奇跡

劇場公開日:2011年6月11日

解説・あらすじ

「誰も知らない」「空気人形」の是枝裕和監督が、2010年3月の九州新幹線全線開通に沸く九州を舞台に描く家族ドラマ。主演は、兄弟お笑いコンビ「まえだまえだ」の前田航基と前田旺志郎。両親の離婚で鹿児島と福岡に離れて暮らす兄弟が、新幹線の全線開通をきっかけに、バラバラになった家族を取り戻そうと奮闘する姿を描く。共演に夏川結衣、阿部寛、原田芳雄、樹木希林ら是枝作品の常連が顔を揃える。

2011年製作/127分/日本
配給:ギャガ
劇場公開日:2011年6月11日

スタッフ・キャスト

全てのスタッフ・キャストを見る

関連ニュース

関連ニュースをもっと読む

映画評論

フォトギャラリー

  • 画像1
  • 画像2
  • 画像3
  • 画像4
  • 画像5

(C)2011「奇跡」製作委員会

映画レビュー

3.5しっかりした子供達と、あったかい大人

2014年5月13日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD、VOD

笑える

楽しい

幸せ

お兄ちゃんが自分の部屋を自ら掃除するところ、
弟が自分で朝食食べて、ゴミ出しして、お父さん起こして仕事に行くところ、等。しっかりしていて逞しい!それでいて子供らしさも全開!
周りをとりまく友人たちもいい感じ。対等な関係って感じやね。
こんな子供時代いいなあと少しひねた子供時代を過ごした当方からは羨ましく映った。

阿部ちゃんも「デリカシーはないが根はいい教師」が演じられていた。こんな先生好きだな。
下記のくだりでは思わず吹き出してしまった(笑)
「エグザイルは職業なのか?」
「昆虫は職業なのか?」

コメントする (0件)
共感した! 2件)
momokichi

5.0本作の本当のテーマとは?

2025年6月17日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

奇跡

2011年
是枝裕和監督作品
本作もまた、家族、親と子供をテーマにした作品ですが、子供の視点から撮られているところが他の作品と異なります

本作はスタンド・バイ・ミーのような子供達の冒険物語のようで実は違います
本作のテーマは子供へのネグレクトだったと思いました
子供達の演技があまりにのびのびとしているのでそこに目を奪われてしまいます
こんな程度のことがネグレクトといえるのか?そう感じる方もおられると思います
こんな家庭2025年のいまはどこにもあると思います
東京とかの大都会だけの事ではなく九州の地方都市でもこうした問題が起き始めた時代だからこそ監督は九州新幹線をモチーフに取り上げたのだと思います

いよいよ新幹線がすれ違うという時に、主人公の小6の航一は、決めていたはずの願い事を言えません
彼の頭の中では、桜島が大爆発しろ!とかまではイメージできていたのに、それからあとは、また家族が一つになって暮らせますようにとの肝心の願い事が頭から消えてしまい、最近の子供達だけの大冒険の様々なことが去来しただけで終わってしまったのです
昨晩泊めてくれた見ず知らずのお爺ちゃんとお婆ちゃんのことが大きく思い出されます
どこかの駅でみた理想の父親の後ろ姿と楽しそうにまとわりつく子供達の光景も
「願い事言えへんかってん」と彼は、弟の龍之介に打ち明けて謝ります
なんで?と聞かれて彼は「家族より世界を選んでしもうた、ごめん」と彼の父のような訳のわからないことを口走ります
弟は「龍之介も違う願い言うてもうてん」とそれに応え、兄は「父ちゃんのこと頼むで」と返します
きっと航一少年は強制的に大人になったしまったのです
奇跡なんか起こらない
桜島が大爆発しないように
家族はもう一つにはなりはしない
両親が、勝手気ままに生きているなら、子供は子供で生きていくしか無いのだと、あの瞬間思い知ったのです
龍之介も、家族をがもと通り一つになりますようにではなく、父のバンドが売れますようにと願ったようです

