コクリコ坂からのレビュー・感想・評価
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日本の青春アニメではトップクラスのエンタメ作品
青春時代の恋人、仲間、家族をうまく絡ませた、恋愛、友情、家族愛、と八方美人のエンタメ作品。
ゲド戦記の百倍よくできているし、宮崎駿後のジブリの代表作ではないでしょうか?
感動しました。
ラストスパートが凄かった。
笑えるし泣けました。
最後の船長さんの台詞には
感動しました。
勝手に紡がれていくものはなく、紡いでいくんだ、誰かが紡いでいるんだというメッセージがありました。
カルチェラタンはその縮図に思います。反対反対と大勢で声をあげるより、メルの掃除しようという提案のほうが何倍も意味あるものだった。
演出に物足りなさを覚えましたが、それでも面白かったです。勉強になりました。
仏造って魂入れず(最も肝心なことが抜けている様子)かな?
一言で、この映画の感想を言わしてもらうと、アニメは絵が動くので面白い、ということです。
子供のころから、アニメ見ていたけど、こんな感覚は初めてです。
声優さんの演技も、演出も、脚本も、バラバラで一体感がないです。
特に演出は、しているのかしていないのか疑わしいレベル。
絵はうまいし、時代設定もよいです。
テーマも、純愛とか、学園紛争とか、それに戦争の傷跡などを扱っていてよいと思います。
だけど、肝心なところが抜けている。
昭和30年代後半の懐かしいものがいっぱい出てくるのに、ノスタルジーがない。
まるで昭和30年代に制作された映画のように、当たり前に流している。
「三丁目の夕日」の時代設定の少し後で、微妙な年代だけれども、懐かしいものを使った小話の一つでも入れてほしかった。
そこまでいかなくても、アップにするだけでなく、ちょっとひっかけて突っ込ませるとういか、注目させるような演出がほしかった。
メインテーマの純愛にしても、何の問題もなく、告白もなく、かっこわるさも片思いもなく、いつのまにかくっついている。
これでは、純愛というより、手慣れた大人の恋愛です。
ここを流すから、後半のところも感動できない。
細かいけど、海が毎日上げている旗の意味の説明もなかった。
「安全な航行を祈る」という意味らしいけど、ここすごく重要な部分という気がする。
はやりの広告手法みたいに、解答はWEBで、ということなのかな・・・?
登場人物の気持ちもまったく伝わってこないし、なにもかもなにげなく流し過ぎで、魂が入ってないような気がした。
いや、成長してるよ。ホントにこの人は。
この日私はとてもお腹が痛かった。
そしてこの映画を見てしまったということを加味してもやはりこの感じは何なんだろう。
いや、悪いとは思わない。というか、宮崎吾朗監督は前作ゲド戦記よりも数段、いやそれ以上に素晴らしく成長している。映画というものがどういうものなのか理解し始めている。
個人的な体調不良を背負いながら、映画ファンとしては失格とも言える途中で席を立つという不祥事をおかしてしまった。
15分は外に出ていたかもしれない。
帰ってくると場面が変わっている。しかし、そのシーンがいきなり泣ける。
こんなにグッとくるシーンは久しぶりだった。というか吾朗監督作品でこんなシーンがあることがびっくりした。
エヴォリューション映画を期待していもしたのでちょっと残念でもあったが、実際に監督として腕を上げたのだろうと感心した。
全体通して見た感想はそれでもまだまだという感じ。
戦闘シーンはかっこよかった。
それ以外はどうなんだろう。
フツー。
そんな風に思う。しかし、フツーの作品を作るのがどれだけ大変か!
エヴォリューション映画しかとれないような素人がこんな作品を作れると思わなかった!
素晴らしい!
となるわけだ。
でもまあ、これくらいかな。
ジブリが原作から失ったものは?
