ヒア アフターのレビュー・感想・評価
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ひとりとひとりが、出会うとき
人は、ひとり(孤独)とどう向き合うか。人と人は、どのように向き合うか。私にとっての「ヒアアフター」は、死者や死後の世界の映画ではなく、そんなシンプルで普遍的なテーマを丁寧に描いた作品だ。(イーストウッド監督らしく)いつもながら、控えめながら深い余韻を醸し出すギターの音色とともに、静かに・ダイナミックに動いていく物語が心にしみた。
津波に遭い生死をさ迷い生還したニュースキャスターは、生の証であったはずのキャリアと恋人を失う。母に省みられず兄を慕ってきた弟は、家族とのわずかな幸運の光が見えた矢先に、支えであった兄を事故で失う。人に触れると知りすぎてしまう男は、他者との深いかかわりを求めつつも、うまく距離を縮められない。…彼らはそれぞれに、孤独を受け入れかね、もてあまし、さ迷う。
そんな彼らが出会いを果たせたのは、もがき苦しみながらも「一歩」を踏み出せたからだ。行き違い・すれ違いから始まった出会いが、彼らの傷ついた心をじわじわと満たしていく。
人は、ひとりだ。だからこそ、他者を必要とする。そんなことを、素直に感じ入ることができる、豊かな作品だ。
追記
2011年3月11日午後2時46分、なだれを打って倒れる自転車にしがみつきながら、思い出したのは「ヒアアフター」のことだった。「ああ、私はもう、あの素晴らしい映画を素直に観ることができなくなるかもしれない。」そう思った。
けれども、今こうやって地震以前の走り書きを読み返していても、むなしさはない。うん、確かにそうだった・確かにそうだ、その通りだ…と強く思うし、わずかな揺れに波打つ心はむしろ穏やかになっていく。よいときに、よい映画に出会えた。改めてそう思う。
【”来世。”心に傷を負った霊能力者、臨死体験をした女性ジャーナリスト、双子の兄を亡くした少年の不思議なる邂逅を描いた作品。難しいテーマを、ヒューマンドラマにしたイーストウッド監督の手腕が冴える作品。】
ー 私は、マット・デイモンが好きである。彼の出演映画はほぼ鑑賞している。だが、この映画は公開中に、”あの出来事”があり公開中止になり私も特に観ようとは思わなかった。
だが、近年、”あの出来事”を題材にした映画が少しづつ公開されてきて、私も耐性が付いたので(とはいえ、冒頭のシーンは怖かった。)鑑賞した。-
■東南アジアのバカンス先で津波に襲われ、臨死体験をした仏人ジャーナリストのマリー(セシル・ドゥ・フランス)は、その時海中で見た不思議な光景が忘れられずにいた。
米に住む霊能力者のジョージ(マット・デイモン)は、死者と対話ができる自身の能力を、余り使わないようにしていた。彼は相手の手を握るとその人が関わる死者の事が分かってしまうのである。又、双子の兄ジェイソンを交通事故で失ったマーカスは、アルコール中毒の母から離され、里子として生活していた。
だが、3人は不思議な縁で、ロンドンで邂逅する。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・今作の様なテーマの映画を、どこかファンタジックで、メランコリックで、猥雑感のない作品に仕上げたクリント・イーストウッド監督の手腕は、流石である。
・マリーも、ジョージも、マーカスも皆善人で、彼らを取り巻く人たちも、一癖ある人は居るが(マーカスの兄など)、皆善人である。
・今作はそんな中、マリー、ジョージ、マーカスの物語が、キチンと描かれており,それが最後にキチンと収束する作品構成が巧いと思う。
<主要登場人物>
1.マリー:恋人の同僚と東南アジアのバカンス先(多分、バリ島で有ろう。)で津波に呑み込まれたマリー。フランスに戻るも、その時の不思議な経験が忘れられず、”あの世”を信じ始めるが、周りはそんな彼女の事を心配し、休養を勧める。が、それが逆に彼女の心を傷つける。だが、彼女は約束していたド・ゴールの本ではなく、「ヒア アフター」を書き上げ、上梓するのである。
2.マーカス:アルコール中毒の母と双子の兄ジェイソンと暮らしていたが、兄を交通事故で失い、里子として生活を送る。だが、兄ともう一度話したいと思っている。
3.ジョージ:幼い時の大病が原因で、臨死体験をし、その後霊能力を得る。だが、そのために傷つき、能力を封印する孤独な男。だが、料理教室に通うようになり、ペアになったメラニー(ブライス・ダラス・ハワード)と、良い仲になるが彼女の手を握ったために、彼女の哀しい過去を知り、別れる。
