別離(2011)のレビュー・感想・評価
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程よい曖昧さかな
このイラン映画素晴らしいです。
「別離」余韻に浸っています。映画全体に優しい感情が満ち溢れている!
ひとりひとり訳があり、頑固だったり、妥協したり、夢の実現、自分の信じる宗教、
献身、孤独、ジレンマ、老いる、子供に対する愛情、盛りだくさんなエピソード
だけど押しつけがましい所がない。これは最初から最後まで引き付けられて目が離せなかった。
不完全な人間だからこその嘘、危なげだけど自分だけではない、守らなければいけない存在の為もある。
それが良い事なのか過ちなのか解らないけれど、皆必死に生きていると感じました。
私にもこんなところあるなーとか、突き当たってしまった時のオロオロ度これも理解できる。
共感しながら、許しながら、子供たちの事考えながら観終わりました。
11歳の娘さてどちらを選んだのでしょう。
彼女は両親が又復縁してくれる事を願っていたけれど、叶わなかったわね。
でも、この映画の中で見えてきたものは、ふたりともが娘を愛し、
娘も親を思い、だからどちらに行っても幸せになれる気がしますよね。
どちらを選ぶか目の前で言わなかったでしょ。これは娘の思いやりなのよ。
今回の事で彼女は大きな成長を遂げたわね。
両親が調停の結果を待つエンドの場面の心情、その時始めて音楽が流れていた。
今まで音楽は?と考えたらそれを忘れてしまうほどだったんだーと・・・。
あのペルシャ文字も好きだなー。
男の嘘の罪深さ
この作品では2つの家庭を中心にストーリーが展開するが、一つは中流階級で離婚直前の夫婦と中学生の娘、もう一つは貧しい階層の家庭でイスラムの教えを守っていて、とくに妻は敬虔な信者で、幼児がいる。
その二つの家庭が裁判で争う中で、イラク社会の構造的縮図のような問題が浮かび上がってくる。
この作品の胆となるのは「嘘」だ。
イラクのような(そしてそれは、日本でもほんの数十年前まで同じだった)封建的な男尊女卑の社会において、男は嘘や誤摩化しを日常的に使い分けて社会で生きている。
映画の序盤、貧しくも若く敬虔なイスラム教徒であるラジエーは、暴力的で稼ぎのない夫に内緒で、ナデルという中流階級の家庭の家政婦として働こうとする。ナデルは、妻シミンが外国で暮らす事を望んだ結果、今は妻と別居し、認知症の父の面倒を見なくてはならないため、ラジエーを雇う事になった。ところが、ナデルはラジエーに父が認知症である事を隠していたため、ラジエーは1日で仕事を辞めようとする。結局、その後も働く事になるが、それが登場人物達をさらに悲劇へと導く事になる。
この序盤で描かれているのは2つの嘘だ。ラジエーは暴力的な夫に内緒で働きに出て、ナデルはラジエーに父が認知症である事を隠して仕事を依頼する。互いに「嘘」を抱えて物語が始まる。しかし、ラジエーの嘘と、ナダルの嘘は、本質的に全く異なっている。ラジエーは家族の生活と夫の暴力を避けるための身につまされる嘘であり、一方のナダルは自分の目の前の問題を安易に解決するために、明らかに女性に対して軽い気持ちで誤摩化した嘘である。
「嘘」には、良い嘘も悪い嘘もない。
しかし、立場や階級が違えば、その嘘の本質は絶対的に異なってくる。
物語の終盤、ラジエーの夫は妻の流産の真相を知り、確信が持てないままナダルに責任を押し付けるような証言を拒む妻ラジエーに対して「神に対しては俺の罪になるから、コーランに誓え(嘘の証言をしろ)」と妻に迫る。妻ラジエーは、神からの厄を畏れそれを拒否する。
同じく終盤、ナダルは、裁判で嘘の証言をしていた事を娘のテルメーに見破られ、真実を言う事を誓うが、結果的にテルメーに嘘の証言をさせてしまう。その後、テルメーには、ナダルがこれまでにしてきた小さな嘘やほころびが、徐々に見えて来るようになってしまう。
