アーティストのレビュー・感想・評価
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アカデミー最優秀名犬賞を与えるべき
サイレントからトーキーに移行し、無声映画のスター、ジョージが落ちぶれていく一方、ジョージに見初められたペピーはスターへと成長する。
サイレントだから演者の少しオーバーな表情で何言ってるかなんとなくわかったりで、分かりやすい内容だった。
トーキーでは無声映画と違って大げさな演技が必要ないため、同じ映画でも全く別物だったんだろうなと思った。だからサイレントでスターの地位を築いていたジョージはサイレントに固執し、トーキーでは全く通用しないかもと恐れて映画に出なかったのかな?
でも、最後のミュージカル。これならジョージも大活躍できる、ハッピーエンド。やっぱりシンプルに幸せな気持ちになれるのが良いよね。
終盤、ジョージが拳銃自殺をしようとしてbang!の文字が…しかし、それはペピーが運転してる車が木に衝突した際の音であり、サイレントならではのドキドキ感が味わえて良かった。
今作の1番の活躍はジョージの飼っている名犬に間違いない。ジョージにべったりで利口で、命を救ったり…でもオークション品買ったのペピーだと知ってジョージのプライドが粉砕したのはあの犬が原因なのは置いといて笑。
でもあの犬の打たれたふりのおかげで和んだのもあってか2人が完全に和解できたし。
今作には最優秀名犬賞を与えるべき😁
なぜアカデミー賞?
アカデミー賞を何個も受賞した作品なので、楽しみにして行きました。
ストーリーは、時代の変化に追いつけずに転落していく元トップスターと、彼のヒキで(彼を利用して?)スターへの階段を駆け上る女優の物語です。
で、この映画への評はこれでおしまい。
凡作でした。
主人公は、チャップリンが「ライムライト」で演じた主人公と同じ形のヒゲをつけ、「ライムライト」とまったく同じ構図のストーリーを演じています。
すでに世の中がカラーの時代だったにもかかわらず、あえて白黒に固執して撮影したのが「ライムライト」。本作が無声映画で撮られたのも、発想の原点はこんなあたりなのではないでしょうか。
要するに、優れた作品のパクリ、というべき作品が本作だと私は感じたのです。
にもかかわらず、ライムライト(傑作中の傑作)はアカデミー賞を受賞できず※、それどころかアメリカ政府はチャップリンを国外追放処分にしました。
そして、良く言っても二流レベルの本作品がアカデミー賞を大量受賞。
私には、アメリカ人という連中の考えることが、今もってよく分かりません。
(※……ライムライトの公開から21年も後になってから、ライムライトは「作曲賞」を受賞しています。アメリカ人の罪滅ぼしの気持ちなのかも知れませんが)
2012年アカデミー賞作品賞。無声・モノトーン映画。始めて無声映画...
2012年アカデミー賞作品賞。無声・モノトーン映画。始めて無声映画を観たけど、声がない分、表情と音楽がとても素晴らしかった。最初は単調な流れではあったが主人公の変化がある辺りはみごたえがあった。また、犬や周りのキャラクターがとてもユニークで面白く観ていて楽しかった。しかし、これ以上長い無声映画は最後まで観れる自信はあまりないなと思った。
作風ごとタイムスリップ
サイレント映画はアメリカより先にフランスで作られ Art Muet (無声芸術)と称されていた。主人公は冒険ヒーローものの大スターでとてもアーティストとは思えないのだが・・。若い娘にちやほや、奥さんには冷ややか、プライドだけは無駄に高く、あまり感情移入できる人柄ではないのだがクラークゲーブル風の古典的二枚目ぶりに妙な愛嬌があり許せてしまうから不思議だ、愛犬や運転手の献身ぶりを入れたのもうまい味付けだと思う。
時代の波に乗れず凋落してゆく大スターの悲劇を扱ったものは多いし、名作「雨に唄えば」での悪声ゆえにスターの座を追われるトーキー幕開け時代のエピソードも思い起こされる、あんなにトーキーを拒む主人公は吃音だったのではないかとも思ったが最後で唯一のセリフ「My pleasure(喜んで)」がきれいだったので思い過ごしと分かった。
映画史へのオマージュ満載、モノクロ・サイレントへの挑戦が先だとは思うが今風の撮り方では成立しづらい話を考えて丸ごとタイムスリップさせたのは面白いアイデアですね。
サイレントとトーキーの狭間のサイレント俳優の栄枯盛衰をシビア且つ情けを込めてコミカルに描いた秀作
劇場で鑑賞した際、ぐいっと引き込まれたのは良く覚えている。とても面白かった。
そして多くの人が、この映画のテイストに魅入られたなあ。そしてアカデミー賞をほぼ総なめ。
当時は古典的なストーリー展開ながら、斬新な視点に多くの方が魅了された。モノクロ映画だったことも後押しをした記憶がある。
極一部の評論家の方々が否定的なコメントをしていたが、世間に受け容れられ、全うな評価を得たのだから何をか況やと思った。
素直に作品の良さを認めたいものである。
<2012年4月22日 劇場にて鑑賞>
<今にして思うと、映画だけでなく今後今まで普通に在った仕事がAIに奪われる近未来を想起するなあ>
サイレントとトーキー
トーキー映画の時代に最新の技術を駆使してあえてサイレント映画の撮影をするその考えがもう天才すぎる!
