時をかける少女のレビュー・感想・評価
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終盤にかけて泣けてしまう“時かけ”。
細田版からオリジナルの要素を活かしつつも違うストーリーを構築させようとしている潮流。この作品でも改変というよりアナザーストーリーといった雰囲気で、芳山くんの娘のタイムトラベル恋愛を描いている。タイムリープした先で出会った映画監督志望の大学生・涼太に手伝ってもらい、なんとか深町一夫を探すことになった。2010年から来たと言ってもそれほど驚いた心理描写もなく、もしかすると既に死期を察していたんじゃないかと思える節もあった。吉田拓郎や、『海底大戦争』、ブルース・リーのポスターなど懐かしいグッズもさることながら、登場する懐かしい車など、かなり凝っていると感じる。リアル神田川のカップル、“ウケる”という言葉が通じない・・・サイケなヒッピーの恰好はちょっと時代が違うと思うが・・・
1974年に高速バスで38人が死亡という事故があったという設定。絶対、後半に絡んでくるとは思っていたけど、途中で忘れてしまっている。そう。この“時かけ”は記憶や忘却という動物の本能が見え隠れする映画なのだ。深町=ケン・ソゴルは例外に洩れず、この映画の主人公の記憶を消そうとするのであるが、あかり(仲)は好きになったオタク大学生が秋田行きのバスに乗り込むのを何とか止めようとするのだ。しかし、「未来から来た者は歴史を変えてはならない」とルールに忠実なケン・ソゴルに邪魔され、彼女は記憶を消される・・・そして撮った8ミリ映画のフィルムをあかりのポケットに忍ばせる優しさも見せる。まぁ、これがノスタルジックな雰囲気を盛り上げるんだけどね。
もう一つ、涼太の相棒カメラマンが芳山母子から去った実の父親だったということも伏線として存在するが、ここはもうひとつ脚本をひねってほしいところか。
更なる"時かけ"現象は起こるのか?
このシリーズの凄いところは、基本的な設定・ルールをそのまま生かして、その時々に合わせた新たなストーリーを構築しているところ。
それぞれに違った味わいが有るのが大したものだと思う。
角川3人娘の末っ子として売り出す為に製作された原田知世版。まだまだ彼女の知名度自体が無かった為に、当時は薬師丸ひろ子と松田優作主演の探偵物語との2本立てで、初日の舞台挨拶も、薬師丸が華やかなフラッシュを浴びていて主役だった。あの時同じ舞台に原田知世が立って居たのかどうか?その記憶すら危うい。
所詮『時をかける少女』は添え物扱いだったから…。
それが長い年月をかけてジワジワとカルト的な人気を受ける様になるのだから!
2006年、新たな《時かけ》伝説がアニメ化によってもたらされる。
上映終了直後、劇場を出る若者達(寧ろオタク族に近い感じの…)が全員、怖いくらいのテンションで誰彼構わず(そんな感じに見えた)感想を話し始める異常とも思える雰囲気には圧倒された。
あれから4年。更なる《時かけ》伝説は果たして起こるのだろうか?
