撮っている。
で、今回、『桐島、部活やめるってよ』は、どちらに転んだか
結論から言うと『桐島〜』は、その二本の中間に位置すると言っていい。
つまり、駄作じゃないが傑作ではないという事だ
何より、キャラクター造形がアメリカ映画のように単純過ぎる。
体育会系のイケメンとヤリマンはセックスしか頭にない。
或いは、文科系は基本的にオタクであり、見た目もイケてない。
交わりのない、そんな彼らの日常が桐島が部活をやめるという事で、にわかに交錯し始める訳なんだけど、この肝心の桐島が本作に登場する事はない。
それを斬新と取る向きもあるかもしれないが、やはり、物語の要になる人物が登場しないという、やり方に疑問を感じてしまう。
吉田大八は『パーマネント野ばら』で存在しないキャラクターを画面に出す事で、主人公の悲しみを観客に共有させる事に成功していた(その事で、今回は、あえて桐島を出さない手法を選んだのかもしれないが・・・)。
あと、最初の金曜日は、一つの出来事を登場人物の視点を変えて描くんだけど、何度も字幕で“金曜日”と出るのは観客をバカにし過ぎだし、説明セリフも多過ぎる。
それから、映画部が必ずゾンビものを撮影しているというのはいい加減飽きた
ついでに役者陣の演技力の差も歴然としており、神木隆之介や大後寿々花、橋本愛はキチンと演技してるが、他は演技力無さ過ぎ
唯一、坊主頭の野球部のキャプテン役はリアリティがあって良かったな
終始退屈、落ちも無い。
学園生活における自分の立ち位置に感情移入する作品と前評で聞いていたのですが・・中身はただただ学園生活の垂れ流し、これといった見所もない。タイトルになっているキーポイントの桐島君が終盤に向けて何か明かしてくれるのかと思いきや、最後まで出てこないで終わり。
結局タイトルに深い意味はなく「クラスの有名人がいなくなってクラスの空気がドタバタしちゃったよって」だけ。現実でもよくあるシーン(失恋とか部活に対する思い)とかに感情移入して欲しかったのかな?普通のその辺にあるような学校見学しているんような映画でした。
途中から退屈で飛ばして見ました。借りて失敗しました。
「桐島組」の流血の意味
映画「桐島、部活やめるってよ」を遅まきながら観た。「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」を撮った吉田大八監督の演出はやはりおもしろかった。ガス・ヴァン・サントの「エレファント」のように一つの出来事を複数の視点から見せる群像劇で、それぞれの人物の光と影が描かれているのも魅力的だ。まだ原作は読んでいないが、映画作品の描くテーマと映像表現について感じたことを覚え書きしておく。ネタバレ。
<桐島不在の意味>
映画のオープニングは、11月下旬、担任が空白の進路希望書を配る高校2年の教室。生徒たちが卒業後の生き方、自己のアイデンティティについて真剣に考え始める時期だ。このタイミングで起きた「事件」、バレー部キャプテン桐島の突然の不在によって、生徒たちは自己のアイデンティティの一部を削がれる危機に直面してしまう。
桐島が精神的支柱だったバレー部の部員たち、桐島の部活が終わるのを待つことを日課としていた帰宅部たち、桐島の連絡を待つことしかできないガールフレンドの梨紗はそれぞれ、「桐島がいるバレー部」、「桐島を待つ帰宅部」、「桐島の彼女」というアイデンティティに甘んじ、不完全な自分たちの1日を桐島というピースで穴埋めすることで、充実した高校生活を自己演出してきた。
自己を完成させるためのピースを失った彼らの動揺、悲壮感が顕著に映し出されているのが、桐島の代役を課せられたリベロの風助が体育館の練習で激しいサーブの連打を受けるシーンだ。コートに差す強い光は風助の表情に影を落とし空気は重苦しい。マシンガンの弾のように打ち込まれるサーブは、桐島の代役という周囲そしてそれ以上に風助自身が自分に対して課している強いプレッシャーのように厳しく降り注ぐ。
強豪バレー部のベンチに甘んじていた風助は、左右に打ち込まれるサーブに翻弄されるがごとく、代役の重圧を前に自分の立ち位置すら決められずに右往左往し、ついには「何とかしようとしてこの程度なんだよ。この程度なんだよ、俺は!」と根をあげる。その叫びには、桐島という他者を自己のアイデンティティの一部として倒錯するほどに桐島に依存してきた「桐島組」の、自分の身一つでは世間の期待に応えられるか分からないという自己喪失、自信喪失の苦しみと弱さが代弁されている。
<「かっこ悪い」前田が与えた衝撃>
