アキレスと亀のレビュー・感想・評価
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とてもつまらない
北野監督の自己肯定感丸出しなところが苦手なのだけどこの映画は過去一番全開だ。ご自身の絵画作品は素朴な味わいでいいのだけど、それほど傑作扱いしていいのだろうか。ギャラリーの壁に見事な作品として堂々と展示している様子を見ると心がざわざわする。
一人の画家の成長を描いており、子どもはよしとして青年期が柳ユーレイさんで、当時40代くらいであろうか全く若々しくない。そして中年期がたけしさんで、顔立ちが似ても似つかない。芸術家として悪戦苦闘して作品制作をするのだけど、とてもつまらない。特に見ていられなかったのが奥さんをボビーオロゴンに殴らせて作る作品で、あまりにひどい。
たけし映画では恋愛がテーマになることがけっこう多いが、一度もいいと思ったことがない。本当に相手を好きなのか、執着みたいなものは描いているけど愛情はまったく感じない。
本当につまらなくて10分ごとに眠気に襲われる苦行だった。
アンリえない夫婦愛
監督と脚本は『菊次郎の夏』『Dolls(ドールズ)』『TAKESHIS'』『監督・ばんざい!』『龍三と七人の子分たち』の北野武
絵を描くことに没頭する倉持真知寿の半生記
少年期青年期中年期の三部構成
冒頭にアニメ
アキレスと亀を説明するために
粗筋
裕福な家庭で生まれ育った倉持真知寿だったが父の会社が倒産
父も自殺し継母もやがて自殺した
父の弟である叔父に預けられたが真知寿の奇行ぶりに叔父夫婦は手に負えなくなり孤児院で暮らすことに
青年に成長した真知寿は画商のアドバイスで働きながら美術学校に進み理解者である幸子と結婚
やがて娘マリが生まれる
中年になった倉持夫婦は周囲が呆れるのをよそに芸術活動に没頭した
少年期や青年期は良いだろう
他のことをそっちのけで自分が夢中になれるものもただただ追い求める
しかし結婚し子供ができてもなお同じことをしている
しかも売れない画家
作品が一向に高く評価されなくても例えば佐倉魔美の父のように高校で美術講師として娘を養うこともできるだろうに働くことはない
そのため妻が働かなければならず夜は夫の創作活動の手伝い
高校生の娘は家計を助けるため水商売のバイトさせられる始末
娘は両親に呆れ家出し援助交際で暮らしていた
北野映画の良さの一つとしてあげられるのは人が酷い目にあっている光景を眺めている傍観者
遺体の娘の顔も真知寿にとってはキャンバスにすぎなかった
口紅を唇に塗るまでは
さすがにキレたのか幸子は「人間じゃない!」と激怒し離れていくわけだがあの樋口可南子の芝居は北野作品らしくないな
もちろん悪いのは樋口ではなく演出と脚本を担当している北野武
このシーンはこの作品で1番印象に残っている
それにしてもボビーに殴られるのは妻の方かよ
そりゃ流石に違うだろ
そのあとの風呂のシーンでは何事もなかったようになってるのは残念
画商の菊田Jrのアドバイス笑える
特別面白いことを言っているわけでもないのに
三又又三はたぶんたけしの物真似をしてるんだろう
閉店セールのポスターに2人の首吊り死体のシルエットは笑える
ちなみに真知寿の由来は画家のアンリ・マティスだろう
父は絵画が好きらしく息子に名付けたんだろう
それにしてもマティスとは渋い
好きな画家はと問われ「マティス」と答える人はそれほど多くはないだろう
好きな女優は問われ「内田慈」と答えるようなものだ
いやそれは言い過ぎた
マティスは内田慈ほど知名度は低くない
話を元に戻すと真知寿は今でいうところのキラキラネームだが僕は典型的ネット民なんかと違いそれに関してはかなり寛容である
赤の他人の名前にケチを付けるなんて差し出がましいにも程がある
なんやかんやでハッピーエンド
亀が真知寿でアキレスは幸子ってことだろうか
僕は真知寿に腹が立たなかった
那が世の中では腹が立ったレビュアーは多い気がする
保守的な観点からもリベラル的な観点からも評判は良くないようだ
僕は映画作品を評価する上で主人公に共感できるかどうかなんて全く重要視していない
共感を何よりも大事にしている人はおそらく間違った日本の国語教育の犠牲者だと感じている