結論から言えば、おそらくそれは無いかも知れない。
何故ならば、原田版。アニメ版。そして今回と、常に《切ないラブストーリ》なのは同じ。実は原田版の予習を怠っているので、アニメ版との違いで考えて見る。
アニメーションとなるとちょっとした考え方の違いだけでも、物凄い反論をされたりする事も有るので、予め“あくまでも個人的な意見なので”と、先に断っておきます。
笑って笑って、最後に泣かす。複雑に絡み合ったストーリーに、巧妙に貼られる伏線。
何よりも2人の感情の盛り上がりから、「行け〜!」や、「絶対会いに行く…」※1
等の名場面を生んだ。“恋愛ど真ん中”で描かれた男女の恋愛劇。
そんなアニメ版と比べると、今回は分かり易さを追求した普通の娯楽作品を目指している。だから数多い伏線は、それ程巧妙には仕掛けられていない。寧ろ呆気ない位に画面に提示されたりするので、構成上の深みは無い。いや、どちらかと言えばそんなオタクの心を虜にする様な要素は、初めから拒否している感じにも見受けられた。
但し、肝心の母親がどうしても《深町君》に伝えたかった気持ちは、映画を観終わるとそれ程観客にその意図は伝わり難いし、主人公の少女がどうしても知りたかった父親の存在。その父親と母親との、一見『バック・トゥ・ザ・フューチャー』になりそうな設定すら、どこか中途半端なまま終わらせてしまっている感じなのは勿体無い。
1974年とゆう時代設定を知っていると、より楽しめるのは間違い無いところでは有ります。「ああ!そうそう!!」…と。
こればかりは年寄りの特権ですな(1972年だと、ブルース・リーのポスターは貼れないのですよ!)※2
原田版にはその過去の描写はそれ程重要では無かった様な記憶が有るのですが、なにぶん確認をしていない。
アニメ版は寧ろ時代に逆行した様なグラフィックが、ひと夏の陽炎の様に多くの人の感受性を刺激していたと思う。
今回の時代設定による違和感は、観る人によって様々な反応が有りそうな気がする。
予告編で使われていた携帯等の小道具は、(写真機能等)もっと上手い使い方が有るだろうし。
今の若い人にとっては、当時の風俗的描写は、アニメ版の反応に比べたら低いだろう…と言った推測は容易い。
(8ミリの撮影中に映り込む室外機が思いっきり最新式だったりするのには、敢えて目を瞑ろう)
また、相手役の中尾明慶の“未来から来た人”に対する反応がすんなりし過ぎている…って言うか、まぁ!彼のキャラクター設定が、映画ファンの心をチクチクと刺激する元祖オタク系だから、許せる範囲では有りますが…。
映画の冒頭に映る蟻。母親が密かに開発した薬で有る出来事が起こる。
ラベンダーの匂いに隠された1972年の思い出。
《歴史を変える事は許されない》
タイムリープに課されたルールの掟は守られなければならない。
その為に主人公のあかりには、悲しい現実が最後には待ち受けている。
しかし、本当に歴史は変えられなかったのか?
映画本編の描写には描かれなかったのだが、実際には歴史はほんのちょっぴり変えられていたのだ!
冒頭の蟻の○に、僅かにヒントが隠されていた。
蟻は問題じゃない。蟻の○も本当は問題じゃない。
母親が作り上げたタイムリープの薬の○は、蟻の○にヒントが隠されていたのだった。それによって命を救われた人物が居た事実。
母親は、《彼》から写真を渡された事で記憶の糸が繋がり、急いで“1974年”へ飛んだ筈なのだ。だからこそ帰り道では、《深町》くんに“その罪”を告白する為に、初めて出会った1972年に飛びたかったのではなかったのか?
だからその○しか薬は作っておかなかった。
歴史を変えてしまい。その罪を告白し、今の時代に帰って来られる為には、その○だけの薬がどうしても必要だったのだから。だから残りの薬でどうしても…。
だから、そのメッセージを娘に託したのでは?