DVDを見てから原作を取り寄せてみた。青春ドラマとして原作の持つ独特な輝きが映画では無難に?失われているのが残念なところだ。
「なかよし」に連載されていただけあって、原作の圧倒的な女子高生目線に対して、映画では旧制中学から戦後共学化した中高一貫校でなおかつ男子女子のしっくりとした共学化がまだぎこちない故に、尚、旧制中学以来の風習を遺したままのカルチェラタン棟存続をめぐるエピソードへと素材を書き換えている。
ただ原作の終了間近たった3コマ、別居して不在だった祖父の帰宅を前に部屋を掃除するホコリは、映画のカルチェラタンから舞い上がる大掃除中の積年のホコリにそのまま重なる。時代背景も素材も変えながら、映画の主要なシーンをすべて原作からそのまま採っている点に、宮崎駿の原作への強い思い入れが感じられる。
原作は1980年内容現在、港町の私立中高一貫校の生徒会活動と制服廃止運動の過程で結ばれる恋のいきさつが、亡くなった父親をめぐる運命ドラマをはらみつつ描かれる。
特筆すべきは、原作者が過去のいわゆる全共闘運動の息吹を伝えようとしただけではなく、社会主義革命等とかかわりなく当時の学生運動幹部の当局との癒着や、活動費の私的着服等があったことをも、青春をもてあますポテンシャル故の女子大生芸者との賭け麻雀等の行為を通してさりげなく描いていることであり、私が知る限りかつてこういうネタを正面からとり上げたものはコミック以外でもこれまでなかったのではないかと思う。
映画は「清々しく一途」にこだわりすぎて原作のもつ一面の真実を見失っている。しかも、脱コミックで徹底したため、最早アニメでなければならない必然性はなく、うたごえ運動や朝鮮戦争を背景とした実写の青春モノになっていないのがむしろ不思議。
2人の恋より戦争の印象が…。
コロッケうまそーッ!!食べたくなってきたー!!笑)
海チャン、凄く気がきくわ〜働き者だわ〜友達とたまにはアンミツの1つくらい食べたいでしょうにと…とても関心したと同時に可哀想なような気もしてきたり…。
少し淡々としている気もするけれど…泣いちゃいました…。でも、それって【初恋・恋愛】とかいうものでじゃなく、戦争って沢山のもの奪って狂わせて…そんな事を思うと泣けてきて。。
当初見た理由は【初恋】をテーマにしている=耳をすませば。のような爽やかな作品かなと思っていたので、複雑な問題がでてきた時はなんともいえませんでしたが…当時の時代背景などよくわかり良かったです。
ただ作品全体の印象として【恋】よりも【戦争】のが強く残りすぎたのが少し残念。
非・駿=吾郎
絵画を鑑賞するときに額縁の中だけでその絵を判断するのか、それとも額縁の外部も作品の一部として鑑賞するのか。もし貴方が前者のやり方でしか映画を観ないのであれば、『コクリコ坂』は驚くほどに退屈な作品になるかもしれない。同じく日常を描いた『思ひでぽろぽろ』、『耳をすませば』以上にファンタジーの要素を排したこの作品は、小学生ならば劇場で寝落ちするのではというほどに平坦な作りだからだ。しかしもし貴方が後者ならば、かつてこれほどまでにジブリ作品で思索することがあっただろうかというほどに、『コクリコ坂から』には一見平凡な作品という呈を様していながら、その中に含まれているエッセンスは驚くほどに深いということがわかるだろう。
映画の主役は一九六三年の横浜の高校生たちということで、「ああ、また昔はよかったんだよ的なジブリ作品かぁ」と言われる方もいるかもしれないが、少し待ってほしい。今回監督を務めているのは宮崎駿ではなく、その息子、吾郎氏なのである。戦後や高度経済成長学生闘争を経験せずに、多感な青春時代をバブル景気のただ中で過ごした彼がその時代を描く、その意味を観客は考えてみるべきではないだろうか。
