終の信託 : 映画評論・批評
2012年10月16日更新
2012年10月27日よりTOHOシネマズ日劇ほかにてロードショー
安易に希望も絶望もしない周防正行のモラリストとしての貌が垣間見える
あまりに暗い画調に、これが周防正行の映画かと一瞬、驚く。冒頭、医師の折井綾乃(草刈民代)が待機している検察庁の待合室に漂う得体の知れない冷え冷えとした感触は、ポーランド映画の鬼才クシシュトフ・キェシロフスキの陰鬱な不条理劇を見ているようだ。映画は回想に入り、喘息の発作に苦しむ患者の江木泰三(役所広司)の願いを聞き入れ、尊厳死を選択した彼女の葛藤と煩悶を入念に描いていく。
はっきりいえば、草刈民代の大胆な裸身まで披露する同僚との不倫のエピソードの描写は通俗に過ぎるし、彼女と役所との淡き愛のごとき関係性もプッチーニの「ジャンニ・スキッキ」の主題を二人の会話の中に仮託し、重ね合わせてしまう点がやや説明過多に思える。デビュー作「変態家族・兄貴の嫁さん」にもエロスは皆無だったが、恐らく周防正行は男女の濃密な官能性には関心がないのだ。
ところが、終盤、取り調べが始まってからの45分にもわたる検察官塚原(大沢たかお)と綾乃の熾烈で白熱した息づまる攻防には、思わず目を見張る。司法制度の冷酷な体現者として屹立する塚原は、獲物をいたぶるように恫喝を繰り返し、綾乃は終始、理不尽な司法言語のレトリックに翻弄され、無意識のうちに屈服を強いられる。この著しく均衡を欠いたディスカッション・ドラマの部分こそが、この映画の肝である。
かつて良心的な社会派・今井正は「真昼の暗黒」のラストで、被告の青年に「まだ最高裁があるんだ!」と絶叫させたが、手錠をかけられた綾乃が暗い検察庁の廊下を遠ざかっていくエンディングには、安易に希望も絶望もしない周防正行の峻厳(しゅんげん)なモラリストとしての貌(かお)が垣間見えるようだ。
(高崎俊夫)