潜水服は蝶の夢を見るのレビュー・感想・評価
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『小津監督は戦場へ行った』
閉じ込め症候群(ロックド・イン症候群)
『こんな美人が目の前で』つう事かなぁ?
小津安二郎映像だ。
All The World Is Green トム・ウェイツ
『ラ・メール』
『シャルル・トレネ』でさようなら
ある意味全てが中途半端
Jシュナーベルが撮ってなければまず見ることはなかった映画。映画としてもテーマとしても内容的にも、何処に於いてどうしたいのか分からなかった。凄い話だ、シュールだねで終わる感じか❗映像関係のプロからの評価ウケを狙った感がプンプンして逆に鼻に付く❗
栄光から絶望。
人間、いつ何が起こるかわからない。
この映画を見たらそれを痛感せざる得ない。自分の健康に感謝さえしてしまう。
実話を元にしているそうだが、こんなことが起こり得るとは映画を見た後でさえ、
信じがたい、というか信じたくない自分がいる。それほど、主人公に身に起こることは
突然に残酷だ。
主人公の目線の映像が素晴らしく、こんな世界なんだとこちらに追体験させてくれる。
この辺の描写は全く違う映画だけど「サウンド・オブ・メタル」に近い。
病室での希望はセクシーな女医さんのみ。性は生きる希望なんだな。
なるほど………
映画としてもドキュメントとしても
とても興味深く見てしまった
ベットの上の人間の心と身体を
より深く想像することができたし
想像できるように撮影に工夫があったこと
看護する人達の血の通った接し方など
【”ESARIHTUL・・”脳梗塞で全身麻痺になった男が、左目だけで意思疎通をする姿。今作を契機にフランスの名優の一員になったマチュー・アマレリックを知った作品。】
ー 42歳の働き盛りで、脳梗塞により全身麻痺になった男の絶望感は想像も付かない・・。だが、彼はそんな環境下でも、生きることを諦めずに著作を発行したのである。
この映画を観たのは、10年以上前であるが、困惑的な邦題に惹かれて、何気なく鑑賞した。
が、一気に引き込まれた・・。-
・フランスの有名な雑誌の重責にあった男(マチュー・アマルリック)が、ある日突然病で倒れる。
- 映画では、序盤はマチュー・アマルリック演じる男の姿は映されず、彼の視野から見える風景と外部の音声、そして、彼の脳内モノローグで物語は綴られる。-
・女性診療士が、フランス語で最も良く使われる単語を”呪文のように”早口で語り、男は”Yes"の際は、瞬き一つで意思疎通をする。
- 物語は、男が健康だった頃を、挿入しつつ、左目しか見えない姿を映しながら進む。ー
・身体が不自由になった父を、元気だったころの男が髭を剃ってあげるシーン。その後、その父から身体が動かない息子に掛かって来た電話。
- 人生、何があるか分からない・・、と初見時に思ったシーンである。父の言葉が心に響く。-
<今作で、マチュー・アマルリックは殆ど、左目とモノローグだけで、演技をしている。
そして、彼を支える女性診療士の姿。
明日、何が自分に身に何が起こるか分からないから、元気な日々を悔いなく過ごそう。
そして、万が一異変が起こったとしても、最後まで自分の意思を貫き通そう、と思った作品。>
高級車乗って、家族ともそれなりに交流できて女性関係にも困らない、な...