配役
画家の倉持真知寿にビートたけし
真知寿の妻の倉持幸子に樋口可南子
青年時代の真知寿に柳憂怜
青年時代の幸子に麻生久美子
少年時代の真知寿に吉岡澪皇
養蚕工場を営む真知寿の父に倉持利助に中尾彬
利助に取り憑く画商の菊田昭雄に伊武雅刀
利助の弟の倉持富輔に大杉漣
富輔の妻に円城寺あや
父同様に画商になった菊田の息子に大森南朋
利助の後妻で真知寿の継母の倉持春に筒井真理子
真知寿と幸子の娘の倉持マリに徳永えり
画家の高輪に仁科貴
ヤクザに寺島進
新聞屋の親父に六平直政
商店街の女性にふせえり
印刷会社社長に丸岡奨詞
絵好きの社長に大林丈史
軽トラを押す百姓に不破万作
工事現場の親父にビートきよし
おでん屋の親父に大竹まこと
村に住む知恵遅れの又三に三又又三
又三の父に諏訪太朗
喫茶店のウエイトレスの美江に林田麻里
美術学校のクラスメイトの板垣にアル北郷
美術学校のクラスメイトでモヒカン頭の学生にお宮の松
スナックのママに風祭ゆき
格闘家にボビー・オロゴン
パフォーマーに電撃ネットワーク
借金取りのヤクザに國本鍾建
利助と心中した芸者の道奴に山野海
道奴と同僚の芸者にこばやしあきこ
倉持銀行頭取に須永慶
電車の運転手に芦川誠
小学校の先生に武重勉
売春する男に森下能幸
冒頭のアニメの声に玄田哲章
冒頭のアニメの声に川上貴史
傑作で驚き
「TAKESHI's」、「監督ばんざい!」と前2作が粗い内容だったので、北野映画には興味を失くしていたが、これは傑作と思わせられました。
人によって見る角度は全然違うと思いますが、私は情緒的なものはあまり興味なく、しかし樋口可南子が名演であるため作品をより良くまとめてくれていると思いました。
作品の本質としては、純然たるお笑い作品になっていると思います。しかも北野武が描いた絵は決してつまらない物ではなく、総じてお笑いが映画文化に及ぼす価値を見せつけるような作品になっていると思います。それまでの北野映画でも顕著だった記号的な描写がさらに極められており、「このシーンにはどんな意味が…?」といったような無用な勘ぐりを差し挟ませない、ある種の作品としての力強さがあります。
「座頭市」の頃において、作風が湿っぽい雰囲気になる事を避けるためにポップなトーンを模索した事が、映画作家北野武の新たなスキルとなり、この映画でもそれが反映されていると感じました。同じストーリーでも、撮る監督が違えばこの映画は湿っぽい雰囲気になる危険もあったと思います。
「ソナチネ」の頃から北野映画を観てきた者としては、バイオレンスを抜きにしても作劇が推進していく事に新鮮な驚きがありました。北野映画の登場人物は、例えば「金が欲しい→銀行強盗しよう」といったように、直線的で最短の行動様式を取る事が多いので、簡単に反社会的行為に行きついてしまい、結果として暴力が描かれる事になりがちでしたが、本作の主人公の場合それが創作活動に帰結する事により、犯罪や暴力には行き着きません。このようにバイオレンスの要素が北野映画から排他された時に見えてくる、北野映画の本質というものがとても好印象なものでした。それは過去の作品でも「あの夏、いちばん静かな海」もこれに該当しますが、これとは違う、何か純度の高いものを本作は内包しており、意義を持っていると思います。非倫理的だからバイオレンスを忌避するというのではなく、「もう必要なくなったからバイオレンスは描かれない」という説得力があります。
またバイオレンス映画とは、バイオレンスであるがゆえに、作劇を推進していくにおいて高い燃料消費を伴うという言い方ができると思います。それに比べて本作は、激しい行動がないので「燃費が良い」。北野映画は「削ぎ落としの作風」と言われてきましたが、とうとうバイオレンスも排他したのだと思えて楽しかったです。
このような創作の進化の感じられ方は、本作と次作「アウトレイジ」とがセットになって、「ソナチネ」のトラウマを凌駕しようとしているようにも受け止められましたが、「アウトレイジ」の方は技巧を高める事でその進化の具合を示しているのに対して、本作は削ぎ落としの純度でそこに対応しており、さらに有意義なものであると思いました。
その場面を切り取ったらめっちゃいい絵になるような構図が多くて、美し...