時代の流れとともに変化していく映画。
流行り廃りに影響されてしまう俳優さんたち。
技術の進化。
ラストシーンでタップダンスを踊っている場面はサイレントとトーキーの両方の良さが活かされていて感無量でした。
サイレント映画
モーションピクチャーの美しさは確実に現在に受け継がれ、決して色褪せることはない。
トーキー映画の出現によって悩まされたサイレント映画スターの物語。作られたのは、2011年。製作国はフランス。舞台はハリウッド。このデジタル映画の時代にここまで、サイレント映画、1910,1920年代をそのまま映し出すなんてえげつない勇気。
まずこの映画を観終わった後の第一印象は”美しい”の一言。サイレント映画の映像とオーケストラの音楽が全身に伝わってくるような感覚でした。この映画を観て実感したのは、トーキー映画以降の台詞ベースのストーリーテリングのなんともったいないことかということ。人間の感覚は視覚80%と言われているだけに、ビジュアルから感じ取れるものは、台詞なんかより何倍も多く、美しいということに気付かされました。言語というのにはやはり、脳のデータ処理容量を奪い取られてしまい、視覚から入ってくる情報を十分に吸収することができない。
一方この映画は、歴史を語る映画というよりも、歴史的なものをそのまま再現している作品で、素晴らしいフィルメーカーたちの活躍あってこそではあるが、役者の表情、照明、セットデザイン、コスチューム、ロケーション、フレーミングなどのとても細かい部分から感情が誘発される。何を喋っているかよりも、どういう気持ちで喋っているのかの方が最初に入ってくる。
我々が感じる、美しさやワクワク、悲しみなどの感情は意識よりも先にははたらくものであり、言語なんかはただのカテゴリー分けの記号でしかない。俳句にしても、詩にしても、小説にしても我々が楽しむのは、言葉が紡がれる情景であり、表情であり、感情である。
特に時間に縛られる映像は、その言葉を感情へと昇華させる時間を視聴者に与えることが難しい。それだけに、台詞に頼った映画は人を選ぶのだ。
この作品、特に素晴らしく画期的な技術や技法を使っているわけではない。100年前の方法と、これまで映画界の偉人が築き上げてきた芸術を、享受しストーリーテリングの方法として使っているだけである。そのシンプルさが我々に、モーションピクチャーの美しさというものを改めて感じさせてくれたのである。100年前に美しかったものは、現代でも美しいのである。
この作品は歴史に残り続けるだろうし、このような作品は定期的に作り続けられなければならない。ヨーロッパならではの、政治や風刺を差し置いた芸術への究極の挑戦を。
サイレントムービー全盛期に活躍した大スターが、トーキーの時代へと...