高級車乗って、家族ともそれなりに交流できて女性関係にも困らない、なに不自由ない生活から一変、、、
20万回のまばたきで書き上げた自伝に最後の生きる全ての魂を感じる。
映像は美しいけど内容は重たくなる一方です。
でもフランス映画の重たーい話は大好きです。
徹底した作り込みに感動
片目の瞬き以外はほぼ体を動かすことのできない男性が”生きる”ことを全うしようとする話。
まず、作品前半は主人公の視線で映画が進んでいく。
眼球の瞬きやこみ上げる涙などがそのまま映像に映り込んでくる。
非常に視覚的には不鮮明で少し気分が悪くなるほど歪んだ映像だ。
物語が進んでいく中で一般的な映画同様、第三者目線での映像描写が増えていく。
これは、はじめは変わり果ててしまった自分を受け入れられず、家族と会うことも鏡を見ることも拒んでいた主人公が徐々に現実を受け入れ、ついには執筆活動によって自身を表現することで生を全うしようとする決意の表れを示していると思われる。この映像表現はとてもシンプルで伝えたいことも非常にわかりやすいが、主人公視点の映像の作り込みが尋常ならざる所業であるために、本来より効果的に作用していたと感じる。たとえ子供がこの映画を見たとしても、冒頭の靄がかった主人公視点の映像から鮮明な第三者視点の映像に切り替われば直感的に希望的方向へ向かっていることを理解できるだろう。
また、喋れない主人公に対してアルファベットと瞬きを用いたコミュニケーションの手法が登場するのだが、序盤と終盤で明らかにそのコミュニケーション速度が速くなっており、そういった些細な描写から時間経過や人間関係の変化を繊細に表現する手法は個人的に大好きだ。
役者陣の演技力の高さはあえて言うまでもないだろう。
またいつか見返したくなる映画だった。
芸術家が撮った映画
正直なところ、片眼球しか動かない四肢麻痺の患者にたいして、ここまで献身的なことに感心した。よく知らない世界だが、もっと素っ気ない待遇をされるような気がしたからだ。ましてあの方法で本を書かしめたことに驚いた。とうぜん財力にも依るのだろうけれど、最強のふたりやこの映画を見てフランスは病人に篤いのかも──などと漠然と考えた。
ところで、監督ジュリアンシュナーベルは画家でもある。
むしろそっちのキャリアが本職のようだ。ネットで見たかぎりでは割れた皿をキャンバスに貼り付けた絵画──主にポートレイトを製作している。
その来歴を知って驚いたのはシュナーベルがまともな映画監督であることだ。
と、いう言い方も変だが、まさにそこである。
なぜなら、前衛的な芸術を標榜している画家が、大衆に解る映画を撮ることが珍しい──と思えるからだ。
例えば日本では、芸術家が映像作品に、大衆を意識することはない。
皿を割ってカンバスに貼っつけるような抽象主義のアーチストが、大衆芸能に下野する──なんて現象は日本には絶対にないのである。
寺山修司や池田満寿夫しかり。そのての世界では評価されるのかもしれないが、箔付けか余技か自己顕示かなにかであって、観衆を面白がらせる動機も技量もありはしない。それは蜷川実花や手塚眞にも言える。すくなくとも日本では芸術家がドラマ演出のメソッドに与することはない。
ところが、シュナーベルの潜水服はカンヌで監督賞を獲り、その他多数のアワードで外国語映画賞を総なめにしている。動けない重篤者を主役に置いて、112分間引っ張る──賞はきわめて当然だと思う。
BasquiatやAt Eternity's Gateも基本的な演出技術に裏付けられた映画だった。応用が効く能力ではないはずの芸術家スタンスだが、向こうの人は二足わらじもはけるらしい──というより、芸術家という立場を自尊や驕りで固めてしまうことなく大衆に寄り添う──個人的に、そんなことを思った映画だった。
叙述的
たまにこういう作品に出会うと小さい頃から、本当かもっと読んどけばよかったなと思います。
正直に言ってこの作品の美しさを監督が望んだ程度に感じることはできなかったと思います。それは、単純に英語力がないのもそうですが、言葉から連想できるイメージの引き出しが好きなすぎる。しかし、自分の感受性のどこかで、涙が出るほど美しいと感じたのは事実です。それだけ、この作品には映画としての美しさが詰まっています。
実際の小説を題材とした映画の脚本というのは多くあります。言葉という限られた種類の記号で箱詰めされた美しい映像を読者が自分の経験や感性を使い、映像へと書き直して行くのが文学作品だとしたら、映画はどのような役割があるのでしょうか。
一概に他のストーリーテリングの媒体と比較することはできませんが、映画には必ず制作側の視点を通しているという違いがあります。有限の型枠にはめ込まれた言語なだけに、その中身には無限の解釈を含んでいるのが言葉でしょう。一方、映像が視界に広がることで、より明確な情報が視覚から入ってくることで、より導かれた感情を受け取れるものです。小説の手軽さ、想像の無限さはなくてはならないものですが、映画は制作側の視点が一枚挟まっていることから、さらに深く、またsらに視聴者の個人の部分に浸透して行くものではないでしょうか。