例えば、取り壊しが検討されているカルチェラタンを存続させるかどうかの学生討論会で風間俊が大見得を切るシーン、岡田准一は吾郎氏に「黄金バットのようにやってくれ」と演技指導されたのだという。このシーンは吾郎氏が新たに加えた、いわば彼オリジナルのものだ。特別な意図のあるはずのここで、彼は戯画的に演じてくれと注文した。これは実に監督吾郎氏の世代としてのこの作品に対するスタンスを表す象徴的な演出だろう。彼はこのシーンで、未だ記憶として残している世代の多いあの時代を、「昔話」として再生産したのだ。演出以外にも、シーンの一つ一つを観ると分かるのだが、吾郎氏の作り出した六三年はどこかフワフワしている。海と俊、水沼の三人が都内へ行くシーンの、高度経済成長前の狭い道とゴミゴミした交通網は、公害をまき散らす未成熟な日本の一部でありながら妙なファンタジー色がある。まるで、『天空の城ラピュタ』で描かれた、荒廃した天空都市を思い起こさせるような風景だ。小熊英二の『1968』を指して「あの時代は未だ歴史になっていない」という書評が新聞に載っていたが、学者のワークに先んじて作家のアートがそれをやってのけるとは何とも感慨深い。そしてこの描写の先にあるのは、インタビューで宮崎親子が繰り返し言う「失われた可能性」(ここではあり得たかもしれない過去と解釈した方がいいのかもしれない)の、父とは違った追求の仕方だろう。
怒り狂う王蟲に真っ向ガチンコを挑んだナウシカ、意中の男と心中覚悟でバルスったシータ、ハリウッダーもビックリのドライビングテクニックを披露したリサ、駿氏が描く失われた可能性を取り戻す女達は到底私たちが真似できないものだ。しかし『コクリコ坂から』のメルは、取りあえず部活棟の掃除から始め、それでもだめなら都内まで出かけて失われた可能性を取り戻した。大げさなアクションなどではない。彼女のひたむきな努力は、世界を変革するには日々の生活の中で当たり前のことを疎かにせずきちんと積み上げていくことが大切だということを、そして当たり前のことがあるということがいかに尊いかということを教えてくれる。才能のある親父の理想への到達方法は高すぎて実現できないもののように思えてしまうが、才能のない(吾郎氏は父親にこう言われ続けていたらしい)倅のそれは、私たちの拳の握り方、力の込め方一つで到達できるような希望がある。この親子は同じ所を見ているが、その手段においては大きな違いがあるといえないだろうか。宮崎駿氏は息子の処女作『ゲド戦記』の鑑賞中、劇場を出ていきタバコをふかしスタッフに「世界を変える気で作品を作らないとダメなんだよ!」とプリプリ怒りながら胸の内を吐露したが、「コクリコ坂」の鑑賞後にはそれはある種のすれ違いであったのでは、とも思われてしまう。
またこの今回の『コクリコ坂から』には、意図してか否か、「ジブリ定番」といえるようなシーンがことごとく登場しないのも特徴的である。空を飛ぶシーンはもちろんのこと、力を込めたときに髪の毛や衣服が逆立つこともない(前作の「アリエッティ」ではスピラーが逆立ってましたね)。何よりも驚くべきは、宮崎駿がこだわっていたはずの食事をするシーンがないということだ。「コクリコ坂」の主人公メルはガス窯に火をつけ米櫃から米を取り出し、黙々と下宿先の住人の食事を作る。人のために何かは作るが、彼女が消費するという描写は見ることがなかった。彼女がものを食べるシーンといえば、俊に渡されたコロッケぐらいではなかっただろうか。戦後の貧しい時代を生きた父が、キャラクター達に存分に(それこそ歯茎をむき出しにして)食事をさせたにもかかわらず、満たされた時代に生きた息子は食事を作ることに重点を置いたのだ。何とも示唆的な作りのような気がしてならない。
