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ー ご存じの通り、イランは自国製作の映画に対する規制がとても厳しい。国際的な評価が高いジャファル・パナヒ監督に至っては、度々政府に拘束され、映画製作も、海外渡航も禁止されていた。だが、彼はそれに屈せず、「これは映画ではない」を製作し反体制を貫いている。又、彼の師匠である私の好きな故、アッバス・キアロスタミ監督は、数々の名作を生み出している。
今作のアスガー・ファルハディ監督も、逸品である「セールスマン」「英雄の証明」を公開している。制約が多い中で今作も含め、逸品が多く生み出される土壌がある事が分かる。特徴は、多額の予算を掛けず、有名な俳優も起用せずとも、優れたる脚本とイランの社会情勢を背景にした映画の内容が、国際的に評価されているのだと思う。-
■イランの大都会で暮らすナデルとシミン。妻のシミンは中学一年になる娘・テルメーの将来のことを考え、イランを出る準備をするが、夫のナデルは、アルツハイマー病を抱える父を置き去りにはできないと言い出す。夫婦の意見は平行線をたどり、一時的に別居をする。それが、その後惹き起こされることにより、永遠の別居になるとも知らずに。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・ナデルとシミンの諍いが、ナデルが雇った家政婦ラジエーのナデルの父親に行った手を縛って何処かに出掛けるという行為や、それに怒ったナデルがラジエーを押した事からの彼女の流産に繋がって行く流れが、怒涛のように会話劇で展開される。
・だが、肝心な所は映されず、ナデルとシミン、そしてラジエーと無職の夫ホッジャトとのほぼ会話で表現される所が巧い。
観る側に、様々な想像をさせるように仕向けているからである。
・そして、彼らの口から徐々に明かされる幾つかの嘘。
ナデルはラジエーが妊娠していた事を知っており、流産させた事で捕まる事を恐れ”知らなかった”と嘘を付き、ラジエーもナデルのアルツハイマーの父が、交通量の多い通りをフラフラ歩いている所を助けようとして車に撥ねられていた事を隠している。
・この作品が、観ていてキツイのはナデルとシミンの娘、テルメーが両親の諍いに心を痛めている事と、低所得者のラジエーと無職の夫ホッジャトとの関係性であろう。
中流階級のシミンは、追い詰められ示談金で解決しようとするが、男のナデルやホッジャトは愚かしいほどに名誉に拘り、その狭間でラジエーは嘘を付いた事に対し、信仰心から心を痛めて行く様である。
<ラストの締め方も観る側に、色々と問いかける終わり方である。ナデルとシミンの離婚手続きが本格的に進む中、テルメ―は判事にどちらについて行くか聞かれるのだが、テルメーは決めてあるが、両親の前では言えないと言って涙を流し、沈痛な表情で廊下で待つナデルの表情が長廻しで映される中、エンドロールが続くのである。
今作は、イランの社会事情を基に、イラン人の信仰心と身分が違う二組の夫婦の夫々の嘘により惹き起こされた悲劇を描いた重くて見応えがあるヒューマン映画の逸品なのである。>