男たちは、見栄や金を優先し、神や家族の気持ちを蔑ろにする。ラストシーン、様々な人が行き交う裁判所で、ナダルが孤独であることが延々と映される。父の病いを憂うナダルは、悪人ではない。本人は強い悪意で嘘や誤魔化しを繰り返したわけではないだろう。しかし、彼は妻や子供を失った。その不条理さが見終わった後に余韻として残る。
中流階級の家族にとっては子どもが、下層階級の家族にとっては宗教が、男たちの嘘の罪深さを浮き彫りのしている。嘘と信頼、男尊女卑、介護問題、夫婦の関係など、普遍的な社会問題を、2組の夫婦を描く事で対比させ、分かりやすく描いているのは素晴らしい。このレビューの冒頭で「2つの家庭を中心に物語が進む」と書いたが、あくまでも主人公は中流階級のナダルだ。カメラの視点(観客の眼差し)は、常にナダルとその家族から見た世界や心情描写である。そのためラジエーやその家族に起きているであろう状況について、観客自身の想像力で補うしかない。その突き放した描写がとても効果的。非常によくできた脚本。
ただ、全体的に重苦しく、最後まで息が詰まる。
この息苦しさは、ある意味でイランという社会の抱えて閉塞感を表しているのかもしれないが、とても疲れた。
歯車がズレる
一つの歯車がズレると全体のバランスが崩れるのだなと家族を持つ者としてゴクリと唾を飲んだ。舞台がイランという事で、宗教の解釈の違いこそあれみんな自分を律しきれてると思ったら、自分や誰かを守るために嘘をつくし、相手をなじり罵倒したり人間臭くてよかった。夫婦愛の話かと思いきや裁判を中心に話が流れて目が離せなかった。全く知らなかった世界の扉を開けてくれた映画。
畏れを知る、という知恵
隠し事をしている信心深い女性が「コーランに誓えない」とジタバタ悩んでいる姿がなんだかうらやましくも美しく。
畏敬、自分よりおおきな存在に畏れをいだく、ということは、生きるという大海の中にあって灯火をみいだすようなものかもしれない。
重いなぁ…
引き込まれました。
イラン映画という事で、宗教色が濃いかと構えていたらそうでもありませんでした。
内容は分かりやすい物語です。
別離というタイトルが示す通り、一組の夫婦の離婚話です。
そこから派生する出来事に面白さのポイントがあるのですが、人々を巻き込んで行く様は見事です。
見ている自分自身も、その場にいるような錯覚を覚えます。
日本にいる私達にも、ありふれた出来事として、抵抗なく受け入れられます。
「どこの国でも似たような悩みはあるんだなぁ」と、感心さえしてしまいました。
しかし、物語が動き始めた中盤からは、一気に閉鎖的な状況へと移り変わり、緊張感ある展開が続きます。
人の業というか、優しさというか、なかなか想いが伝わらず、もどかしいです。
見終わってから、明日からは、広い心で優しく生きて行こうと決意しました。
他人を想いやりたい方にオススメです。
妻子より親を優先させる亭主の姿勢
洞察を幾重にも塗り重ねたような脚本がもうあまりにも素晴らしい。他の要素にも文句の付け所見当たらず。ただ、妻子より親を優先させる亭主の姿勢にそもそも共感し難いし、切なすぎるのでちょっと苦手。しかし傑作であることに異論はない。
無垢な少女の瞳が見ている
昨年のベルリン国際映画祭金熊賞を受賞したイラン映画。
複雑な心理ドラマと聞いていたので途中でギブアップしそうだなと思っていたら、なかなかどうして引き込まれた。しかし同時に胸が痛い。
14年連れ添ったナデルとシミンの夫妻は離婚の危機を迎えていた。
ナデルはアルツハイマーを患う父を思い国内に留まる事を望み、シミンは多感期の娘を思い国外で暮らす事を望んでいた。
離婚は受理されなかったものの、シミンは実家に戻り、ナデルは父のヘルパーとしてシミンの知人の紹介でラジエーを雇う。
ある日、ラジエーは用事で外出、その間に父は意識不明になる。
ナデルは激怒し、ラジエーを追い出すが、その際妊娠していたラジエーは流産してしまう。
この事を知ったラジエーの短気な夫ホッジャトは訴え…。
食い違う証言は「羅生門」を、擦れ違う心と心は「バベル」を彷彿させる。