その場面を切り取ったらめっちゃいい絵になるような構図が多くて、美しい映画と評されていたのはこの事なのかな。とくに子供時代の田舎の風景は美しい構図が多かった。
ちょっと救いようのない話だ。誰が悪いというわけでもなくて、強いて言えば悪いのは時代かもしれない。あ、画商もなんか悪いかもしれない。過激な芸術活動ばかりするアホな学生仲間も悪いかもしれない。
画商に絵を見せてボロクソに言われたりするけど、その画商言うことかなかなか正論で、絵を描いてる身としてはグサグサ刺さる。「こんなのだれでもやってるよ」「真似は駄目だけど下手なのはもっと駄目だよ」「ちょっと褒めると調子に乗ってそればっか描くね」「ちょっと狂ってきてるけど足りない」「売れない画家の自画像なんて誰が買うの?」
あと結構人が死ぬ。こんなに人が死ぬ映画だとは思わなかった。親も死に友達の又三も死に芸術仲間も事故や自殺で死に娘も死ぬ(なんで死んだんだ?)。真知寿も自殺未遂を何回かやるがすべて未遂で終わる。死にきれないのを見ているのもしんどい。
最後に迎えに来てくれた妻は幻覚なんじゃないかと疑ってしまったが、本当に迎えに来てくれたらしい。私があなたの芸術を一番理解している、などと言う女は本当は一番警戒すべき存在だけど、相手は売れない芸術家だったのでお互い頑張るしかなかったんだね。
シュールな北野作品
主人公(マチス)は、幼い頃両親が自殺し、その後も周囲の人々が次々に不幸な死を迎え、救いのない人生。理解のある伴侶を得たが、やがて妻にも見捨てられてしまう。はちゃめちゃな内容ではあるが、画商に振り回されながらも自らの生き方・夢を貫く姿に魅せられる。妻役の樋口可南子が好演。最後に妻が戻ってくるところが唯一の救い。
心地よくも危険な作品です
2008年製作の北野武監督作品でございます。119分。北野監督の作品は、すべてが好きという訳ではありませんが、なぜか殆ど観ています。「HANABI」がベネチア映画祭の最高賞を受賞した時は、海外で観ました。
日本映画を海外で観ると、見え方がまったく異なるもので、日本文化を世界に広めるという大義もどうしてもつきまとってしまうものだと思いました。あまり言葉数を使わず、間を使って意思の疎通をする日本語の奥ゆかしさは、北野監督の作品には栄えていて、そんな所が好きです。
本作は物心ついたころから絵を描き続けた少年が、そのまま大人になり中年になるが、一回も陽の目を浴びないままでいるという悲しく、そしてある意味ドキッとする内容です。
この主人公は、ただの絵が上手い人なだけで、才能はまったくない。そして、この才能のなさが、あまりにも重く、そして決定的に人生を不幸にしていきます。それでも、人生のすべてが悪い訳ではなく、そんな彼だからこそ素晴らしい奥さんをもらうことだってできたのです。
この作品が照らし出すのは、幸せの定義に勝ち組・負け組という二者択一を排した先にある、なんともアンニュイな領域です。逆に言うと、幸せを考える時に、勝ち負けを入れること自体が不毛きわまりない、ということなのでしょう。
アート性の強い作品なのですが、アート自体をパロディにしている北野監督の屈折したメッセージ性が、なかなか日常生活では味わえない、そして人生が本来もつリアリティをあぶりだしていきます。
正直、これを観てすがすがしくはなれませんが、何故か力んでいることがバカバカしく思えて、笑ってしまえるようにまでなります。これは書いたらいけないことかもしれませんが、本作を観ると、メディアの世界がほんとにくだらなく思えてきました。
とてもいい映画です。
芸術家残酷物語。
前半は、昔のたけし調とも言えるテンポで不条理に進行します。多くの評論家に受ける作品になりつつあると思ったら、緊張の糸が外れたかのようにたけし、樋口夫妻のコントに突入。(電撃ネットワークが出た時点で怪しいと感じましたが・・・)樋口可南子をたけしがイジリ倒す、今の芸術をパロディ化していく。絵は全部たけしの物。映画の中の芸術自体もセルフ・パロディにして展開し、自虐的で芸術の魔力に取りつかれた人々を冷めた視線で描きます。後半に違和感を覚える人がほとんどでしょう。たけしチルドレンからすると、こうなるべくしくなった感があります。きっと途中から芸術の狂気見たいのをやりたくなって、はたから見たらコメディだろうと。前半と対比したかっただと。映画としてこの試みは、破壊してますが、たけしファンとしては、後半笑い通しでした。あまり一般の人には勧められませんね。
解釈でわかれる
