ヴァンパイア : インタビュー
作品の力を探求し続けることで生まれる岩井俊二の世界
「花とアリス」以来、約8年ぶりとなる岩井俊二監督の長編作品「ヴァンパイア」。自ら執筆した小説を原作に脚本、プロデュース、撮影、音楽、編集を兼ね、“岩井ワールド”を構築した。死を求める者と、命を奪わずにはいられない者。ひっそりと静かな世界を舞台に、“孤独な魂”によるはかない恋愛劇を独特の美意識で紡ぐ。キャリアを積みながら、常に鋭い観点とフレッシュな感性で作品と向き合ってきた岩井監督に話を聞いた。(取材・文・写真/編集部)
病身の母親と暮らす青年サイモン(ケビン・ゼガーズ)は、高校教師の顔の裏に、殺人鬼の顔を持っていた。あるウェブサイトに集まる「死にたい少女たち」の血を求め、サイモンは彼女たちの人生最後の一日をともに過ごしてきた。しかし、ある少女との出会いをきっかけに、サイモンは自分のなかに芽生えた新たな感情に気が付く。
今作は、岩井監督が温めてきたふたつの物語が合体したところから始まった。バンパイアという古典的存在と、自殺サイトという現代に巣くう闇を組み合わせることで、ひとつの幻想的な物語を生み出した。生まれたときから吸血衝動がある男の物語が生まれたのは、10年以上昔にさかのぼる。自殺サイトに集う少年少女と殺人犯のストーリーは、類似した事件が現実に発生してしまったため、封印されていた。
「アメリカで『ニューヨーク、アイラブユー』というオムニバス作品を撮っていたときに、スタッフと日本の犯罪の話をしたことがあったんです。僕が書いていた話と似た、自殺サイト殺人事件が起こったことを話していたときに、バンパイアの話とつなぐことで完成するということに気付いたんです。吸血衝動を持った男を描きたいというのが最初でした。異端児とレッテルを貼ってしまえばそれまでですが、人間誰しも人には見せたくない秘めた側面を持っている。そこに生きている男を描きたいと思った。自殺サイトの話は、被害者と加害者が不思議な共感や連帯を持ち、共犯関係にあるという図式が面白いと思っていたんです。どちらの話も長い間宙ぶらりんになっていたのですが、ふたつがひとつになった瞬間に広がったんです」
岩井監督は、ロサンゼルス(「ニューヨーク、アイラブユー」)をはじめ、中国など国外でも幅広く活動している。今作では、カナダを舞台に全編英語の撮影に挑んだ。「僕は日本人だから、日本語で映画をつくるのが1番アドバンテージがあるんです。でも、それではほかの国に向けてつくることができない。『この作品はアメリカでつくった方がいい』『中国が1番ふさわしい』と考えたとしても、結局日本でしか撮ることができないというのが嫌でした。今までは言葉の問題だけではなく、一緒に映画をつくる仲間がいないという障害があったので、世界で活動できる仲間を準備しようという思いがあったんです。『ヴァンパイア』の場合、日本で撮ってしまうと『なぜこれを日本人でやったんだろう』と“日本”というフィルターがついてしまうと思うんです。吸血鬼は西洋人の印象が強いから、日本だと借りてきた感じが払しょくしづらいと思ったんです」。
バンパイアという西洋色が強い題材に、岩井監督特有の死生観を組み合わせた。言語、文化の壁があるなかで、価値観を共有することに難しさはなかったのだろうか。「僕ら自身が西洋文化に洗脳されていて、日本独自のものを出す方が難しい。日本人にしかわからないセンスだと思っても、言い当てられてしまうことの方が多い。でも、エキゾチズムを出せないとやっている甲斐がないので、『一風違う』『テイストが違う』部分をできるだけ示したいと思っています。外国の人に見せるときは、日本人の監督らしいということを打ち出したいんです」と胸のうちを明かす。
さらに、「自分が納得、合点がいくかどうかでしか作品の良し悪しは推し量れない」という信念のもと、自らがひかれるテーマを、丹念に掘り下げていった。改めて今作を振り返ってもらうと、「血や命をやり取りする究極の取引で結ばれた不思議な人間関係」のなかで生まれる物語に魅力を感じたという。極限状態のなかで芽生える恋愛劇は、「花の茎を切った切り口がまだ生々しいように、そういうビビッドな感じ。自分自身がまだ見慣れていない」と岩井監督自身にとっても新鮮なテーマだった。「実際に血は登場するけれど、『ヴァンパイア』というタイトル自体がある種の比喩」と語る通り、孤独な人間同士の触れ合いに焦点を合わせることで、“吸血鬼”が主人公でありながら、典型的な“バンパイアムービー”とは一線を画した作品となった。
「花とアリス」「リリイ・シュシュのすべて」など、岩井作品のミューズとして存在感を放ってきた蒼井優。今作でも、主人公の人生観に一石を投じるキーパーソンを演じている。「日本人は彼女だけだったんですが、いつも通り自由奔放な感じで、外国人に囲まれても堂々としている。毎回毎回リセットして新しくやることが多いので、連続して一緒に作品づくりをすることは珍しい。見えない何かがあるのかもしれないですね」と監督としての嗅覚が導いてきた。
岩井監督は、オムニバス群像劇「ニューヨーク、アイラブユー」、東日本大震災後の日本の姿に迫ったドキュメンタリー「friends after 3.11 劇場版」など長編作品以外での監督業や、「虹の女神 Rainbow Song」(熊澤尚人監督)、「ハルフウェイ」(北川悦吏子監督)などのプロデュースを手がけてきた。「長編の物語は、1作つくるごとにいろいろなものが見えて難易度が上がっていくんです。毎回白紙に戻され、ゼロからやり直すという非常に過酷な仕事」と長編作品と向き合うことの難しさを語る。
映画をはじめ小説、絵画など幅広い表現活動を行っているが、「ヴァンパイア」も映画と小説で形にした。ひとつの作品を、さまざまな角度から表現する魅力はどこにあるのだろうか。
「映像表現、小説的表現の両方が好きですが、同じ作品で比較すると小説の方が面白いという人が断然多い。僕は両方つくっているので、その違いが一体何なのかということを身近に分析することができます。自分の作品で考えてみると、200ページくらいある小説を映像にすると、読んでいるペースよりはるかに早い。でも、映画としてのペースがあると思うので、すべてを描く必要はないと思っています。ギュッと圧縮してダイジェストにしても、見る側は全然面白くないと思うんです。『ヴァンパイア』は、映画では小説の前半がまったく描かれていなくて、映画になっている後半は、小説で読むと映画っぽくなく、採血や自殺の回想録のように淡々と進むエッセイ風なんです。小説には小説的な着地や物語の運びがあり、映画的ローテーションとは違うので、それぞれの特徴を生かして物語づくりをしてあげないと、簡単には変換できない。映画と小説どちらもつくる理由は、両方になりえるということを自分で見たいんです。そのくらい強い話だったということを確かめたいんです」