アニメ版の様にお互いの「好き」とゆう気持ちを確認する様な事は無い。
あくまでも、気持ちを伝えたいけど伝えきれない…その2人の“切ない想い”が映画の中盤からどんどん増して来る。
“もう2度とは会えなくなる”
その想いが胸を強く締め付けて来る。
それをより鮮明に浮き上がらせるのが、最後に伝わった一行の慎ましいまでのメッセージ。
好きな人と同じ時代を共有したいのに、それが叶わない。同じ時代を生きてはいけないとゆう掟。
だからどうしても「好き」とゆう一言が言えない。
想いだけがどんどん増幅されて行く。2人の慎ましい恋愛事情。※3
だから最後の、8ミリに映し出された彼女の後ろ姿には、本人同様の涙がこのシリーズを観て初めて流れた。
やはり仲里依紗は、若手の女優さんの中に有って、抜群の演技力が有る事を確認出来る。
だから個人的にはこう叫びたい…。
「この《時かけ》が一番好きだ!」
※1 「絶対会いに行く…」→「未来で待ってる」でしたね。全く忘れっぽいな俺は…まぁいいや、残しちゃえ(汗)
※2 以前レビューを書いていたサイトにリンクしていたサイトには、『ドラゴン怒りの鉄拳』等のポスターが、1974年2月の時点で手に入り、部屋に貼られているのはおかしい…との指摘があり、「嗚呼!確かにそうかもしれないなぁ〜」と思った。『燃えよドラゴン』の公開が確か1973年の12月で、延々1年間のロングランヒットとなり、『ドラゴン危機一発』。続いて『ドラゴン怒りの鉄拳』と、公開が続いて行く訳だから…。
まぁ、個人的には大騒ぎする程でも…とは思うんですが。
※3 数年後に作品のファンには大サプライズが待ち受けていたのであった。
(2010年3月15日新宿ピカデリー/スクリーン6)
未来の桜を見る君へ
能代行きの夜光バスが出発したとき、
今までにないくらい感情移入し号泣しました。
バスをおいかけるあかりの手をひくケンソゴル
ほんとやめてーーって感じでした。
けど劇中で、溝呂木涼太くんが撮影している
『光の惑星』のようにいけば、あかりがタイムリープの薬を作り
過去へ、涼太を助けに行くのではないかという淡い期待が残ります。
56歳になった涼太と未来のあかりが桜の下で会えますように。
吉田拓郎の春だったねが、懐かしい気持ちと心を弾ませます。
溝呂木涼太くんにときめきました。
涼太の部屋のこたつに入りながら話す会話が切ない。
理科室で涙を流すあかり、胸が苦しくなる。
何回も何回も何回も…見てしまいまう作品です。
たった二週間の二人の恋、だけどとても一生懸命で素敵です。
時をかける、迷子
次回作で女優、桐谷美鈴の主演作を手掛ける谷口正晃監督が、仲里依紗、中尾明慶を主演に迎えて描く、青春映画。
「君に届け」の監督で知られる熊澤直人の監督作に、「虹の女神」(06)がある。想い合いながらも互いに気持ちを隠していた一組の男女。女性が飛行機事故で命を落としたことをきっかけに、男性は女性が遺した一本の映画に触れる。喪失、哀愁、そして希望・・。恋愛のもどかしさと奇跡を丁寧に描ききった力作として、評価する声も多い。
さて、本作である。原田知世主演で公開された同名作品に対する答えとしての意味合いも色濃い作品となった。和子と、深町。過去に離ればなれになった男女は、未来でどうなったのか。現代最先端のCG技術とアニメーションを駆使して、軽快に、かつ感涙を誘う物語で観客を引き込んでいく。
と・・ここまでなら、観客の多くが「よくぞ、作ってくれました!」と拍手を送る映画愛に溢れた意欲作として認めたはずだ。だが、そうはいかない。この作品はあくまでも、安田成美が主演ではなく、仲がスタッフロールの頂点に君臨した作品である。そちらのパートが、どうにもいただけない。
時空を超えて届いた映画、そこに込められた想いと幸福。この甘酸っぱい物語は評価すべき設定と味わいである。しかしながら、消えた父親、昔懐かし昭和神田川、映画監督志望の青年との恋。とにかく、2時間という比較的長い尺を持たせるために、あれこれと要素を詰め込みすぎている。特に、昭和の描写はコメディに仕立てようと無理に会話を組み立てており、観客の苦笑を誘う。
ここまでならまだしも、唐突に交通事故のヒントをぶち込み、仲に走らせ叫ばせ、涙を捻り出そうとする始末。どこへ、行く?作り手が伏線の張りすぎに気付いたときには、時空を超えた迷子になってしまっている。
しかし、キャスティングは精巧に練られている。未来の携帯電話に目を丸くする中尾の間抜けな顔は、元来の柔らかい雰囲気によく合って気持ち良いし、安田、石橋、仲の微笑みが不思議なほどに似通っている。もっと、物語に溺れずに人物を生かす世界が欲しかった。
先述した「虹の女神」は、数少ない登場人物を二転三転転がし、分かりやすい喜怒哀楽の世界を作り上げていた。本作も、この機動力が働いていればもしや、世紀の傑作に化けたかもしれないだけに、非常に残念である。
不覚にも(?)、…涙
小説時代から、時節の女優さんや似合いそうな人(?)を配役しては、妄想に励んできた年代としては、
(実際は、いないんだけど、いたとすれば?だが…)自分の娘と、そう変わらないぐらいの女優さんを、親のような気持ち目線で、観れないどころか、タイムリープ(?昔は、ワープとか、言ってなかったっけ?)先の'70年代学生(最近、脇役?ながら、イイ味だしとる"間 寛平"チャンの息子さんが、やってる役)気分で、見つめてしまうのは、罪造りな事なんでしょうか?(歳の差なんて…?←ヨッ!、昭和の遺産ッ?!)
