「情念狂気ものは評価は下げるけれど」ゼロの焦点 Takehiroさんの映画レビュー(感想・評価)
情念狂気ものは評価は下げるけれど
『ゼロの焦点』(2009)
松本清張は名前や代表作の名前くらいしかわからないくらいだったので、この頃日本の恋愛ものばかり観てきたところ、有名なミステリーを観てみようと選択。テレビで何度も、映画で2度目の作品らしい。その2作目の主役は広末涼子。失踪した夫(西島秀俊)を探して金沢まで行く。時代は、1957年(昭和32年)頃である。恋愛ものと言えば、妻が夫を探しに行く恋愛ものとはいえるかも
知れない。松本清張生誕100年記念制作だったらしい。ときおり流れる背景の音楽がミステリーぽい。なんかしゃべりのイントネーションが、語尾の上がるところが、石川県なのだろうが、たしか岐阜県か、『ちはやふる』のめがね君にも似ていた感じがする。電話がダイヤルで昭和32年だなという感じだ。警察の机の上にパソコンが一台もない。ある程度早い段階で犯人がわかったようなわからないような、どっちかだと思うが、どうなのか。だが片方だとするとあまりに簡単すぎだ。夫を探す妻との対比か、昭和23年頃の昔、行方不明の夫は警察官をしていて、アメリカ兵相手の娼婦、「パンパン」の取り締まりをしていたが、そんな女が事件の背景にあるのか。松本清張、戦争の影を書くか。夫を探す妻が探偵役のようになっているのだった。しかし、現在でもそうだが、援助交際や風俗勤めなど、それが小遣い欲しさであるような貞操ない女と、貞操をひもじさゆえに超えてしまう女とが混在しているように思えるところから、複雑なことになる。それは事情があろうと、行為上、超えたことには同じであるとするほうがよくわかると思うのだが。パンパンとか二股とか女の境遇とか、男女関係のこじれが映し出されているが、犯人の動機は保身だったか。男に翻弄される女や、女の情念が描かれているのと同時に、女の市長選立候補という社会背景まで絡ませてある。戦争で生きていかねばならない状況が性を武器として、女を武器として、退廃を社会に浸透させていってしまったか。そうした心理的な面で松本清張は犯人の事情も考慮しようとしたかも知れないが、戦争が狂気の原因だとするならば、戦争から遠く離れた日本の現在の援助交際や不倫は一体なんだろう。『戦争は子供を早く大人にしてしまったんだ』というようなセリフがある。そしてクライマックスが、社会構造と個人的狂気のアンバランスを誘い出す様は、その心理劇は凄まじい。選挙の勝利という換気の裏には狂気があるのではないかとさえ思わせる。しかも当選したのは女性候補という設定である。昭和32年。1957年。60年も経過するというのに、ますます悪化しただけではないのか。政治背景とそして、警察官とパンパン。本当に時代がしでかしたのか。それとも男女の性がしでかしたのか。翻弄されてしまっても気を取り直して生きていけるための主人公設定だったのだろうか。ただ、松本清張はこの作品ではまだ、罪悪人は滅んでしまう運命にする気があった。だがその前に悪の近くに接触してしまった他者が罪悪人にやられてしまっていった。この重さは作品賞を含め、日本アカデミー賞の11部門で優秀賞だったとある。