<今作では、この、住む国も、言葉も性も違う三人が、不思議なカルマにより、邂逅し、お互いに再生していくのである。
テーマが、”来世”でありながら、ヒューマンストーリーとして仕上げた、クリント・イーストウッド監督の手腕に唸らされる作品である。>
格調高い映画
大好きな映画
公開当時、映画館に観に行った。静かに心に残る映画だった。
その年に3.11の地震があり、映画はまもなく上映が終了となった。あの地震がなければ、もっと沢山の人が観ていたかもしれない。
映画館での津波のシーンは、リアルで引き込まれた。
今日久しぶりに3回目を観た。
2度目をめったに観ない自分だが、また観たいなと思わせてくれる。
マット・デイモンを含む三人が、死後の世界を通じて交わる。
寂しい気持ちになる事もあるけれど、最後は幸せを予感させるのがいい。
音数の少ないギターの音色と、少し落ち着いたトーンの映像が、静かに映画に浸らせてくれる。
マットデイモンもさることながら、少し暗い無表情な男の子役の双子がとても良かった。
見る前にいくつか
これは見る前にいくつかのハードルを越える必要のある映画ですね。
・津波のシーンがある(トラウマを抱える人には辛いかもしれません)
・死者と交信できる(死後の世界を肯定している)
考えたら、宇宙人が出てくるは、人の金を盗むは、結婚式で花嫁を奪って逃げるは、、、名作と言われる映画にはとんでもないウソが一つや二つは入っているもので、この作品も「そんなこと言ってたら、映画になんないよ」と、なりますね。
面白いのは、パラレルに展開する主人公たちの人生が、あるきっかけで交わり心が温まるようなケミストリーを生み出すこと。
人気キャスターだった女性が津波の被害に遭い、臨死体験をしたことを本に書くが周囲から冷たい目で見られ辛い思いをする。
常に一緒に行動する双子が交通事故に遭い、独りになった弟が、死んだ兄に会いたくてインチキ霊能者にだまされ続ける。
手に触れるだけでその人に深い影響を与えた死者のイメージを見ることが出来るが、それが辛すぎて隠れて暮らしている元霊能力者。そのせいでガールフレンドすらも去っていく。
この人たちが出逢ったら、何が起きるんだろう?という興味が、最後までワクワクしながらストーリーに惹きつけられます。
クリント・イーストウッドの死生観と、さりげなく心に沁みる上質の音楽、いつもよりちょっぴり苦みをおさえた味付けの演出と、見どころは多岐にわたります。
2017.4.28
自分に正直に生きること
三つの話のバランスの良さ
生と死
製作総指揮、スティーヴン・スピルバーグ
クリント・イーストウッド監督作品
主演は、マット・デイモン
日本公開が、2011年2月でしたが
同年3月11日に
東北地方太平洋沖地震の発生で
津波シーンが震災を
連想させるという事で
公開途中
上映中止となった作品。
その後、収益の一部を
被災された人々に
義援金が寄付されたそうです。
フランス人で、
ジャーナリストをしている
マリーの臨死体験や
双子の兄を交通事故で亡くした
イギリスの少年マーカス
そして、
霊能力を持つアメリカ人の
ジョージ(マット)
離れた都市で暮らす3人が
ロンドンのブックフェアで
運命的に出会う。
3人、それぞれの
喪失感、孤独感が
切なく描かれていますが
最後は、生きる事の
素晴らしさが伝わってきて
心温まる物語でした。
マリーが遭遇する
冒頭の津波シーンの迫力が
恐ろしいですから
ご注意ください。
来世って意味なんだ🤔
マリーは恋人との旅行先で津波に巻き込まれて、日本で言う三途の川まで行きかける。そんな体験をしてしまうと人間はやはり変化するんでしょうね。仕事でミッテランについての執筆をするつもりが、自分の体験についての本を書いてしまう。まあ、職場のみんなからしたらうけいれがたいだろうなあ。
元霊媒師のジョージは自分の能力が嫌で、使いたがらない。ジョージの兄は、与えられた才能だから、霊媒師を続けさせたい。みんなが持てる能力ではないのだから、マイナスに考えず、上手く使えばいいのになあと思ってしまう。
双子の兄を事故で亡くしたマーカス、兄が大好きで、兄の帽子を被り続けていたんだけど、ジョージに霊視してもらった時に、それはボクの帽子だから被らないでと言われた。そんなふうに思っていたのか〜と少し驚いた。
それぞれ全く違う土地で生活している3人の出会い方がなかなか面白い。クリント・イーストウッドの作品だが、他のものとはまた違う雰囲気でこんな物語まで撮れてしまうんですね。
悲しみのなかで
はじめ良ければ全てよし?