それでも「バベル」は人と人の繋がりの希望を感じさせたが、本作は底無し沼にハマっていく。
お互い一歩も退こうとせず、言い分には一理ある。父の為、娘の為、生活の為、己の為…。
誤解、行き違い、擦れ違い…言い争えば言い争うほど、自分自身と周りの哀しみが雪だるま式に増していく。
お互い非が分かったとしても後には退けず、ズルズルと泥仕合を引きずる。
その哀しみに心が引き裂かれる。無垢な少女テルメーの瞳がそれを物語る。
ある家族の、悲痛に満ちた崩壊劇
「別離」は映画史上最も悲しい映画だと言っても過言ではない。ある事件を境に2つの家族が争い、そしてその家族事態も崩壊の一途をたどる。徹底したリアリティがこの映画の要だろう。
ナデルとシミンは典型的な中流家庭である。大きいアパートメントに住み、車は外車だ。娘を女子中学校(それもおそらく私立だろう)にやり、一見すると幸せな家庭だ。だが夫婦の間には映画が始まった時点で決定的な亀裂が生まれていて、それは深くなるばかりだ。その間で引き裂かれる娘の悲しみは計り知れないものだろう。
それに対し、ラジエーとその夫ホッジャトは日々を生きるのに精一杯だ。無職のホッジャトに代わり、遠方からヘルパーの仕事をするラジエー。特にラジエーは信仰心が厚く、これが後々重要なポイントとなってくる。ただ普段から明確な信仰を持ち合わせていない私にはある意味で最も共感できない箇所であった。
彼らの間に共通するのは嘘をつく、ということだ。誰しもが家族のために嘘をつき、それがさらに亀裂を深める。彼らの娘達でさえも嘘をつく。あまりにも悲しくやるせない状況だ。ナデルの娘テルメーが嘘の証言をした後に涙を流すのはその最たるものだろう。
この映画では最終的な事件の結末は描かれていない。だがかすかにでもあった家族の絆は今やどこにもない。あまりにもリアルで無残なエンディングであった。
(2012年5月20日鑑賞)
今年NO1の名作!是非観て欲しい!
今年の上半期観た映画の中で1番面白い映画だった!
今年とは限定せずに、私の映画観賞歴の中でも、絶対にこの作品は上位にランキングする作品です!
私の下手なレビューは読まなくても、これこそ、素直に観て欲しい作品だ
その面白さの秘密とは、観て頂ければ誰でも納得される事だと思う。
本作は、今では一見して誰の家庭でも起こり得る、平凡な中年夫婦の離婚話しが事の始まりの映画だ。
離婚の申し立てを家裁へ申請する所から映画の物語は始まるのだ。しかしこの夫妻のケースでは、有り触れた離婚劇である筈の家族のドラマが、まるでミステリー小説を読んでいる様な感じでグイグイと物語の中へと、どんどん惹き込まれて行ってしまうのだ。
そして悪気が有る訳でも無い妻シミンは一人娘の将来を考えて海外移住計画を準備していたが、夫のナテルは父親が認知症を患ってしまう事から、国外へは行けないと主張し、父であるナテルの同意無くしては、母親と娘だけでは、国外移住は認められないと言うから、大変ややっこしい大問題へと発展して行ってしまうのだ。この家族の誰もそれ程悪人でも無く、極一般的な平凡な人達なのだ。そして私達の様な普通の人間が何の気無しに、嘘を言ってしまう、嘘と言うよりは、あえて言葉に出さないと言う事で、嘘では無いが真実を隠してしま事も有ったりするのだ。
この映画の登場人物のそれぞれみんなが、人を傷つける悪意は決して無いのだが、少しずつだけ真実を告げない事で、大きな結果の違いを産んで行ってしまうと言う、あの「バタフライ現象」が起きて、その結果は誰も予測出来ない結末へと向かって行く物語だ。
文句無くこの作品の脚本は絶品である!観客の目を惹きつける。
そしてこの夫妻の一人娘テルメー役を演じているのは、この作品の脚本と製作と監督を務めるアスガー・ファルハディーの実の娘のサリナ・ファルハディーだ。
この作品が彼女のスクリーンデビュー作を言う事だが、この難しい役処を巧く演じているのは、流石この監督の娘だけあって才能を受け継いでいるのだろう!