意味わからへんと何度も繰り返される言葉は、この現実を受けいれられないとの訴えでした、新幹線がすれ違った時、彼は意味が分かったのです
自分達は実は両親に深く愛されてはいない
昨晩泊めてくれた老夫婦の家のように、子供は大事に扱われるべきだ、可愛いがわれるべきだとは子供心に航一は思っています
それでも血が繋がってもいないのに一緒に暮らしてもいない家族でもないのになんでやろ、意味わからへん
でもあの家ではそうしてくれる大人がいた
しかし自分達の両親はそうでないのです
それでも自分達は生きていかないとならないのです
子供一人で生きていくことはできないことぐらいは分かっている
それが彼の言う「世界」ということなのです
その時、彼は子供を脱し、世界を受けいれたのです

子供達はそれぞれに決めていたそこ願い事を大声で叫びました
本当に奇跡が起きるのか?どうか
そんなことはあとにならないとわからない事です

レッドは愛犬が生き返るなんてことが起きるはずも無いのは彼自身がわかっています
彼は小さな妹と父だけの家族のようです
父の生活は荒れていて夕闇の中風俗店に消えます
父はレッドに妹を連れて先に帰れと言ってます
レッド兄妹はまたかと諦めて二人で家に帰るシーンがあります
家に帰っても母も夕飯も待っているとはとても思えません
たぶん、このまえに父が二人に食堂で何か食べさせたのでしょう
レッドには愛犬マーブルがいて面倒を見ています
自分達に家族の愛が振り向けられることがない代わりに犬を可愛いがって自分を慰めているように見えます
愛犬は公園のシーンの時から衰弱していたようです
老犬なのかもしれませんし、餌を満足に与えられていないからかもしれません

愛犬の死は自分達兄妹の運命を暗示しているようにレッドには感じられたかも知れません
奇跡が起きて犬が生き返らなければ、自分達兄妹の運命も変えられないことになる
彼はスーパーの駐車場のスロープを上るときそう思って怖じ気づいたのかもしれません
暗くなってきて小さな妹を一人残して来たことにも気がついたのかもしれません
それが彼に回れ右をさせたように思いました

それでもとにかく、子供の自分達にできることはやり遂げたのです
そこから先はいつかわかることです

阿部寛の演じた担任の男先生の反応のように片親のない子供は普通に一学級に何人もいる時代です
片親がいないからネグレクトされているとは決してイコールではありません
片親であっても子供達がより深い愛情に包まれて育てられている家庭はいくらでもあります

しかし航一の周りにはほかにもまだまだネグレクトされている子供がいそうです
子供達は福岡と鹿児島にそれぞれ帰ります
龍之介の父は息子が昨晩居なかったことに気がついてもいません

福岡の少女めぐみの家でも母も祖母も、
昨晩のことを真剣に心配していた素振りもありません
もしかしたら、少女が友達の家に泊まるなどと言っていたのかも知れませんが、それでもあまり関心がないのです
鹿児島の航一の家では祖父が帰りを今か今かと待っていたようです
祖父が航一の外泊をうまい理由をつけて母と祖母に言ってあったようです
それでも航一は携帯を持っているのに、母が大丈夫?と確認の電話もしていなかったのです
昭和の母だったなら、誰の家に泊まるの?とかしつこく確認して、その家に電話して迷惑をかけますとか挨拶していたでしょう
祖母も母が電話するかどうかを見守っていたはずです
子供達の誰にも親からの電話はなく、子供も親に電話をしません
つまり彼の母は子供に対して無関心だったのです
母は大きくなってと思っているのみです
航一もそれが自分の家庭では普通の事だと思っています
弟の龍之介は自分から淋しいと親に電話すると、その電話を鬱陶しいように思われて嫌われるのではないかと思っていたのです
母は都合の良いときだけ可愛いがるだけなのです
「お父ちゃんのこと頼むで」
子供達のほうがよほど親を心配しているのです、家族を求めているのです
その構造が、新幹線がすれ違った時航一にはわかったのです
そういう奇跡が起きたのです