桐島の不在でつぶれそうな生徒たちとは対照的に、その影響を受けず逆に周囲からの期待に反抗し「かっこ悪い」自分を等身大で見据えているのが主人公の前田だ。彼はゾンビ映画の制作を顧問に反対されるが、映画祭に通らなくても自分の撮りたいものを撮ることが大事だと、窮屈な部室で漫画を読んでいた映画部員たちを鼓舞する。
屋上のラストシーンでは、帰宅部の菊地に将来はアカデミー賞かと冗談半分で問われるが、それはないと真面目にきっぱりと答える。前田の言動が示すのは、周囲からの期待や結果はどうあれ、自分に過度のプレッシャーをかけずに、今できることに打ち込むという彼の等身大の姿勢だ。
プロへの希望を失わずにドラフトが終わるまで野球を続ける野球部主将の姿勢とも平行する前田のこの安定感は、「結局できるやつは何でもできるし、できないやつには何もできないっていうだけの話だ」と、ひたむきな努力を切り捨てる発言をした菊地に衝撃を与える。それは菊地こそが誰よりも周囲そして自分自身の自己に対する期待の大きさに怯えるあまり自己を確立できず、プロになる自信のない野球を続けることに不安を感じているからだ。
菊地の迷いは、自分がいい選手であるにも関わらずやりたいはずの部活への参加をぎこちなく断り続け、主将になぜ野球を続けるのか尋ねる消極的な挙動に現れている。そんな菊地は前田に8ミリカメラを向けられると、具合悪そうに後ろを向いてしまう。前田が回すフィルムに映る菊地の後ろ姿は、自分の気持ちとまっすぐ向き合うことから逃げてきた彼の弱い心の姿そのものである。それは、向けられたカメラにまっすぐ向き合っていた前田の姿とは対照的だ。
<流血の意味>
校内の別々の世界で生きていた、桐島の不在に戸惑う「桐島組」と、ゾンビのメイクや女装をしたかっこ悪い映画部が初めて面と向かって対面するのが「近未来的な」屋上でのクライマックスだ。
校舎内の教室や体育館などでは常に教師や同級生たちの目、期待が影を落としていたが、光があふれる屋上で生徒たちの緊張は一時的にほどける。広い街と空、すなわち卒業後の彼らの未来がある世界を背景に、彼らはここで初めて桐島を抜きにした等身大の自分と本音で向き合い始める。
桐島不在に焦燥感を爆発させたバレー部の久保は映画部の小道具を思い切り蹴り飛ばす。久保に謝罪を求める映画部員たちの「謝れ!」という叫びには、日頃「桐島組」に劣等感を味あわされてきたことに対する復讐の念がにじむ。沙奈の他者に干渉する言動に日頃嫌悪を感じてきたかすみは、衝動的に彼女にびんたをくらわす。
吹っ切れた前田は、運動部の生徒たちや想いをよせる彼氏もちのかすみがゾンビに食われておびただしく流血する映画のシーンを妄想をする。この妄想には、日本の鑑賞者を含む「桐島組」に向けて監督吉田大八が自身を前田のキャラクターに重ねることで発したメッセージが込められている。まず、血については、映画部員の武文が顧問に血のりを使うことを禁止をされたことを受けて、血は人間なら誰でも流れているじゃないかと、つぶやく言葉が鍵となっている。
イケてるバレー部も帰宅部も女子たちも、他者不在で身一つになれば、自分の肉体に流れる血、すなわち自分の本来の性質が放出され、傷と血、欠点を隠せない非完璧な自己のアイデンティティと向き合いそれをさらしながら、周囲と自分自身に課される期待の目に耐えて、「この世界で生きていかなくてはいけない」のだ。
ついに最後まで目の前に現れない桐島は、他の誰よりも重いプレッシャーに苦しんでいたかも知れない。学内のヒーロだった彼のアイデンティティこそ、誰よりも学内の同級生たち、他者の存在によって補完されているものだった。彼が彼自身のアイデンティティを保証していた学校という世界から不在であるという事実は、彼が「流血」し、学校の外の広い世界で等身大で生きていく歩みを始めていることを示唆している。
あまずっぱい
前々から気になっていた作品で
ようやく観ることが出来た。
内容は高校時代の日常を描いた映画。
若い子が観てもピンとこないかもしれないが、
30代以降は昔を懐かしむことが出来る、
甘酸っぱい青春ドラマになってる。
学生の頃は大した事ではない事でも一所懸命生きてたな
というのを思い出させてくれた。
桐島は一瞬だけしか登場しない
ストーリーは学校のヒーロー桐島が部活を辞めるだけのことだが
その事件を色んな視点で追いかける。
いけてるグループ
いけてないグループ
高校生活では良くわからないステータスで上下関係が決まっていて
それが全てだった。
その感じが良く出ている映画。
本も読んでみたくなった。
昔の自分を見るようだ( ゚д゚)ハッ!