そんな(?)自分ら世代(怒った顔までもが、可愛らしく思えてしまう里依紗チャンの親世代?)には、懐かしアイテムのオンパレードでありながら(だから?)、古クサさを感じさせても、くれて、それだけ、自分達も年を喰っちまったんだなぁ、と改めて、気付かせてくれたりもして、
そして、…ラス間際になり、
タイムトラベル物にとっての御約束事でもある"過去を変えては、いけないジレンマ"の事態に陥って叫ぶ、
…「時を止めてっ!」(だったかな?)的なセリフに、
〜過去だけでなく、最近でも、「アぁ、しとけば、良かった…」、「コウしとけば、良かった…」等の溜まっていた後悔の念らしき諸々が刺激されたのか?〜
不意打ちのカウンターパンチ(?)を喰らったみたいに、久しぶりにのポロッと涙として、コボれ落ちてしまいました…
「ヨッ!コノ商売(芝居?)上手!」
時をかける少女
“時をかける少女”は、勿論知っている、、、
つもりだったのに、実は覚えていなくて。。。汗
あれれれ、どうだったっけと記憶を辿りはじめたとき、
劇中で深町一夫がザックリ説明してくれたので
助かりました 笑
あまり期待していなかった反動か、
凄く面白かったんですーーーー
年とって、涙腺が弱くなったのでしょうか。
涙が止まらなくなり、自分でも驚きでした 笑。
特に、主演の仲里依紗ちゃんが自然な演技で
まさに21世紀の女子高生。
笑い、悩み、悲しみなど色々な表情を見せてくれて、
映画の世界に観客をぐいぐい引っ張っていく感じなんです。
それと70年代に青春真っ盛りだった溝呂木涼太。
演じたのは中尾明慶くんで、
彼は仲里依紗ちゃんと同年代なのに
この時代の大学生そのもの!
馴染んでいました~~。
この二人のキャスティングがピッタリで
一層、物語を盛り上げている感じ。
ジェネレーションギャップを上手く利用した演出も面白いし
オリジナルの続編として
素晴らしい構成になっているなと思いました。
特にハッキリと気持ちを断言するシーンがないのも
余韻に浸れる一因で、
その曖昧な感じはどの年代の人も
自分の青春時代を思い出すのではないでしょうか。
そうそう今回、またもや詰めが甘い、深町一夫 笑。
ま、彼のおかげで、あのラストへと流れていくわけですが、
人間の潜在意識って、とってもロマンチックだなぁと
柄にもない事を思ってしまったラストでした。
そして柄にもないといえば、オリジナルの原作者の筒井康隆さん。。。
あんなに強面なのにかなりのロマンチスト?
