わが母の記 : 映画評論・批評
2012年4月24日更新
2012年4月28日より丸の内ピカデリーほかにてロードショー
かけがえのない拠り所としての家族の紐帯を謳い上げた原田眞人の新境地
冒頭、幼少時、母に捨てられた記憶を引きずる主人公の作家・伊上(役所広司)の回想に現れる、土砂降りの中、軒下で幼い二人の妹と佇む母と少年が向き合っている原初的な光景が印象的だ。この不思議な構図は、小津安二郎の「浮草」で旅芸人の中村鴈治郎と京マチ子が、やはり豪雨の中、路地を挟み軒下で激しく悪態をつき合う有名なシーンを想起させる。取り返しのつかない決定的な亀裂の証しとしての不吉な<雨>のイメージなのだ。
会話の中でさりげなく「東京物語」が引用されるように、原田眞人が、この井上靖の自伝的作品の映画化で、往年の小津の家庭劇を意識したのは間違いないだろう。しかし、戦後の家族制度の崩壊を冷徹に見据えた小津とは微妙に異なり、この作品では、昭和という時代まで確かに存在した、<個>を優しく慰撫する、かけがえのない拠り所としての家族の紐帯が率直に謳い上げられている。認知症が亢進し、徘徊が止まない老母(樹木希林)、あるいは華やいだ「細雪」の世界を思わせる三姉妹の屈託のないエピソードの断片から紡がれるのは、亀裂ではなく和解、怒号・糾弾ではなく柔和な微苦笑に包まれたある家族の親密な年代記である。
伊上が囚われていたオブセッションにもありうべき終止符が打たれる。宮崎あおいほか旬の女優たちの彩り、沈着で端正な画面を造型した芦澤明子のキャメラも特筆されよう。これまで豊饒なアメリカ映画体験を誇示してきた原田眞人も、あたかも<日本回帰>を遂げたかのような抑制した慎ましい語り口で新境地を見せている。
(高崎俊夫)
「わが母の記」 配信中!
シネマ映画.comで今すぐ見る