この作品にして観ても、主人公のジーンの視点で物語がスタートし、一瞬にして視聴者は主人公にダビングしたような形でストーリーが進んでいきます。中盤からガラッとリズムが変わり、主観の位置が少し主人公ジーンから離れ、他のキャラクターの感情が、ジーンの感情に及ぼす影響をある程度、客観的に同情できます。そして、この作品のメインである叙述的な表現でジーンが現在を過去と比較するシーンで、視聴者はジーンの視点へと必然的に陥り、”The Diving Bell and the Butterfly”を迎えます。その叙述的な表現がそれまでに語られた人々との関係をなぞり、後悔、愛情などの人間性が彩られて行くのですが、そこには視聴者にお任せ。より個人的な想いへと潜っていいクルートに乗っているので、あとは自然に涙が溢れるのを待つだけ。
もっとこの作品からたくさんのものを感じ、より深くに潜ってみたい。
肉体に閉じ込められたと言う意の潜水服
・瞬きしか出来なくなった雑誌の編集長ジャンが、助手と共に自身の自伝を共に書き上げるに至るまで
・右目を縫い付けるシーンが一人称視点で本当に針が瞼に刺さる感覚になって声出た
・アルファベットを読み上げて単語を作るやり方は1997年当時で、2017年だと多分視線の軌跡をコンピュータで解析して文字を追う技術ができそう
・イメージを映像化できるのが映画の強み、そもそも障害になった男性の見上げる視線自体が想像力の産物
・海に落ちる氷河の巻き戻しがエンドロールに流れる…不可逆、再生のイメージととらえた
セラヴィ
オッサンだった。
身動きの取れない中で、彼が夢想すること、彼の視線…。内なる声の数々…。
しかも、献身的な元妻にさせる伝言…。
そんなオッサンにとっても、
彼にとって”神”は救いにはならなかったけれど、父とのやり取り。涙がにじんでしまった。
難病物の感動大作…の、くくりに入るのだろうが、何かが違う。
『ELLE』の編集長と聞いて、どれだけ詩的なイマジネーションが広がるのだろうかと思っていたが、意外に現実的。『ミルコのひかり』の方がよっぽど、詩的で映像もクリア。
なんて、思いながら見ていたけれど、エンディングでウェイツ氏の歌にのせて、氷山が崩れ落ちる様の逆再生を見ているうちに、涙があふれかえってきた。
一人の男の人生。死ぬまで続く人生。思い通りになること、ならぬこと。自分のミスで逃すチャンス。思いもよらぬ贈り物。聖人君子でもなく、最後まで”自分”であった人生。どれだけの想いを残して死ぬのか。やり直したいけれど、やり直せない人生。それが人生。
演出・カメラワークが秀逸。
1度目の鑑賞では筋を追うことに焦点が割かれるが、
2度目以降の鑑賞では、この表現をこう表現するかというところにうならさせられる。
きわめて現実的なエピソードをベースに、挟み込まれる主人公の記憶・イマジネーション。鑑賞するたびに意味付けが変わりそうだ。
そして、みんなも絶賛しているけれど、マチュー氏が凄い。
アートに昇華
さすが芸術の人、J・シュナーベルが撮るからこその絵画的な映像が綺麗。
主人公を含めた周りの人々が悲観的にならないので観ていて暗い気持ちにはならないし重いテーマをユーモアで繋いでいるようで飽きずに楽しめる。
主なアルファベットを用いた気の遠くなる方法でのコミニュケーション、本の執筆は想像し難い作業だろうし自分ならどちらの立場でも気が滅入りそう。
とにかく愛された人だったんだなぁと飛行機の件も含めて和んでしまう。
映像はきれい
本作は「ELLE」編集者のジャン=ドミニック・ボービーの小説?自著伝?の「潜水鐘と蝶」を原題としたもの。
脳溢血により体も動かず声すら出せなくなった主人公が病院で目を覚ます場面から始まる淡々とした日常を彼の視点から描いている。
ほとんど主観アングルでの「現実/現代」と第三者アングルでの「過去・妄想」で構成されている。
・とにかく主演のマチュー・アマルリックの演技がすごかった。
全身マヒ患者の演技は本当に全身マヒの人間がやっているのではないかと思えた。
そう思っていたからあるシーンで車いすから颯爽と立ち上がるのだが、そうかこの人は健常者なのかとハッとさせられた。
口元などは入れ歯で、というのはインタビューで聞いたがそれよりも目の演技がすごかったと思う。
・映像は美しい。たまに画質の荒い「これ資料映像?」という場面も出るが気にならない。
・ストーリーもだがこの映画の流れ自体淡々としてドラマチックではないのでつまらない、という人もいるかもしれない。
しかし、その淡々とした日々の中でひねくれ者の主人公がささいな幸せを見つけていく過程はとてもいい、ほっこりする。
脳溢血患者の話なのに暗くなりすぎずセリフも面白いので私は投げ出さずに見れた。人に勧めるかと言われるとNOだが。
・このひねくれ者の主人公だが味があっていい、はっきり言って嫌味な奴だが不思議と憎めない。
話が暗くなりすぎなかったのは彼のキャラ性のおかげだと思う。
ちなみに気に入ってる会話がある。自分の世話をしている女性療法士にあるシーンで「メルシー」と言う、女性も「ありがとう」と返す。心の声で「女性は単純だね」…。お前というやつは!