結論から言うと・・・
邦画史上最高峰の大傑作( ゚∀゚ノノ゙パチパチパチ
これほど哲学的で、ノスタルジックで、多幸感があって、そしてリアルな高校生の雰囲気を描いてる映画は見たことない。
俳優陣の演技もさることながら、役のはまりっぷりもキャラの立ち方もほんと゚+(*ノェ゚)b+゚ ★ お見事 ★
映画を観てるうちに本物の高校生活を切り取って見てる錯覚を覚えましたわ(゚∀゚)アヒャ
一時期高校で臨時の先生やってた経験もあるし、その頃の雰囲気と自分が高校生だった頃の雰囲気、そしてこの映画の雰囲気を感じ取って、学校も生徒もいつの時代も変わらんな~と改めて思い知りました。
桐島という生徒がバレー部を辞めるという実に取るに足らないことで学校中が大騒動になっていく様が実にリアル。
下グループの女子に嘲笑される様なんて、ほんと身につまされる(;・∀・)
俺も似たような感じだったし、何か女子同士がひそひそ話してると何か自分の陰口を言われてるような被害妄想を覚えたりしたもんです(笑)
「今の話聞かれちゃったんじゃない?」
「いいよ別に。」
この空気としか思われてない感じは・・・いたたまれない(-_-;)
そして女子同士の表面上仲はいいけど裏では・・・みたいな感じも良く出てて(・∀・)イイ!!
映画部2人のやりとりなんて、ほんっといけてないグループのリアルな雰囲気が醸し出されててΣd(゚∀゚d)イカス!
ジョージ・A・ロメロなんて名前が出て来たり、映画秘宝を読んでるなんて下りも俺にとってはъ(゚Д゚)グッジョブ!!って感じです。
「おまた~」
「夢の中に満島ひかりが出てきたよ~」
キャハハハハッ!!(≧▽≦)彡☆バンバン
帰宅部グループのだらだらした何気ないやり取りも「あ~いるな~こういう高校生」って感じがして(゚д゚)イーヨイイヨー
そして神木龍之介と橋本愛がたまたま映画館で顔を合わせて、ちょっといい感じになったかと思った時の「これいけるんじゃねえ?」感もかなりイイネ♪d('∀'o)
観てる間ずっと自分の高校時代を重ねてたo(`・д・´)o
懐かしさといたたまれなさが常に同居してる感じで、こんな複雑な感情を持ちながら映画観るのは初めてかも(・∀・)
そしてそこに拍車をかけたのが、俺は吹奏楽部だったから屋上とか校舎の外で1人で練習するシーン、そして全体演奏するシーンはほんっと~~~~~~~に懐かしかったし、練習きつかったな~という感覚も思い出した(;´Д`)
進路に悩んだり、何も熱中できるものがないという感情も良く理解できるし、体は成長しきってるけどまだ精神は子供だし、学校という1つの世界でしか物事を推し量れない高校生の内面描写の素晴らしさは見事と言うしかないですほんと(。_。(゚ω゚(。_。(゚ω゚(。_。(゚ω゚(。_。(゚ω゚ )スペシャルウン
桐島はなぜ部活を辞めたのか、なぜ学校に来ないのか、そしてなぜ電話をしてもメールを送っても連絡がつかないのか・・・
その辺りの理由は全く示されないし、桐島自体も映画には出てこない。
桐島はバレー部のキャプテンでバレーの実力も相当で、さらに勉強もできて・・・
もう学校でも誰もが知る超有名人で大スター(゚∀゚)
その桐島がいきなりバレー部を辞めるという話が持ち上がるだけでみんなが慌てふためいてどんどんおかしな感じになって・・・