そして、この映画のラストの終わり方がまた素晴らしい!是非あなたの目で確かめて欲しい!
アカデミー賞を獲得した離婚劇の「クレイマー・クレイマー」や、「家族戦争」などの作品がハリウッドでは、かつてあったが、到底この「別離」には及ばない作品なのだ。
今年のアカデミー賞の外国映画賞を獲得したのも納得のいく作品だ!
私はまだ残念な事にこの監督が創られた作品は今回が初めてだが、今迄の作品も是非観て見たいと思う!アラブ圏の映画は日本では余り観る事が出来ないが、良い作品は事の他多いのだ!ハリウッド映画の様な特撮を駆使した様なハデな作品は少ないかも知れないが、しかし人間の心理に根差した、そして宗教の倫理も相まって見事な見せ場の有る堂々とした作品が一杯だ!あなたにも、是非観て欲しい映画だ!
全世界・全時代で共通の悲劇
『ああ、ここにあるのは悲劇だ。汝の名は役者か観客か。
運命の操り人形にも檻の外の傍観者にも、変えられるものは何一つない。』
……本作を観ながら思い出したのはそんな一節。
シェイクスピアの引用とでも言えれば聞こえが良いんだろうが、とあるゲームに登場した一節の引用。
映画を観ている間じゅう、歯痒くてしようがない想いだった。
きっかけはほんの些細な嘘や勘違いに過ぎないのに、
石ころが坂を転がるように、ゆっくり、しかし加速度的に事態が悪化してゆくのを
観客はただ固唾を呑んで見守るしかできないのだから。
結局、誰の嘘が一番罪が重かったのだろう?
誰にも落ち度はあったし、自己保身の為だけに吐かれた嘘もあった。
だが誰も悪いと思えないし、責める気にもなれない。
だって皆、罪人と呼ぶにはあまりに慎ましくいじらしい人々だ。
娘を自由に生きさせたかっただけなのに。
老いた父を見棄てたくなかっただけなのに。
好きで病気を患った訳じゃないのに。
好きで仕事を辞めた訳じゃないのに。
苦しい家計の手助けをしたかっただけなのに。
家族みんなで、仲良く一緒に暮らしたかっただけなのに。
夢のように大きな幸福を望んでた訳じゃない。
ただ平穏な生活を——幸福と呼ぶにはあまりにささやかな幸福を——望んだだけだった。
なのにどうして、どうしてこんなに壊れてしまったんだろう?
映画内で静かに、しかし常に見え隠れする貧困の影。
“その日暮らし”というほどの窮状ではないが、
何かのきっかけがあればあっさり崩れ去ってしまいそうな危うい経済状態。
『何が悪かったのか』と訊かれれば、全てはそこに行き着くのだろう。
それは最早、個人の力ではどうしようもない話になってしまうのだけれど。
少女が父と母どちらを選んだか明らかにされないまま映画は終わる。
観客としては気持ちが宙ぶらりんのまま劇場を追い出されたような心持ちだが、
あの無垢な少女が、嘘を吐かされ、憎しみの眼差しを浴びせられ、
挙げ句『親を選ぶ』という残酷な選択を迫られた時点で、
物語は既に救いようの無い結末を迎えていたのだという気もする。
ああ、ここにあるのは悲劇だ。
貧困ほどに人の心を追い詰めるものは無いし、
暗い眼をした子どもほどに悲しいものは無い。
それはきっと、どんな国に住もうと、どんな信仰を抱こうと変わりはしない悲しみだ。
全世界・全時代に共通する悲しみだ。
<2012/7/15鑑賞>
リアリスティックに、ひたすら重い。
重い!ひたっすら重い!一分の隙もなく重い!