瞬きで伝わる深みと重み
この映像美は誰も真似出来ない、奇跡の実話である。
展開に大きな起伏があるわけでもなく、そこはやはりフランス映画か、そこまで明るくはない。だが、少しずつ前向きになっている姿勢は伺われ、それでもってすごく暖かくなれた。
また、タイトルも秀逸で、一見本編とはさして関係の無いタイトルに思えるが、大きな間違いで、深い意味をもつ。
潜水服=順風満帆な人生から一転した今の自分
蝶=そんな自分から抜け出した願望
を表現することどあり、その真実がしれたとき、この物語はいっそう奥の深い映画だということがわかると思う。
タフガイ
この映画、主人公が動けないし喋れないし、表情も作れない。
だから、この映画は病気の苦しさや克服の過程を、
主人公を通してほとんど表現できないという根本的な制約がある。
しかし、その制約を払拭できたとは感じられなかった。
抽象的な表現は伝わってこないし、
半生を振り返る描写は、単に振り返っているだけ。
というより、
病気なんのそので妻を連絡役にして愛人にラブコールしたり、
死にたいと言った翌日にはもうそんなことは忘れて元気だし、
とにかくこの主人公、繊細さとは無縁というか心がタフ過ぎる印象で、
やっぱり出来る男は違うなあ、とは感じたものの、
共感できるかと言われると、難しい。
リアリティのある作品
と言うと語弊がある気がするけど他に言い方が思いつかない。
原作を読んでいないから分からないが、もしこの映画の抽象的な表現が原作に準じているとすれば、その部分はむしろジャンの皮肉というか冗談というか。ふつうに考えて自分があの立場になったら死にたいし自分の姿を見たいとは絶対に思わない。親と話すのだって辛い。そして果てし無く暇だと思う。
だから退屈なのも、女の子が来ると嬉しいのも、そういうことばっかり考えてるのも、妄想が捗るのもまんま映画にしたらこうなるんじゃないの。っていう。
だからある意味ではスマートな作品と言えるかも。
もう一度観たいとは暫く思わないだろうけどなかなか面白かったなと言えると思います。
単純には感動できない感じ
覚醒ではじまる導入が印象深いのだが、延々と作品全体で編集長視点を見せられるとは思わなかった。しんどい。
このピンぼけた不自由な視点が忠実かというと違うと思う。
あくまで身体的不自由を負った本人にしかわからないことだし、いくら想像をしてみたところでその視線は絵空事でしかありえない。たとえばライターの女性視点であるとか、その方が出版物語も感動的でリアリティーがあっただろう。しかしそれも平凡か。
一見事実に忠実で誇張がないようではあるが、実はこの映像手法を選んだことで多いに妄想的な映画になったのだと思う。
以外となにも残らなかった。
実話映画なのに感動ゼロ
う~ん。最初主人公目線の映像が長かったかな~。それと実話だけにやけに主人公に良い感じ中心があまり共感出来なかった。やけに病院の人全員優しすぎるし、妻に愛人へラブコールさせるし。この実話を映画にするまででないような気がする。だって金持ちでやりたい放題の人間が病気を切っ掛けで人情に気づくストーリーなんてよくあるからね。内容は飽き飽きだね。
素晴らしい主題ではあるのだが
総合:60点
ストーリー: 60
キャスト: 70
演出: 65
ビジュアル: 65
音楽: 65
重病で全身麻痺となり片目以外動かせなくなった有能な元雑誌編集者が、唯一動く片目で気の遠くなるような忍耐で本を書く。
絶望的な状況でかろうじて生きる希望を見出すのが、本を書くということを目的にすること。仕事を離れ家族の大切さを知り、今までの自分を見つめなおす。そして体が動かない分、彼の思考は深く自由に動く。家族がいながらも他の恋人のことまで隠さず書いたのは、そのような心境の変化からだろうか。
いい映画かもしれません。絶望の中から希望を見出したりちょっとした暖かさに気付いたりとかは、人生の中でも重要な主題でした。
ただしそれでもあまり好きにはなれませんでした。主題が重いというのも1つの理由ですが、例えば本人の絶望とかが潜水服を通してやや抽象的に描かれていたりして、それが私には直接しっかりと伝わってきませんでした。やや詩的に描かれすぎていたようにも思います。
なかなか無い映画。主題がいい映画
映像と音楽の雰囲気が素晴らしい。綺麗かな。描いているものがいい。生々しい生への執着を感じる。女や食べ物へ、の。最後の氷が崩れるのも印象的。生へ執着した男のあっけなさ、諦め、追想を感じる。ストーリーの構成に重きをおく人にはつまらないかも。正直、話の展開はあまりない。が、動きがなさそうに見える中の微妙な動きがいい。
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