2025年2月16日女優キムセロンが自宅で死亡しているのが見つかった。24歳だった。
アジョシ、隣人、守護教師、私の少女、優秀巫女など子役~女学生役で見知った顔で、主演も冠ドラマもある女優だった。
セロンは2022年5月飲酒運転をして物損事故をおこした。変電器にぶつかったことで電気網が損壊、停電しその一帯で数時間電気供給がストップしたほかクレジットカードなどが使えなくなるなどの営業上の支障が生じた──という事故だったそうだ。2023年4月裁判所は彼女に2,000万ウォン(約210万円)の罰金を言い渡した。
出演中の撮影を降板し、予定だった配役も破約となり、謹慎中はカフェでバイトしていたが目撃情報などが喧伝されるとカフェのSNSを含め誹謗中傷の書き込みが殺到した。
主役級スターがカフェで働くのは不自然だがキャリアで貯めた収入は商業施設への補償や和解示談金などにあてられ居住も事務所が借りた物件だったため当座の生活費を稼いでいたらしい。
謹慎中、SNS投稿や復帰のニュースが流れるたび彼女はサンドバッグの如く叩かれ、結局イソンギュンやソルリやクハラのように命を絶った。
ソンギュンが自ら命を絶ったときボンジュノ監督を筆頭とする著名芸能人らが連名で二度とこのような悲劇が繰り返されないことを望むという声明をだした。なんならクハラのときだってそういう反省や自己批判があったがマスコミもだんまりで誹謗中傷者はつぎのターゲットを探している。
キムセロンはきれいな人だったしわが国の竹内さんや三浦さんが亡くなったときも不見識なじぶんは「あんなにきれいなのに」という感想をもった。わたしのように外観に美しさを持たない人間は「もしわたしが美しかったらなんでもできるのに」という風に考えることがある。無論じっさい美しい人間に生まれても、なんでもできるということはないが、外観に美しさを持たずそのことにコンプレックスを抱えている人間は、さまざまな事態が美しい外見を持たないことで諦観に至ってきたことを経験しているゆえに「もしわたしが美しかったらなんでもできるのに」という極端な考えを抱いてしまう。だからこそ彼らの自死が「なぜそんなに美しい外観をもっていながら命を絶たなければならなかったのか」という外観と一体化した疑問につながってしまう。もちろん顔と死は関係がない。しかし彼らはその美しさと美しさがもたらすことによって大勢の人々に好かれ大勢の人々を感興させてきたのに比べ、じぶんなんぞ誰にも好かれず誰にも生きていることを望まれていないにもかかわらず生きているようなものであって、その格差から「なぜそんなに美しい外観をもっていながら命を絶たなければならなかったのか」という顔と死が一体化した感想になってしまう。いや、そんなたわごとはどうでもいいが、なんにせよ24歳でまだこれからだった。
キムセロンは2001年には子役モデルを始めたが女優キャリアはこの映画からスタートしていて、本作の主演によってカンヌに招待された最年少女優でもあったという。
一方本作で監督デビューした韓国人女性Ounie Lecomteは当初女優としてキャリアをはじめたが、やがて実体験──かつてソウルの孤児院に入れられフランス人夫婦の養子となったこと──にもとづいた脚本を書いた。それをペパーミントキャンディのイチャンドンが気に入って製作を買って出たそうだ。
この映画は興行も批評家も成功して、キムセロンは翌2010年の大ヒット映画アジョシThe Man from Nowhereでも再び脚光を浴び人々の記憶に刻まれた。華々しい女優人生のスタートだった。
映画では父親に捨てられたジニが孤児院で生きていく姿が描かれている。環境に迎合できず反抗するジニも、年長の子供が未知の里親にもらわれることを気にしているのも哀しかった。ベイビーブローカーに似ていたがもっと暗く悲しい映画だった。
映画は切実だが外観のことを言ったついでに言うと幼いウニ(Ounie Lecomte)がフランス人のルコント夫妻に選ばれたのはきっと外観が美しかったからだろうとは思う。あなた/わたしが裕福で子供が欲しい夫婦だとして孤児院で養子を選ぶばあい、じぶんが育てようと思う子供をどんな基準で選びますか?という話である。1990年代韓国では他のどの国よりも多い16万件の合法的な国際養子縁組があったそうだ。いいかわるいかはともかく韓流の国際戦略には膨大な養子縁組も一役買ったにちがいない。
芸能人のやらかしについてわれわれは色んなことを思う。程度も濃淡もさまざまだし、いろんな見解があるのはわかる。ただ、ひとつ間違いないことを言うと、われわれと芸能人の誰某がやったことは、まったく、すさまじいほど関係がない。名前も顔も明かさずに言うなら尚更だろう。