そして救われない!
アカデミー賞外国映画賞を受賞してなきゃ確実に自分は観ないタイプの映画です!
『羅生門』にも例えられてるみたいですけど、俺はんん?そうなのか?という。
勿論、多角的な視点からの証言を重ねていくプロセスはそう思いましたけど、黒澤映画の様なエンタメ感は皆無。
とてもとても。そんなそんな。
リアリスティックに、ひたすら重い。
嘘を付きて嘘を付かれる。
嘘の応酬。
浮び上がる人間性。
浮き彫りになる醜悪さ。
善人ですらが悪人に転じられてしまう危険性。
汚なさ。
やらしさ。
憎しみ。
怒り。
世間体。
プライド。
夫婦間。
親子間。
そんな愛憎引っくるめての、人間対人間。
そんなこんなでの、あのラストです。
追い打ちを掛ける様に、また更にソコに『全て』を託すなんて…重いわぁ!
誰が悪い?
誰が正しい?
誰も悪くない?
誰も正しくない?
これは精神的に安定してる方が観るに適してるかもしれません。
予備知識なしに観た自分は、口開けたまま、ひたすら唖然としてました。
重い。
クライマックスは、心が痛い…
脚本が素晴らしく最後に疲れた…って思う作品でした。
意外に予想外な展開になったりして予測不能だし演技はものすごくかなり見応えある作品。
クライマックスはいろいろと心が痛かった…。
特にあの子役の女の子の目は、すっごく痛かった…。ちょっとトラウマ…。怖いんじゃなくとにかくリアルで人に嫌われる感覚がすっごく伝わりました。
とにかく「見て!」の一言に尽きる作品ですね。
ぜひ見てみてください。
深く普遍的。
アカデミー&ゴールデングローブ賞の外国語映画賞、ベルリン金銀受賞の本作、2時間続く緊張感に両隣の方も身を乗り出していました。劇場で観ていることを忘れそうな脚本、演出、演技。あれこれ言いません、映画好きの方はお見逃しなく!
家族の問題を主題にしながら、サスペンスフルに仕上がったイラン映画
オープニングからエンディングまで、ひとときも息が抜けない映画。
二組の夫婦、四人の男女がそれぞれ嘘をつき、隠さなければならない真実をもっている。しかも、イスラム教の戒律が、絶対である環境を持つイランという国が背景にあることが、家族を主題にした映画にもかかわらず、全編を通してサスペンスを盛り上げている。
ただし「イランだから」ということで、この物語自体が特殊なものでもなく、そこで語られるのは、夫婦や家族、信仰や価値観の問題を含めて、東西を問わず、何処の国でも、何処の家族のあいだでもおこりえることでは、ある。
結局、物語はどちらの夫婦にとっても、日本で云うところの「子は鎹」という結論に落ち着きそうになるのだが、それを映画では、あくまでも観客の想像力に委ねているところが、にくい。おそらくこういったエンディングは、日本も含めた欧米西側の、映画では、考えにくいところ。その点で、アッと驚くラスト、といえなくもない。
素晴らしい脚本です!
昨年のアジアフォーカス・福岡国際映画祭で観ました。素晴らしい脚本で、イラン映画ですが、現代のどの世界にも訴えるものの多い作品です。昨年私が観た映画の中で、頭ひとつ抜け出た傑作だと思いました。観ている最中、暴力や殺人など派手なシーンがある訳ではないのに、出来の良さに感動した時に感じる、ゾクッとしたものが身体に流れたのを覚えています。
とかく、3大映画祭の最高賞受賞作といっても、難しくて退屈するようなものもしばしばありますが、本作は我々の身近でも起きそうなリアリティと静かな緊迫感とで、グングン引き込まれました。
イラン国内でも史上最高に近いヒット作となっているらしいですが、このような大人の作品がヒットするというのは大したものだと思います。
既にゴールデン・グローブ外国語映画賞を獲りました。他の候補作を全く観ていないので本当は言ってはいけませんが、米アカデミー賞も期待しています。
全38件中、21~38件目を表示