むかし見たんだけど、よく覚えている。
石橋杏奈はしとやかで、北浦愛が素朴で、吉高由里子は真新しかった。柄本時生はすでに持ち味があって、みんな瑞々しかった。フレッシュなのに石橋杏奈にはすでに巧さと達観があった。
廣木隆一はすきじゃないがこれと恋する日曜日っていうなんでもない映画は覚えている。(水橋貴己という幻みたいな俳優が主演だった。)
じぶんの嗜好として、弁解がましくない日常が描かれているものはあまり文句をつけない。かわいそうや非情が露呈しているのが嫌なんだ。だからきっと監督じゃなくて原作によるのかもしれないと思ったりもする。
嫌いと好きの基準なんて・・・土台しろうとのレビューなんて不徹底なもの──だとは自覚している笑。
原作を読んでいないので真意を解しているつもりはないが映画の主人公は“さびしさ”。苛烈なさびしさじゃなくてメランコリーと甘酸っぱい青春気配のあるやつ。そのなんでもなさがきみの友だちをカルトっぽくしている。すこし大げさに言うとがんばっていきまっしょいの気配に似ている。
気の強い子が、病弱な子とのふれあいを通じて、腹を立てたり腹を立てたことを自戒したりしながら自分を知り、思いやりを養っていく。
なんかそういう思い出ありませんか。「あの時あの子につらくあたった記憶を思い出すたび後悔する」みたいな・・・。
そういう過去のじぶんの未成熟を想起させ“ぎゅっ”とした気分になる映画だった──と記憶している。
“ビターズ・エンドっぽい”という認識もきみの友だち当時に形成されたが、決して配給品の作風に一貫性があるわけではない。あるわけではないのにビターズ・エンドっぽい感じという固定概念がじぶんのなかにはある。
なんか解んないかなあ。あの抒情で散文的な感じ。単館から口コミで広がる感じ。ファッションライターふぜいが褒める感じ。ポスター画だけで七割方見た気分になる感じ。www。