人間って、奥が深いです。
泣きました
過去の作品は見てないですけど、関係なく楽しみました。
仲里依紗はとても自然で良い感じ、表情がニノ(二宮)の女性版かと思った。
記憶を消すことで、すべて丸く収めることが出来るのなら
そのエスパーで涼太を助けてやらねば、あまりにもかわいそうです。
バック・トゥ・ザ・フューチャーのマーティだってドクに手紙を書いて
テロリストに殺されるのを救うでしょ。
最後の方で、父親から映写機を借りるシーンもほとんど記憶にない
父親なんだからもっと感情が欲しいと思いました。
BGMがとても印象に残った。
切ない。って言葉じゃ足りないかも。。。。
良かった。です。
予想以上に。。。。。
「記憶に残っていないのにココロで、初恋を貫く人生」「人生の最後まで、愛したヒトの記憶はあっただろうけど、若すぎる死」「愛したヒトを救えなかった記憶さえも奪われてしまった。けど、本当の自分で歩くコトを手に入れた人生」「愛も悲しみも自分だけが背負って、自分が関わったヒトの記憶を消さなければならない人生」。
全ての人生が、切ないのにちゃんと自分らしい道を歩んでいて、凛としていました。
私は好きです。
ノスタルジー色の強い時かけは、この映画で完結できたのでは。
時をかける少女 これまで何度も映画、テレビ、アニメ化されてきました(NHKのからすべて見てます)が、原作をアレンジしつつどれもが面白かった。タイムトラベルものは、懐かしいような切ない思いにさせてくれます。
少し前に昭和の日本を映像化するものが流行りましたが、この映画でもはじめて映像化された70年代にタイムトラベルします。前半の70年代の映画好きな若者の青春物語は退屈な人もいるかもしれませんが、当時を知るものにはすべてのシーンが懐かしく見入ってしまいました。一本別の映画を見て得した思いです。背景も当時を再現してたし(ロケだけでなくCG合成もありか)、配役も昔っぽい人を揃えて、その中で顔立ちのはっきりした仲里衣沙が浮いていて未来人らしくてよかった。彼女はいまどきの行動的で物怖じしない女の子をうまく演じてました。仲さんの魅力だけでも見る価値あると思います。
そして、別れの時、これまでの時かけ以上に切ないもの。時ではなく、70年代の街を懸命駈けるヒロイン。叶わぬ思いをかなえるために…。
芳山和子が幼なじみの吾朗ちゃんと結ばれなかったのは寂しいですが(その方がリアリティはありますが)、大林監督の時かけを谷口監督がうまく受け継いでいました。(大林監督も絶賛してます。)ノスタルジー色の強い時かけは、この映画で完結できたのではないですか。
映画を愛している人たちが作った映画
何度か映像化された『時をかける少女』の中でも、最も評価の高い大林宣彦監督・原田知世版を大好きな人たちが作り上げた、これは続編です。
予告を知った時は、成長した原田知世を再び同一人物で起用すれば…などと思ってましたが、それは単なる心配でした。
登場人物の個性が、決して過去の作品を汚す事も無く、とても良く仕上がっていました。
音楽の面からも、松任谷由実の主題歌を使うだけで無く、元の松任谷正隆のBGMをも髣髴とさせる旋律や木管楽器の響きさえも作品に品格を与えていました。
昔の作品と是非是非セットでご覧ください!
過去も未来も星座も。
初版・原田知世の頃は角川映画の全盛時代だった。
どちらかというとかなりの薬師丸派だった自分は^^;
セーラー服や機関銃やヤクザ稼業に興味が出ても?