たけし映画は「菊次郎の夏」以外はすべて拝見していますが、
今までのどの映画にも当てはまらない魅力がありました。
今回の映画は一人の売れない画家の半生を描いたものですが、
テンポも良く(最初はやや退屈ですが・・・)、笑いどころも多いです。
また所々の演出は、この映画の主人公同様ぶっ飛んでます。
賛否両論あるかとは思いますが、私は好きです。
以前の北野映画のようなシュールさ、現実感、映像美といったようなものは少なくなりましたが、その分北野武の頭の中を覗き込むような不思議な感覚に包まれます。
そして、この映画が素晴しいのは感動やハラハラといった感情を強要していない事にあると思います。
だからこそ映画を見終わった後最後のセリフの意味をずっと考えてしまったのでした・・・。
不思議なテイストの、北野映画。
ある少年が、
大人になっても自分の道を極めようとする
不思議な気分にさせられる、作品でした。
ボンボンとして誰からも一目置かれていた
真知寿少年の人生は
父親が事業に失敗してから一転します。
それでも描く事が好きで、絵を諦めません。
やがて時が過ぎ青年となった真知寿がいます。
彼は絵を習う為に工場で昼間働きます。
そこで、妻となる幸子と知り合います。
そして又時が過ぎ、タケシ演じる真知寿が登場します。
夫婦は人並みの幸せなど見向きもせず、芸術活動に邁進します。
ストリート・アート、極限的な状況創作など、など、
しかし、娘の死まで芸術にしてしまう真知寿の行動に、
とうとう幸子は彼の元を去って行き…
普通ストーリーには
「起承転結」か「序破急」のどちらかがあるのですが、
この作品は 起承承承 でどこまでいっても、
これでもかこれでもかと同じ流れのままです。
そしてそれこそが狙いであり、
誰に評価されなくても自分が楽しければ、
理想は、
そばで一緒に支えてくれる人が、
たった一人でもいれば十分楽しめるよ、
ということを、気付かせてくれます。
富や名誉があればもっと良いのだろうけれど、
それが無くても十分幸せだよということを。
目の覚めない奴は、一生眠ったまんまだよ
映画「アキレスと亀」(北野武監督)から。
「なんだか、むずかしい映画だったなぁ」が感想だけど、
監督が、この作品を通じて何を伝えたかったのか、
わからなかった。
パンフレットには「きっと、ふたりだからできることがある。
だからずっと一緒にいたい。」と書かれているが、
それが「結婚で良き理解者を得た」ということなのだろうか。
私が気になったのは、芸術に関する表現が多かったこと。
・芸術とは、天才とそれを理解してくれるタニマチがいないと世に出ない。
・これは、一歩間違えれば、銭湯にかかっている絵じゃないですか
・目の覚めない奴は、一生眠ったまんまだよ
・芸術なんて、所詮、まやかしだ
・売れてない人の自画像なんて、誰が買うの?
・ちょっと狂ってきたけど、もう少し狂ってこなくちゃ
・あいつら、芸術、わかんねぇんだよ
・偶然でいいものは出来ないよ。などなど。
その中から、敢えて1つ選んでみた。
芸術の分野、売れているのは、ほんの一握りの人たち。
毎年、何千人と溢れる「芸大生」「美大生」「音大生」に向けて、
あるメッセージを伝えているような気がしたからだ。
「目の覚めない奴は、一生眠ったまんまだよ」、
厳しいけれど、これが現実なんだよなぁ。
アキレスと亀、めちゃめちゃ面白いよ。
難しい内容の映画だけど、冒頭にアニメで映画の見方の公式を観客にくれる。
深く掘り下げたら答えはずっと出てこない。
だけど、だれが見たって亀に追い付ける。
で、その見方を頭の片隅に置いておいて+自分の主観でみる。
三回みる事なくて一回で三方向から見れる。
で、応用したら色んな角度、方向の見方ができる映画。
で、ややこしく思えるけど「座頭市」好きな人は好きな映画だと思う。
監督が楽しんで作ってるのが伝わってくる。
で、重い題材がネタフリかってぐらい笑いが冴えまくってて、笑える。
あと役者さんのノリがすごい。
みんなをここまでのらせられるのが監督として天才なんだろうな。
大森南朋さんなんかこんないい役者いたのかって、びっくりした。
お宮の松さんも良かった。監督との信頼関係だろね。
ジョーダンズ三又さん、いい役もらったね。
美術学校の女生徒たちが下着姿で記念撮影するサービスカットもよい。
主観と客観があって、客観も他人の主観ってパラドックス。相対性とかエロスとかの
難しい話を簡単なストーリーに料理してくれています。
後世に残るであろう天才が、絶妙のバランスで撮りあげた作品。