猿の惑星等、「結末は絶対に教えないでください」というキャッチコピーがあるが、この映画に関して言えば、「最初のシーンは絶対に教えないでください」といったところか。
私は基本的には事前情報なしに映画を見ることにしているので(劇場では本編上映前に予告編が流れるが、その時は目を閉じている)、冒頭の津波シーンの大迫力には度肝を抜かれてしまった。この映画一番の見所である。だが、その後は一変して、山場やクライマックス、オチというものもなく、静かな淡々としたストーリー展開となる。
結局、臨死体験や、霊能者の話となり、クリーンスト・イーストウッド作品とは思えないような内容になっていく(悪い意味ではないが)。
彼の作品は、大体において後味が悪いが、この映画に関しては、後味が悪いのか良いのかと感じる前に、尻切れトンボのドラマのようなエンディングになって、これで終わりかよ?と思ってしまった。
料理教室でペアを組んでいた女性=ブライス・ダラス・ハワード・・・ヴィレッジ(盲人役が素晴らしかった)や50/50に出てた人、父親は映画監督のロン・ハワードらしい)は、なぜ来なくなってしまったのだろうか?理由を知りたかった。
80歳。枯れたディレクション。
東北の津波から10年だ。
「死んだ身内が夢枕に現れた」という証言は、たくさん記録されており、本にもなっている。
肉親の声を聞いて、双方で安心をしたい。赦しを得たい。残された側の新しい出発の足がかりにしたい。文句があったのならそれも聞きたい。
自己肯定もほしい、
そう思うのは本当だ。
一緒に居た時間や、かかわった関係の深さがあればあるほど。
僕も、恐山に行った。(津波ではない、別件で。看病した身内のことで)。
遠かった。
道中、泣けて泣けて仕方なかったけれど、イタコの口寄せを聞いたとき、予想に反して「これじゃない感」にやられたものだ。
思った以上に、自分は自分の行為=看病に満足しており、やりきった感があったことを発見して 山を降りた。
別れてからの年月と、遥か青森の霊場までの道中にかかった時間が、いわば死別を消化するための“修行”期間だったのか・・それも必要なインターバルで、無意味ではなかったと思っているが。
恐山。そして青森の西海岸の仏ケ浦、おすすめです。
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クリント・イーストウッド、
来世に片足踏み入れている老監督が作る映画
80歳の作だ。
①降霊師の男と、
②津波で死にかかった女と、
③双子の兄を失った弟と。
この三者で物語は進む。
一卵性双生児の男の子たち二人が、ユダヤ系なのだろうか、あの表情も雰囲気も なんとも悲しい。
映画は、僕はイーストウッド御大に敬意を表して 贔屓目な観衆として本作を観るのだが、最盛期を過ぎた監督にとってはエピソードの取捨選択の力は衰えたと思う。
この③=双子のストーリーだけで映画は成立したのではないかと思われる。
⇒そう思うほど、残りの二人の存在が希薄だった。
70分ずつそれぞれを舐めるように撮り、最後にあの「愛と哀しみのボレロ」のごとく全員の対面に昇華させてはいけなかったのかな?
無理か?なぜなら、
誰も失っていないアルバイト降霊師と、死にかかった自分のことだけで頭がいっぱいの女性キャスターでは、彼らは脇役もいいところで、作品を支える重要な役どころにはなれないだろう。
脚本家がイーストウッドの足をひっぱったね。
それでも子役が凄かったので☆☆☆3つです。
ベッドをふたつ並べるシーンと、帽子を脱ぐ決断がとても良かった。
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