時代は円を描いて繰り返すが、それは同じところを繰り返すループではない。微妙に軌道を変えながら廻る螺旋のようなものだ。そしてその回転はそのうちに、初めとは全く違う場所に円を描く。今回の『コクリコ坂から』は少しづつずれ始め、やがてオリジナルへと向かおうとする、スタジオジブリの新しい時代の兆しではないだろうか。天才の子に生まれながら敢えて父の時代に切り込み自分の時代を作ろうとしている吾郎氏の、次なる挑戦に期待したい。
淡々としている・・・
1960年代の横浜の街並み、カルチェラタン棟、映像が美しいです♪
そこに生きる登場人物も素敵。
が、それらを活き活きと躍動させる " 熱っぽさ " がもう一つ伝わってこなかったな。
そんなジブリ。
原作が少女マンガで、わたくしが苦手とする恋愛モノでしたが、
魅力的なカルチェラタン、生き生きとした学生たち、懐かしい昭和の町並みと、その風景、と、
さすがジブリ。
リアルではなく、あくまでリアル風な作画表現は、逆に実写では難しいでしょうな。
声優も、岡田くんはちょっと向いてない気もしましたが、
長澤まさみは、キャラと合っていて、良かったとおもいます。泣くシーン以外わ。
で。
気になったところはですね、まず、音楽の使い方。
音楽自体はむしろ良かったんだけど、使い方が悪い。とくに歌物が。
そこで流すなよってばかりに、全てのタイミングがおかしいし、シーンともマッチしていない。
「上を向いて歩こう」なんか、無理矢理ねじ込んでるよーにしかおもえなかったし。
一見、『おもいでぽろぽろ』っぽいんだけど、使い方がまったく違いますね。
あとは、スピード。絵の動き。
些細なところなんだけど、前半のスピードが、ちょっと気になった。
コマ飛ばしみたいで、なんか気持ち悪い。
そしたら、ホントに意図的なスピードアップをさせてるよーで、なんだかなー、と。
ストーリーの方だと、やっぱり出生の秘密の件がねー。
ちゃんと説明しとけよ、隠す理由も、聞く手間もないだろって。
お父さんが戦地へ行ってても、お母さんは残ってたんだしなあ。
んで、
それを話すシーンも、順番はさておき、どちらかは省略できただろーし、
要らないとしたら、シュン君とお父さんの会話だね。
「アイツに似てきたな」って、ココ、結局、無意味なシーンになっちゃうし。
あ、あと、ウインクも要らん。そんなキャラじゃねーだろ。
んでラストの、あのシーンの流れ。
電話があって、呼び出されて、慌てて向かうじゃなくて、
予め事情を教えてもらってたシュン君が、
会わせたいヒトがいるんだってウミちゃんを連れ出して、自転車の後ろにまた乗せて、
坂道を下りながら、誰々に、何時までに行けば会えるからって説明させて、そんで船の上で三人が出会う。
で、いいじゃん。
自転車もちゃんと伏線になるし。
三輪車とか出して、急に話を盛っちゃダメだよ。
説明が足りてないのは、
あと、人物関係やその背景で、そもそもウミちゃんの家族構成がよくわからなかった。
何人キョウダインなのか、一緒に住んでるのは誰なのか。
あ、お母さん生きてたんだ、とか。
写真とか、下宿やってるとかセリフであるけど、足りてる気はしなかったな。
そしたら、もーじゃんじゃん喋らせて、
長女とか次女とかテロップ入れてもいいじゃね? 大林宣彦みたいに。
そいや、メルって呼ばれてる理由も、説明あったっけ?
