劇場公開日 2011年2月19日

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ヒア アフター : 映画評論・批評

2011年2月15日更新

2011年2月19日より丸の内ピカデリーほかにてロードショー

抑えた色調と抑えた語り口がリンクし、独楽が静まるような求心力を生んでいる

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なんと趣味のよい映画なのだろう。「ヒア アフター」を見て、私は反射的にそう思った。

紺やグレーや茶色が、実にきめ細かく使い分けられている。どれも地味な色だ。赤や黄色といった強い差し色は用いられない。いいかえれば、これは一種のミニマリズムだ。衣裳も装置も、いや、画面そのものが一定の諧調を踏み外さぬよう、綿密な色彩設計が映画全体に張りめぐらされている。

ご承知のとおり、「ヒア アフター」の登場人物は死後の世界に接近しようとしている。パリの女性ニュースキャスターは、津波に呑まれて九死に一生を得た。ロンドンの少年は、不慮の事故で死んだ兄となんとか交信したいと願っている。サンフランシスコの工場労働者は、生来の霊媒的能力をもてあましている。

彼らは三者三様の形で「死との隣接」を実感している。だが彼らは、「向こう側」へ荒々しく踏み込んでいくわけではない。超常現象を通じて霊界と派手に交流するわけでもない。

そこで、イーストウッドの趣味のよさが生きてくる。抑えた色調と抑えた語り口がリンクし、一歩まちがえばおどろおどろしくなったり感傷の泥沼に溺れてしまったりしそうな話に、独楽がしんと静まったような求心力と説得力をもたらす。

ここが渋い。ここが「ヒア アフター」の見せどころだ。この技が利いていればこそ、「ヒア アフター」は崖っぷちで踏みとどまることができた。水際で静止し、爪先立ちの姿勢でバランスを取ることができた。もちろんこれは、イーストウッドの体質とも関わっている。彼は思慮深い人物だが、本質的にリアリストなのだ。そう、「ヒア アフター」は、見かけほどスピリチュアルな映画ではない。登場人物の言動にまぎらわされず、静かで安定した語り口に耳をすませてほしい。

芝山幹郎

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