サイレントムービー全盛期に活躍した大スターが、トーキーの時代へと変貌を遂げる時、落ちぶれてゆく姿。どこか見たことがあるストーリー。
もともとジョージ(デュジャルダン)の大ファンであったペピー(ベジョ)は試写会のあとに、ひょんなことから彼に抱きついてしまう。“Who's that girl?”と見出しに書かれた新聞。やがて彼女はエキストラとしてジョージの主演作に参加し、ダンスシーンを何度も撮り直しする。終わった後に、女優として成功するにはもっと目立ったほうがいいとアドバイスして、つけぼくろをつけるのだ。やがて、その美貌によりスターダムにのし上がったペピー。ずっとつけぼくろを点けたまま主演作を撮りつづける。しかも“Beauty Spot”(つけぼくろ)というタイトルの映画もキーポイントとなった。
ジョージの契約していた映画会社Kinofilmもサイレントを打ち切り、妻からも離縁され、運転手クリフトン(ジェームズ・クロムウェル)も解雇。財産もオークションにかけてしまう。そして、自宅でフィルムを燃やし、危うく焼死しそうになるところを愛犬アギーが助けてくれた。ペピーは彼を自宅で休ませ、次回作はジョージと共演したいとプロデューサーにかけよるのだ。しかし、ベッドから起き出したジョージは脚本を投げ捨てて戸惑うばかり。彼女の部屋でオークションで売ってしまった自分の家具や財産を見つけ、自殺を決意。寸でのところで、自殺から救うが、台詞を喋らすよりもダンスで勝負だ!とばかり、タップダンスで復活する・・・
なにしろ最初から無声なので、サイレントからトーキーへと移り変わる転換点をどう表現するのか楽しみにしていたところ、中盤にコップの音や女性の笑い声だけを挿入するという荒業だったが、これが面白い。夢の中で周りの音だけが聞こえ、自分が喋れないという設定にしたのだ。まぁ、ドラマではちゃんと会話しているので、声がおかしいことではない。そして、終盤には火事から助けてくれた警官の喋りを見て、何を言ってるのかわからないという精神状態。ここで、人間は喋れなくちゃわからないんだ!と、トーキー映画に出ることを決意したのか、もしくは気づくのが遅かったため自殺を決定的にしたのか・・・この二つのシーンがいい。
最後には声が出てくるのだけど、どうもハッピーエンドへの過程が単純。まぁ、当時のハリウッド映画へのオマージュと思えば、すべて許せるんだけど、そこがずるいのかも(笑)
芳一
物語は主人公であるジョージが主演を務めるスパイ映画の1シーンから始まる。
敵に捉えられた彼が、拷問されながらも「絶対に喋るものか!」と拒否する事で、サイレントであるから主人公が喋らないのではなく、主人公が喋らないから本作はサイレントなのだと作品の骨子を提示している。
彼のトーキーに対する態度は、初めから妥協の余地のない完全な拒絶である。
それは、経験に基づく自信や前時代となる恐れからくるものだけでは無い。
頑なに肉声を拒んできた映画が最後の最後に彼の声を晒す。
その台詞は、コテコテのフランス訛り英語。
それが彼の拒絶の正体であった。
本作は、恰も画家が色を除いた形でデッサンを繰り返す様な心の揺るぎない姿を其々に提示している。
無声映画からトーキー映画へ
最高だった!
時代と共に変わっていくスター、そして
モノクロの映像で描かれる
トーキーの時代にはいると声が聴こえてくるといった演出や無声映画ならではの字幕!チャップリンをもう一度見直そうと思った。
後ろで流れる音楽もまたいい!
とても、素敵な作品に出会えました!
久しぶりに心の底から楽しめた素敵な作品でした。
映画の原点に帰り、無声映画に挑戦する監督の素晴らしさに拍手です!
ストーリーも演技も音楽も、全て私の心を鷲掴みにさせてくれました。
富と名声を奪われ、名男優だった男がどん底に落ち行く姿はとても悲しいものがありましたが、一人の女性の力によって、彼は再び名役者として舞い戻る姿に感動しました!
また、相棒のワンちゃんの天才的な演技にも注目です!
この映画の良さははワンちゃんの影響も半分占めていると言ってもいいくらいです!
名男優と名犬のコンビの虜になりました(笑)
最後の終わり方が大好き
サイレントからトーキンに移り変わる、よくある時代の流行り廃りの映画。
言いようのない完成度。
チャップリンのようなサイレント映画よりもさすが現代、
モノクロが綺麗です。
チャップリン等のサイレントが好きな方には是非観て頂きたい作品。
(コメディ要素は少ない)
劇中のトーキンの盛り込み方、
俳優陣のサイレントならではの表情演技は素晴らしかったです。
個人的に最後の終わり方が大好きです。
これは、映画館で観たかったぁ~(>Σ<)。
ストーリーは、ベタな感じで、
大スターの落ち込みと、新人の飛躍。
でも、そんなベタで分かりやすいストーリーだからこそ、
色も言葉もなくても、充分に入り込めたのかも。
表情が、とてつもなく魅力的で、素晴らしかった!
そして、ワンちゃんがメチャクチャ可愛かった♪
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