桐島が来たという一報が届いた途端にみんな一気に爆発する。
ネットでは「桐島=キリスト」とか「桐島=カリスマ」とかいう説が出てるみたいだけど、確かにそうとも見えるのはうなずけますな。
とにかく桐島の一挙手一投足に学校中が振り回されて、皮肉なことにその桐島のために屋上に集まった生徒を蹴散らすのが、桐島とは一番遠い立場にいると言える神木龍之介演じる前田涼也Σ(゚Д゚ノ)ノオオォッ
前田は教室ではおとなしいけど、映画に対する情熱は尋常ではなく、常に映画秘宝を持ち歩いてるくらいのコアな映画おたく。
桐島はどこだと言う連中を「お前等邪魔するな!!こいつらを全部食い殺せ!!!」とその状態をゾンビ映画の1シーンにしてしまうという離れ業をこなす工工工エエェェ(゚Д゚)ェェエエ工工工
結局桐島のために集まった連中を、桐島から一番遠い存在の前田が解散させる。
そして桐島の親友でありながらも、桐島に電話を掛けたりメールをしたりはするけど実際に家に会いには行かない菊池の感情を前田が揺さぶる。
学校のカーストって、田舎であればあるほどこの落差の激しさ、そして交わらなさは極端だと思うけど、学校にいる間にこれをぶち破ることは実際には(ヾノ・∀・`)ムリムリ
しかし高校生活は限りがあることはみんな分かってる。
卒業するまでは、甘んじてこの環境で生活していかなければならないのも現実。
部活を辞めたとか辞めないなんて、それほど大した話ではないんだけど、狭い世界に生きてる高校生にとっては一大事なわけだし、学校の世界が全てではないと卒業してから初めて分かる。
だからこそ学生のうちは好きなことに熱中することが許される訳だし、桐島が部活を辞めるという取るに足らないことに大騒ぎもする。
もし高校時代の自分に会ったら
「今は色々辛いかも知れないけど、お前は卒業後こうなってああなって・・・だから安心しろ!!頑張れ!!!ファイト━━(ノ゚д゚)人(゚Д゚ )ノ━━!!」
と言いたくなった(^O^)
とにかく噛めば噛むほど味が出る映画。
これから何年か経ってからまた観ても、きっと同じ感想を持つと思う(゚∀゚)アヒャ
1回見ただけじゃちょっと分かりづらいのも事実で、見た後色々考えたり話をしたりすることで理解も深まるし、今まで気が付かなかった面も発見できるという、底なしに奥が深くて味わい方も色々できるという稀有な映画。
超お勧めです(`・д・´)9m ビシッ!!
桐島、10年後が見たいってよ。
校内一の話題保持者、桐島がとある金曜日にバレー部を辞めた。
…それがどうした?と思うのが現在の自分で、
それは事件だね~!?と取り合えず話題を振るのが当時の自分。
これは、そんな区分けをしながら観てしまう作品。
巧いと思うのは、過去も現在もそうは変わっていない狭い世界で
(一学校の一校内っていう)
さらには部活動という、帰宅部にとってなんの価値も見出せない、
誰が偉くて誰が下等という、謎の優劣がはびこる当時の世界観。
それが全てだった人ほど、今作にはグッとくるんじゃないだろうか。
あーいたいた!うん、あったあった!といちいち頷きたくなるほど
登場人物達の描き分けが巧い。
まったく姿を見せない桐島が相当デキる奴なのは言うまでもない、
でも行動そのものはまぁ褒められたもんじゃないなぁ、迷惑かけて。
ただ騒いでいる連中はいいとしても、仲間や友人にもあれでいいの?