んでさ、ウミちゃんって、掃除以外に何も…。
や、ま、いいか。。。
とゆーね、なんか注文が多くなってしまいましたが、水準は低くないとおもうし、
ゲドと比べるとねー、何もかも赦せる。
そんなジブリ。
久々にいいジブリ作品だった
総合:80点
ストーリー: 75
キャスト: 80
演出: 80
ビジュアル: 85
音楽: 85
大きな主題をもって何かを精一杯するような作品が多いジブリだが、今回はまだまだ若い登場人物に焦点を当ててその心の動きを追いかけ続けてくれた。少女の揺れ動く心が瑞々しくて、高校生らしい日常と彼らに起こる出来事が爽やかだった。彼女が見る横浜の丘の上からの海のような爽快感と、しっとりとしたささやかな幸福感があった。
この時代のことはよく知らないが、情景豊かな昭和の街並みを切り取ったような風景と、それを美しく彩り豊かに描いた絵が美しかった。挿入される曲も歌も作品に良くあっていたと思う。近年のジブリ作品はだんだんと質が低下していると個人的に感じていたのだが、本作は久々に良い出来でした。
美しい風景ばかりで汚いものが出てこないし、登場人物も見事にみんないい人ばかり。このあたりは古き良き日が美化されすぎていて単純すぎるとは感じるのだけれども、少女の感情を表現していくにはこれもいいのではないだろうか。彼女は衝撃的なことや辛いことも受け止めようとしていたから、このうえさらに悪人が出てきてかき乱さなくてもいいかな。
主人公の長澤まさみと岡田准一の声は今一つだった。二人とも当時すでに20代半ばと30代で、高校生というよりも大人の声だったし、技術的にもそんなにたいしたことがない。話題性ではなくもっと実力と設定に合わせて声優を選んでほしかった。
ごろぉ~(怒)
何回こけたら気が済むんや~。
だから映画の世界から足を洗って元の世界に
戻れって言ったやないか~。
ごろぉ~
主人公自身が言ってたやないかぁ~。
安っぽいメロドラマって・・・。
そのとおりや(怒)
キャラクターデザイナーも背景の方も
みんないい迷惑やで・・・。
背景さんいい仕事してるのに
かわいそすぎるでぇ・・・。
人の人生を変えた戦争
戦争は多くの人の人生を変えてしまった。
そんな事をふと思い出す映画でした。
ジブリ作品で久しぶりに、ドキ・・・として泣かされてしまった。
ただこの海と少年の顔が似すぎていて、そこがややこしいと言うか意地悪じゃないですか?結局違うんだから、、そこに不満。
声優に関しては今回は不自然な感じもほとんどなく見られたから良かった。
プロダクションIG/マッドハウス/ガイナックス‥他‥
今更だけど‥
ジブリ独走の時代は過ぎた‥。
ジブリは‥●千と千尋〜‥にてヒトツの楽章が終わった‥(いや●ハウル〜‥で結んだのかも知れない‥)。
●ゲド戦記
●〜ポニョ
●〜アリエッティ
↑どれも皆‥往年の輝きは無い(‥と‥俺は思う)。
だから‥
本作はジブリとしてでは無く‥
ただのジャパニメーションとして見よう(^-^)/~
◆音楽は‥
歴代久石サンから武部聡史サンへ‥
◆声は‥
岡田君(滑舌悪い)も、長澤サンも‥良いッ‥
だが‥
役とは全く合ってない‥~ヽ('ー`)ノ~
柊サンは千尋のCVをあててた娘だよね‥。
高度成長期(?)の、日本のとある村?とある町?を舞台に‥
少年と少女の淡‥い恋物‥語‥‥が‥、
て‥(`曲´#)
いや‥
イキナリ?強引に?物語が‥プロローグ無く始まる/‥が‥
全然引き込まれないやないかいヽ('ー'#)/
なんだろ?
宮崎Jr.は一体何を伝えたいのか?伝えたかったか?
俺にはサッパリ分からない┐('〜`;)┌
☆評は‥
DVD\250円水準にて‥(^-^)
DVD買う度⇒①★
モ、1回見たい度⇒①☆
オススメ度⇒②♪♪
デートで見る度⇒③◎◎◎
観た後のお店】洋食屋さん‥
観た後の飲み物】キリンクラシックラガー
観た後の食べ物】コロッケか?メンチカツか?
歴作と同じで‥
食べ物や飲み物のシーンはやたら旨そうだo(^o^)o♪
そして‥音楽♪
久石サンに変わった武部サンが‥かなり良い(*'-^)-☆
う〜ん‥
‥なんと言ったら良いんかな?
例えば●レザボアドックス‥↓
例えば●僕の初恋を君に捧ぐ‥↓
時系列を前後入れ替えたりするだけで‥
脚本は劇的に変わり動き出し光り放つハズなのだが‥ヾ(*'-'*)
惜しい‥└|∵|┐♪┌|∵|┘
☆は②強だと思うが‥
音楽がカナリ良いので+☆①(o^-')b
うーん
その時代の雰囲気はよく表現されていると思うのだが、学生運動になじみのない世代からすると、違和感を感じざるを得ない。「ひく」って感じかな。
主人公に感情移入することもなく、正直退屈した。
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