2004年の「誰も知らない」の延長線上にある映画だと思います
そして2018年の「万引き家族」に繋がっていくベースになった作品と思います
つまり本当もまた日本の家族の崩壊がテーマだったのです
航一は12歳、龍之介は10歳
本作公開から14年過ぎました
あの兄弟はそれぞれ26歳、24歳になっています
早ければ結婚していたり、子供がいてもおかしくありません
親にしてもらったようにしか自分の子供を育てられないと良く言われます
ならば彼らの家庭ではネグレクトが拡大再生産されているのでしょうか?
少なくともこの兄弟が持つことになる家庭はそんなことはないと思います
あの時奇跡が起こっていたのですから

ただ桜島の大噴火の絵が赤く怖いです
何かの暗示とは思いたくありません

コメントする 2件)
共感した! 7件)
あき240

4.0その後の作品選びや実績を考えると、橋本環奈のキャリアベストはこの映...

2025年5月11日
Androidアプリから投稿

その後の作品選びや実績を考えると、橋本環奈のキャリアベストはこの映画だったのかもしれない。是枝監督なので子役演出に嘘らしさがなくて良かったです。

コメントする (0件)
共感した! 1件)
わたろー

4.0是枝版「スタンバイミー」

2025年3月12日
PCから投稿

是枝版「スタンバイミー」で、本当に良く出来てる。ある意味職人的うまさを感じる。是枝裕和監督にかかると、日常的なものが、映画的に生き生き見えてくる。

今回の映画は、「まえだまえだ」の前田航基と前田 旺志郎を軸に、橋爪功、樹木希林、原田芳雄などの芸達者が、はみ出ることなく、二人を支えていて見事。市井の人々という感じ。りりいのおばあちゃんもよかったし。

よく見るとジャーナリスティックな面や、哲学的な面なども感じられて、いろんな見方のできる映画。時代をしっかり意識して、九州新幹線開通に合わせて作られ、その時代の世相まで入れ込んでいる。「事業仕分け」「中心市街地問題」(どこにでもある商店街問題です)、地方都市の疲弊など、うまく取り入れている。

で、オダギリジョーのバンド名が「ハイデッガー」と哲学者の名前。兄(前田航基)がよく口にする「意味が分からん」や、家族と世界、世界って何?とか、けっこう哲学している。

ハイデッガーは、私の覚えているところでは、時間は、映画のフィルムのように一瞬、一瞬がコマの連続で、生まれては消えて、また生まれる。いつも一瞬はこの世で初めての一瞬とか言っていたように思う。それは、過去、未来に縛られていない、目の前には今の一瞬しかないということ。そう考えると過去をくよくよしない、未来に不安を持たない、今をしっかり楽しく生きることができるという話だった。それを体現しているのが弟(前田 旺志郎)。

お兄ちゃんも、いろいろ考えて「意味が分からん」と言っていたが、ラストで鹿児島に帰ってくると、あれほど嫌っていた桜島を、最後は受け入れる。ようやく桜島が彼の「ふるさと」になったのだろう。

ラスト近く三人の少年が帰ってきての鹿児島の駅の俯瞰のロングショットは素晴しい。まちがあたたかく彼らを見守るよなカットだった。
(是枝作品の醍醐味はロングショットだと思う。「幻の光」でも、もう人物が見えないぐらいのロングショットで台詞を言わせていた。)

それとほとんど引きの画で、そのフレームのなかで役者が自由に動く、カメラが無駄に動かず、役者を動かす。うまいものだ。下手な演出家は、キャメラを動かす、上手い演出家は役者を動かすとよく言われている。

編集も特徴的で、緩やかなリズムがある。細かくカット割りをするのではないが、ゆったりとした編集のリズムがだんだん映画全体のリズムになる。メインタイトルが出るまでのゆったりしたリズムのカット割が気持ちいい。

あと今回は、本当に芸達者に無駄に演技をさせなくてよかった。「歩いても歩いても」の樹木希林と原田芳雄は、違和感があったが、今回はなかった。

コメントする (0件)
共感した! 1件)
mac-in