「生きる気力を失ったヒロインの絶望した姿が、物語にリアルティをもたらしたくれた」とらわれて夏 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
生きる気力を失ったヒロインの絶望した姿が、物語にリアルティをもたらしたくれた
脱獄犯と恋に落ちるなんてあり得ないと誰しも思う事でしょう。けれども愛を失った女の悲哀を丹念に描くことで、究極の状況で生まれる愛を見事に伝えてくれた作品となりました。
『JUNO/ジュノ』『ヤング≒アダルト』など、自分で納得がいく生き方を選ぶ主人公を共感をこめて描いてきたジェイソン・ライトマン監督。原題“労働の日”は9月1週目の月曜日、夏の終わりの5日間の出来事を描いたことによります。
物語の舞台は、1987年のアメリカはニューハンプシャー州の田舎町での話。ご当地の人でなければ、そこってどこよと首を傾げる人ばかりでしょうけれど、要するに一昔前のアメリカの田舎町たたずまいとか、まだ携帯もなかった時代のコミュニケーションの取り方とか、そんな年代と地方が感じさせる特別な匂いや風情に加え、晩夏ならではのうっとうしい暑さという映画のルックにこまかく神経を使っている作品であることをよく描き込まれていたと思います。
この静かな町のはずれに、夫と別れてから重い鬱にかかったシングルマザーのアデル(ケイト・ウィンスレット)とまだ13歳ながら、この母を自分が守らなければと思っているけなげな息子ヘンリー(ガトリン・グリフィス)とが、二人でつつましく暮らしていたのでした。アデルは、一人息子を世話するというより息子に守られることで辛うじて生活する状態だったのです。
父のいない家で、幼い息子が弱い母を守る気でいるというのは、古い西部劇以来のアメリカ映画の伝統的なテーマですね。
アデルは、ヘンリーと一緒にスーパーに行ったところ、屈強の男(ジョシュ・ブローリン)が息子を捕まえ、家に連れて行けというのです。何の抵抗もなく、男の要求に従って家まで案内してしまうのは、疑問でしたが(^^ゞ
聞けば、フランクと名乗るこの男は刑務所から、盲腸の手術のため病院に移されたのを機会に脱獄したばかり。息子が人質にされたなら、脱獄犯から子供を守ろうと母親が頑張るという展開になるものとばかり思い込んでしまいました。普通のサスペンスならそういう展開が普通でしょう。
ところがフランクは一見して怖そうな男でしたが、意外と繊細な神経の持ち主でした。散らかり放題になった家を掃除し、床を磨き、母子の家を修理をマメにこなしていきます。またヘンリーに車の修理を教え、キャッチボールの相手をする姿はまるで父親のよう。 母子は捜査して回っている警察や近隣の人々の目から、つい成り行きで彼をかくまってしまう。そして次第に家族の一員として溶け込むフランクに、アデルは次第に女としてのこれまでの満たされてこなかった思いをぶつけるようになっています。二人で一緒にパイを作る様子がそのままラブシーンに見えてきたり、ふたりが短時間で恋に落ちてしまう過程はちょっと素敵な描き方でした。
母ではなく女として生きたいのにためらいがある母と、フランクに父親像を重ねる息子。そしてフランクには心ならずも殺人を犯した過去がありました。3人の俳優たちの息がうまくあい、信頼が増せば増すほど逮捕の時の迫る不安が増してきます。招かれざる来客が、何度も逮捕のピンチを感じさせるハラハラ感を増幅してくれました。追われる者の緊張感がマックスに向かうほど、実りそうにない愛の辛さが浮き上がっていったのでした。
フランクと一緒にカナダに逃げる恋の逃避行の計画が実行に移されることになって、持ち上がるヘンリーの不安。それは2人は自分を置いて出ていくのではないかといあらぬ疑いでした。けれどもアデルとフランクが交わす視線を盗み見る少年の心は穏やかではいられなかったのです。この物語は、大人へ脱皮しつつあるヘンリーの性への目覚めと葛藤が描かれる面も持っていたのです。しかし本作にはベッドシーンなど官能を描く描写は皆無。あるのは心と体の飢えが満たされることのささやかな幸せなんですね。
心の不安がヘンリーをつき動かして、実の父親への置き手紙を残すことに。結局この置き手紙が、波乱を生むことになり捜査の手が迫ってくるのです。
ここで終われば、ああそういうものかで済ませることもできたはず。けれどもやがて年月が過ぎて大人になったヘンリーに、フランクが彼と母に作ってくれた例の桃のパイが思いがけない人生の贈り物に繋がるところが、余韻を膨らませてくれる後日談でした。そして何よりもラストの心温まる展開が、心地よく胸に染みいったのでした。
大人の愛と再生を優しく見つめたラブストーリーとして、とてもデリケートな感触でこの夏の5日間の出来事を描いている作品。物語が一旦終わるその後も、3人が送ったそれぞれの人生を想像させ、忘れ難い哀感が残る佳品としてお勧めします。
何と言ってもヒロイン役のケイト・ウィンスレットの熱演のおかげで、生きる気力を失ったヒロインの絶望した姿が、物語にリアルティをもたらしたくれたことが特筆に当たりますね。