「今一番日本の政治に足りないものが、この映画にある」マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙 覆面A子さんの映画レビュー(感想・評価)
今一番日本の政治に足りないものが、この映画にある
しょぼくれた老婆が牛乳を買う所から話は始まる。
いくらサッチャーの映画と知っていたって
「えっ?これはないっしょ?」ってびっくりする。
これはいつ?何が?どうなって?
軽く混乱を覚える。
場面は次に夫であるデニスとの朝食シーンにつながる。
夫卵料理をふるまうシーンで、
「意図的なワンショット」が入り
ああ。「今」のサッチャーなんだとわかり愕然とする。
(ここは丁寧にみてね)
そして話の中で往年のサッチャーと
今のサッチャーの悲しき交錯が始まっていく…。
サッチャーと聞いてすぐ「鉄の女」「冷戦時代」を
思いつく人には非常に懐かしくて、
そして非常に物悲しさを誘う。
この映画の評価の分かれ目は40代以降か否か…かもしれない。
なぜなら「彼女の圧倒的強さ」を生で見てきた人にとって
この映画は「懐かしさ」であり、
そして自分にも迫り来る、老いという
「しのびよる脅威への警告」でもあろう。
もちろん20代、30代は面白くないとは言わない。
ひとつの英国史を築いたひとつの伝記であり、記録として
ここまで「強くて賢い女」の生涯は映画の中からだけでも
十分うかがい知れることはできるだろう。
しかし、もしこの映画をみて日本の甘たれ女性議員が
「私にも通じるわ」みたいな自分に重ねあわせることを言ったら
それは勘違いもはなはだしい。(絶対いるだろうけど)
彼女たちは
足元をすくわれないだけの圧倒的知識も
男性と渡り合って論理的な思考で論破できる答弁力も
国の生死を分かつような決断力も
自分が火達磨になって改革を推し進める覚悟も
持ち合わせておらず
或いはバターの最安値を知ることもないかもしれない。
国民を決して甘やかさない「鉄の意志」を政界に持ち込んだ
往年の彼女が今、日本にいてくれたら。。と切に思う。
「最近の政治家は【何をすべきか】ではなく
【どう見られるか】ばかり考えすぎる。
という劇中のサッチャーの言葉に心から共感する。
日本人は例え領土内に外国船が入ってきたとして
「遺憾に【思う】」ことはあっても絶対的な対抗手段を【考える】ことをしない。
ふらふら、のらりくらり「いい人」を演じてきた結果が
今の借金まみれ大国、なめられまくり大国というトホホな結果。
そしてそれは議員がいつだって「良く見られたい」と思っていたからかもしれない。
今自分が憎まれたって、私たちの次の世代、次の次の世代に必ず良いこと。
そんな風に自分を盾に出来るのは、憎まれても正しさを押し通そうとするのは
実に「わが子を守ろうとする感覚」であって
国を愛する心と我が子を愛する心は似てるのかも知れないって思った。
最後に、この映画を見て感じたこと。
この映画を見るなら断然、字幕!と改めて思った。
近い将来地上波でも放映されるかもだけど
日本人の女優が吹き替えでもしてしまったら
この映画の魅力は半減するだろう。
メリル・ストリープの圧倒的・女優魂が
見る者の心を、作品にのめりこませる。
この映画で第84回米アカデミー賞の主演女優賞を取ったのも納得。
首相になっていく過程で彼女の声質が変わる。
甲高い声はヒステリックな印象を持つと周囲からアドヴァイスを受け
「知的な声」を、サッチャー自身が作り上げていく。
だから、まずは前半彼女のキンキン声をきちんと堪能しよう。
そして後半の変貌ぶりを見た時、彼女の演技力のすさまじさを思う。
老婆の歩き方、小刻みな手の振るわせ方、唇の動き
足元から爪の先までが「サッチャー」そんな印象を持った。
個人的に好きだったシーンはダンナサンのプロポーズのシーンかな
「(君と結婚することで)僕は幸福になれる」
そんな謙虚なプロポーズが出来る男性は中々いないよね、胸にしみた。
そして、この言葉は後になって
ずっとずっと彼女を苦しめていたかもしれないなって思う。
強く正しくあることは
決して「人を幸福にする」こととイコールではないから。
心にしみた。
できればもう一度見たい作品。