次に出てきた原田知世に何の関心も湧かなかった。
しかしのちに何度も映画化されたこの物語を改めて
観てみるとどの作品も毎回よくできた話なのである。
原作がいいから?あ、それはもちろんあるんだけど…。
細田版・アニメもとても良かった。なんだか泣けた。
なんだろう、一貫して流れているテーマのようなもの。
昭和の風情?味わい?昔懐かしい感覚がよみがえる。
ドラマの完成度が決して高いというわけではないが、
観ていて心がキュンとなるのだ。こんな私ですらねぇ^^;
私は過去へも未来へもタイムリープはできないが、
もしもそれができたとして、その時代を経験したとして、
今まで体験したことのないような想いを抱えたとしても
おそらく現代に帰ってくる方を選んだと思う、やっぱり。
(まさにバック・トゥ・ザ・フューチャーだな♪)
しかし今回、自分の未来でなく、誰かの未来を守りたい
というのが理由となる後半がかなり切なさを感じさせる。
'70年代、といえばすぐ神田川とか拓郎とか^^;
あまりにベタな材料が出過ぎる感のある描き方だが、
ゴテツと芳山和子の恋愛距離感、涼太がとる態度など、
あの頃の男女関係がそのまま顕れているのが嬉しい。
そう、今みたいに道端で抱き合ったりキスなどできない、
下校の際、正門の外で待ち合わせて一緒に帰るだけで
噂になるようなものが「付き合う」という恋愛関係だった。
当時の和子を演じた石橋杏奈がまさにハマリ役!で、
それがのちに自分の母となる女性だと納得するあかり。
大切な母の願いを叶えたい一心でタイムリープに挑む、
素直で能天気なあかりを演じた仲里依紗が素晴らしい。
偶然出会った涼太とのやりとりの中で、当時の恋愛を
自らが体験し、どんどん女らしくなっていく成長ぶりが
愛おしくて、ラストのぽろぽろ涙にはこちらまで感涙…。
記憶に残る、というのはやはり哀しいことなんだろうか。
どんなに忘れようとしても消せない想いは確かにある。
脳が忘れてても、身体が反応するのはそこなんだろう。
あんな風に消されなくても人間はやがて過去を忘れる。
辛いことはより早く、幸せなことはゆっくり時間をかけて。
運命の残酷さは、吾朗おじちゃんの一言に集約される。
でも、どんなに短くても生きた証はどこかに絶対に残る。
桜の散り具合を観ながらそんな風に思った。
(時を越えて語り継がれる作品が増えて欲しい今日この頃)
退屈なだけの122分
本当に、本当に本当に。
少しの面白さも感じられない映画でした。
かつての原田知世主演「時をかける少女」は見ていないのでそちらとは比較できませんが、細田守監督「アニメ版 時をかける少女」を見ている身としてはどうしてもそちらと比較してしまいます。
自分はアニメ版が大好きで、それで「時かけ」を知った口ですが、内容や実写とアニメの差こそあれ同名タイトル作品なら比べられるのは仕方がない。
本作は、主人公が母に代わって「約束」とやらを果たすために2010年から1974年へとタイムリープするというお話。
話の舞台のほとんどは1974年であり、当時を知らない(生まれてさえもいない)自分にとってはただ古臭い時代でしかない。そこで何か驚きや郷愁を感じるような描写もなく、高揚感は欠片もない。
話の流れとしては、タイムリープによって1974年に来た主人公が、偶然出会い居候させてもらうことになった大学生と一緒に、思い出の写真で母の隣に写っている男の子に母の言葉を伝えるために奔走するというストーリー。
しかし実態は、仲里衣紗と中尾明慶が適当に延々と遊び呆けているところを見させられるだけで、かなりの苦痛を味わわされる。
そんなシーンが数十分続き、特に面白さを感じられないまま物語は佳境にさしかかる。
前半に微妙に張られた伏線が地味に、予想通りに回収されてエンドロール。
演技が微妙、空気が合わない云々以前に脚本が雑で荒い気がするのは果たして気のせいだろうか?
ストーリーにメリハリがないので、どこが盛り上がりか分からない。仮に、最後のバスターミナルか、現代での8ミリ映画鑑賞会が見せ場なら明らかにパワー不足だ。
まるで仲里衣紗のプロモーションビデオか、はたまた「健全なる恋愛HOW TO映画」かと言いたくなる一作。
今の邦画青春恋愛映画はケータイ小説に代表される「ドラッグ・病気・SEX」が、「懐かしきあの時代」しかないのだろうか?
こうして、早くも2010年ワースト映画が暫定ながら決定しそうだ。
それと、このサイトでの今作のレビューがまだ未見の期待値レビューばかりなのが気になった。無駄に平均レビュー値を上げている気がしてならない。
ともかく、絶対に人にオススメできない映画なのは確かだ。
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