考えずに感じて見てみてください。
子供に見せてげてください。天才に育つかもです。
余談ですが中島らもさんのお話で
10メートルのロープを3等分しようとすると計算式では
10÷3=3.333・・・・
となり割り切れませんが、10メートルのロープで円を作り中心から
120°づつ3つに分ければ完全な3等分ができます。
一切の書かれたもののうち、私はただ人がその血を以て書いたものだけを愛する。
ニイチェ
価値観が見える奇行。
冒頭、古代ギリシャの哲学謎?に見入ってしまった(爆)
たけしの映画は海外では評価が高いが(と自分で言っていたし)
私はあんまり彼の映画は好きな方ではない(ナンとも痛くて)
今回は暴力的な描写が少なく(大杉蓮の叩き方は痛そうだけど)
内容も時代を踏んで分かりやすい。やはり死人は多かったけど。
何といっても、たけし本人がいかに芸術家なのか見える作品。
作品中の挿入絵画も、自分で描いたものばかりだそうだ。
いかにも子供の絵具画~ピカソやポロック、ウォーホルもどき、
多彩なゲイジュツの才能がいっぱいに広がった作品群だった。
芸術家というと一般人からかけ離れた変人ばかりを想像するが、
それをもっと皮肉ってバカバカしく描ききっているのが笑える。
これを踏まえれば、当のたけし本人が倉持真知寿と同化して、
世間の評価など気にせず(気にしているように振る舞ってるけど)
自分のやりたいように伸び伸びと生きている男という気がする。
彼はやはり、その筋の人間なんだ(爆)
ところがそういう男に尽くす女は大変だ(+o+)
樋口可南子は、まさに適役♪と思わせるくらい上手い!
こんな奥さんはそうそういないだろうし(いたらいたで怖いし)
亭主の提案に楚々と従い、文句ひとつ言わないところが笑える。
二人のやりとりが、かなり真剣でブラックで物哀しい。
加えてあの娘の可哀想なこと!こういう輩は子どもなんか
持っちゃダメだよ~ってかムリだろ~と思わせる展開だった。
ホントにこのヒトの描き方は潔い(爆)
怪しい画商が、伊武雅刀から大森南朋に引き継がれても、
やっぱりあくどい感覚商法は変わっておらず(おそらく)
売れない絵を売りつくす手腕は変わっていないみたいだ。
でもそれをいちいち信じて、バカな絵(ゴメンね)を描き尽くす
真知寿夫婦が哀れでこっけいで、あきれて失笑してしまう。
ただ、アキレスと亀の追いかけっこを何に比喩したのかが
分かってくるラストで、なぜだかジ~ンとしてきてしまうのだ。
死んでも死にきれないアホなゲイジュツ家を
20万円の空き缶で取り戻せる妻を、私はバカにできない。
価値観がモノをいう夫婦の絆を潔く見せつけられた気がした。
でもこのラスト、彼自身の本望ではなかったみたいだ^^;
(彼の感覚はやはりタダものじゃない。好き嫌いは別として。)
天才の奇行は凡人には理解が難しい。
「世界のキタノ」の最新作。
良くも悪くも「キタノ節炸裂」な感じ。
なので 見た人の意見は二分されそう。
好きな人はすごく好き、そうでない人は「?」かも。
静かな映像の中で物語が淡々を進んで行き、
最後にふっと残るメッセージがある・・・
いかにもフランス人が好きそう・・・(勝手なイメージですが)
カンヌで絶賛というのも 納得です。
もうお分かりかと思いますが、私は「?」の部類の人間。
北野監督の作品はいくつか観ていますが、そのたびに何故か
「?」が残ってしまいます。
多分、自分には監督の真意への理解力や感受性が足りないのだろう。
昔に比べて暴力性が陰を潜めた・・・と言われていますが
人がバタバタ死んでいくことには変わりなかったりして・・・。
もしかしたら そこがダメなのかも。
宣伝ツールに
「ひたむきに夢を追いかける夫婦が、幸福になるための
<大切なもの>に気づいたとき、あなたの頬に優しい涙が伝う」
とありましたが、<大切なもの>に気付くのちょっと遅すぎやしませんか?
夫婦の素晴らしさを感じたくて観るのであれば
「ぐるりのこと。」や「おくりびと」の方が ずっと分かり易く
ダイレクトにココロに来ると思います。
それでも 天才(?)と奥様、そして学生時代の友人達との
ギリギリな実験的芸術活動はバカバカしく、笑えて楽しめたし
柳ゆうれいさんや大森南朋さんの飄々とした演技も良かったです。
永遠の命題 「芸術ってなに?」ってことも 再度考えるきっかけにはなった。
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