「娯楽作品として大成功」アルゴ よしたださんの映画レビュー(感想・評価)
娯楽作品として大成功
イラン革命時に取り残された米国の大使館職員を脱出させるために、偽の映画製作をでっち上げて、そのロケハン・クルーとしてイランから出国させたという事実に基づく。このようなまさに映画的なエピソードを映画化しない手はない。
事実はおそらく違ったであろう誇張した、あるいは馬鹿げた表現への批判は多々あろう。
しかし、この作品のモチーフ自体がその隠喩ともなっているが、「そもそも映画とは嘘っぱち」なのである。
この映画の優れて映画的なるところはその撮影方法や表現方法にある。まるで当時のニュース映像を観ているかのような緊迫感あふれる8ミリでの撮影。群衆に包囲された米国大使館と、ビザの申請に来た人々の微動だにしない無言の静けさとの対比。処刑が明日とも知れぬ人質たちの状況と、辛辣な皮肉に満ちたワシントンやハリウッドの人々の描写はまるで別の作品を見ているようだ。
そして、極めつけは最後の空港での出国手続きのシークエンス。搭乗券の発券から始まり、出国審査や革命軍兵士による審問など、脱出する側の動きは遅々として進まない。これに対して、イラン当局側がロケハンの正体を見破る動きは加速して、小銃を持った兵士から審問を受ける大使館員たちの恐怖と焦燥感が伝わってくる。
この作品が成功した要因の一つが、国際政治上の重要な事件を題材にとっているにも関わらず、イラン/イスラム教側とアメリカ側、そのどちらの政治的文化的な価値観からも距離を置いているということだろう。肩入れしている価値観があるとすれば、主人公のCIAスパイの使命感とイラン当局のスパイは一人たりとも生かしてイランを出国させないという信念だろう。
政治や文化の価値観を画面から排除し、救出する側、救出される側、それを追う側を、それぞれ異なるトーンで淡々と描いたところに、この映画の娯楽作品としての成功がある。