セネガル出身の音楽家ユッスー・ンドゥール;Youssou N'Dour、アフリカ系として最も世界的に成功を収めた一人だ。
彼の音楽は例えようがない。
ジャズと母国のリズムとを混合させたスタイルをベーシックに持ちつつ、ブルース、ヒップホップ、一般的なポップスにまで至る。
それは全部ひっくるめて「ンバラ;Mbalax」と呼ばれる独特な体系を成す。
歌詞はメッセージ性に富み、横への広がりと人々との繋がりを意識したものが目立つ。
ポスト・ワールドミュージックとでも例えればいいのかもしれない。
そんな自身の音楽を築いた土地アフリカへと、彼はルーツを追う旅に出た。
その旅情を綴ったロードムーヴィである。
アトランタ、ニューオーリンズ、ニューヨークといった米国主要都市を転々とし、その合い間にバンドを理想形へと整えていく。
道中、発見されるルーツミュージックとの出会い方が面白く刺激的だ。
JAZZコンボ編成を基本にしながら徐々に融合していくのは、ゴスペル、ニューオーリンズ・マルディグラ特有なリズム、ブルース等である。
特にゴスペルの持つ良き閉鎖性(要するに宗教的な部分)を、もっと拡大解釈すべきだと意見を主張する姿勢などは、まさに音楽家の閃きや直感である。
元に在ったルーツミュージックは、こうやって人伝えに旋法を変化させ今日の僕らに響いてくれているのだろう。
そんな想像力さえ膨らんでくる。
対面衝突という言葉がある。
彼の音楽の構築方法は、そんな場面から次第に表現されていくようだ。
思いもよらないところから不意に現れ、そして気づかされる・・・ああ、これは昔聴いたものと一緒だ!などと、ボヤいてみせる。
でも次の瞬間からそれは新しい血となって再生しているのだ。
やがて彼はバンドを従えながら母国アフリカへと一気に飛ぶ。
首都ダカールの沖合い約3kmにゴレ島;Île de Goréeがある。
東西300m、南北900mと小さい島だが、1815年に統治国だったフランスが廃止するまで奴隷貿易の拠点として栄えた。
ここから多くの黒人がヨーロッパやカリブ海沿岸、そしてアメリカ大陸へと奴隷船にて送られた。
その数はおよそ1500~2000万人、そのうちの600万人は病死などで辿りつけなかったという。
彼等はこの島への深い哀悼と鎮魂を音楽に込めて帰ってきた。
それは日本でいう盆休みの帰省とも似ていた。
地元の広場で躍動するリズム楽器隊の演奏を耳にし、懐かしい人々の歓迎に触れ、自分たちのルーツを確かめる作業を始める。
その純粋さと熱気が印象的だった。
島の人々の朗らかな雰囲気と「帰らずの扉」と称された世界遺産のギャップは、何故かしら違和感を覚えない。
どこの国でも、どんな文化の下でも、凱旋帰国の雰囲気は共通なのものかもしれないな?と。
人々の集まる場所には、必ず音楽があり独自のノリや旋律がある。
それは方々へと拡散されながらも、また新しい音楽へと生まれ変わっていく。
すべての起源はアフリカにあると言われるが、それはまんざら嘘じゃなさそうだ。
この黒い大地のリズムや風習、そして悲しい歴史が海を渡り二グロ・スピリチュアル;Negro Spiritual(黒人霊歌)としてアメリカを席捲した。
始まりは悲しみと嘆きだった・・・だがそれも変化を遂げている。
僕等は今、幸運にもポピュラー音楽を楽しめるのだ!
その気持ちと自由を忘れてはいけないと思う。
ユッスー・ンドゥール一行による深いルーツへの帰還、それは人々がポピュラー音楽を楽しむ基本的な構えだ。
CDや音楽が売れないなどと、あまりにも世情や市場の仕業にばかりしていないだろうか?
ルーツと文化の側面から捉える作業、そこに付随する人々の微笑ましさを受け入れる作業、今訴えるべき音楽の根底はここだと思う。
音楽は人々のものだ。
どこかの土地で普遍に鳴っているものだ。
そこに根付く人々が、感慨深く、そして楽しむ為にあるべきなのだ。
「楽しむ」とは言いつつも、単なる効果音や癒しなどという都合やツマミ程度であってはいけない。
これは明けていく大空へ
これは開けていく海原へ
後悔と自責の念を昇華させる為の航海だ。
悲しい歴史の波が幾重も連なる、このどうしようもない扉を開ける為の・・・