本当に優れた奴は他人への配慮も忘れないもんだよ。
取り残された太賀を見てたら、可哀想で涙が出そうになったぞ。
(まぁ、結局は彼もあれで良かったんだけどね)
もちろんまだ学生だから、そう完璧人間に描かれないのもまた然り。
悩みに悩んで出した結論なのかもしれない。そんな葛藤が
描かれずして妄想できるところも、また演出方法の妙技である。
…結局のところ、彼らは桐島が部活を辞めようが続けようが、
自分の進路は自分で決めねばならないし、彼の抜けた穴は、自分達で
埋めるしかないわけだ。頑張れ!学生諸君!…なんて応援したりして。
青くて若くて初々しいとは(懐かしすぎて)こんなに躍動感に満ちている。
多くの不満も情熱も各々が抱える問題と照らし合わされ、其々の立場、
進むべき方向を示唆している。今それが当たり前のように見えてるのは、
下らない問題をすでに下らないと思える年代だからで、自分が懸命に
生きていた頃などは思いもしなかったことだ。今思えば…バカみたいな
問題に振り回され、バカみたいな相談に乗り、バカみたいに笑いこけて、
バカみたいに腹を立てていたあの頃が懐かしい。今の若い学生達にも
そんな感情が嬉々として残っているなら、それこそ素晴らしいことなのだ。
たかが一人の人気者に振り回されてしまう、
認識すらしていない連帯感が自分と周囲の距離を測る絶好のタイミング。
様々な分野の人間を見つめた菊池が、最後に気付くものは何だったか。
映画部の武ちゃん(武文)、現在と未来を見渡す説得力ある解説がいい。
自分の立場と実情を踏まえた見解は素晴らしかったけど、
あの彼とて社会に出ればまた揉まれ、更に辛酸を舐める時がやってくる。
前田(映画部)や高橋(野球部)のように叶わない夢を語るのもまた然り。
モノになるかどうかなんて問題じゃない彼らには、ロマンが満ち溢れてる。
チャラチャラと桐島にくっ付いている連中と、彼らから最も離れた連中の
危機迫るラストの食い荒らし方が、まるで意味を持たない鬩ぎ合いである
ことが最大の救いで、須く終焉を迎えるところも夕暮れと合わせて美しい。
自分にとってまったく興味のない分野にいる人間が放った一言に、
人生最大のショックを受けてしまった経験って、過去にないだろうか。
観終えて面白い(面白かった)と思えるのは、
今作で描かれていたように、学生時代に花形(古い?)だった人気者が、
社会に出て、何年もしてから偶然出逢った時、「へっ?マジ?」と思うくらい
パッとしなくなっているという「あのヒトは今」な実態と、
名前すら覚えていなかったような地味な同級生が、一躍有名人に躍り出て
いる仮想世界のような現実。人生、何があるかなんて未だに分からない。
桐島という象徴を自分から切り離して、あぁそんな奴もいたよね。と、
自分自身に没頭できる生き方もいいし、アイツがいたからオレも頑張れたと、
思いきり取り込んで妄想に浸れる人生もアリかもしれない。
あらゆる可能性と卑屈な精神性、伸びやかな思考に私利私欲を兼ね備え、
行ったり来たりの人生を苦しみ楽しみ生きて欲しい、十代に捧げる作品だ。
(しかしオンナって怖いでしょう?愛ちゃん寿々花ちゃん上手すぎるわねぇ)
自分の中にもある
経験に無くても見覚えのある気持ち、景色、人間関係。
かなりリアル。青春の羨ましい部分と味わいたくない部分。
いざこざが起こっても一人の女子以外は全員いいやつで愛すべきキャラクター。全員自分なんですよ。
片想いのエピソードとバレー部のエピソードは切なかったな、特に。
全シーン全キャラクターがラストにどうつながったかあんまりよくわかんなかったけど。
神木くんの芝居で片想いの相手の橋本愛さんがすごく好きになりました。
舞台挨拶では「(自分)、(何々)やめるってよ」にかけた願掛けが役者の半数が願掛けとして意味をなしてない。
深夜アニメを生で見るのをやめるとか泣き虫をやめるとか、ヒット祈願になってない。だれか大人が教えてあげるべきだったと思う。
サッカー選手がなぜか出てきた舞台挨拶。サッカー選手の面白さがすごかった。司会の伊藤さとりさん含め誰も役者に突っ込まない舞台でサッカー選手が出てきたことでなんとかなった感がある。
あと生で見る神木くんはかっこよかったけど、スクリーン内の神木くんは
髪がサラサラで今でも若干かわいかったです。
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