L change the WorLd : インタビュー
映画「デスノート」「デスノート the Last name」でバツグンの存在感を見せつけ、原作ファンにも映画ファンにも好評を得た松山ケンイチ=L。その人気から、ついにLを主人公にしたスピンオフ「L change the WorLd」が誕生したが、おそらくLを松山が演じていなければこの映画は生まれなかったであろうし、Lというキャラクターも松山に演じられたことによって広がっていったことは間違いない。そんな松山に、“L”というキャラクターについて、また、俳優としての気持ちなどを語ってもらった。(取材・文:赤尾美香)
松山ケンイチ インタビュー
「Lを希望も絶望もないような人にはしたくなかった」
――「デスノート」前編公開前にプロデューサーからは「スピンオフを作るよ」と言われていたそうですが、その言葉をどう受け止めていましたか?
「まだ脚本も何もできていなかったので、特にこうということはなかったんです。ただ、将来的にもう1本仕事があるという事実が、単純に嬉しかったです」
――脚本が上がった時点でそこに描かれていたLは、松山さん自身が自分の中に描いていたLと近い所にいましたか? それとも遠くにいましたか?
「結構、遠い所にいて……。自分が演ってきたLとは違う面を見せているLだったので、もう1回作り直さなければいけないな、と思いました」
――そういう時は、どんなことを参考にして新たなLを作り上げていくのですか?
「前作も観直しましたけど、僕が一番やったことは、監督とプロデューサーとLについて話す、ということです。それが役作りにおける最大の助けになりましたし、あとは自分がこれまで観てきた作品の中から、頭の中にイメージとして残っているものを使って感情表現の仕方を普通にしていった、そんな感じです」
――プレス資料の中に記載されていた松山さんの発言の中で「演じているうちに、まずL自身を救わなければ、と思うようになった」というのが印象的でした。Lのどんな部分を救ってあげたかったのでしょう?
「僕自身にもそういうところがありますけど……、(Lには)外から社会を見ようとする、社会との関わりを断とうとするところがあると思うんです。でも、社会と関わりを断ったところで、何か出てくるかと言えば何も出ない。ただ何も見えなくなるだけで、何も見えていない人に誰かを救うことなどできない。自分だって、何も得ることはできない。たとえ何かを得たとしても、それは自分勝手な解釈でしかない。自分本位の世界に生きるのではなく、社会の中で人と関わって答を出さなければ……、そこが正義と悪の境目なんじゃないかと僕は思っていたんです。傍観者こそが、一番の悪ではないかと。だから、Lを希望も絶望もないような人にはしたくなくて、そこだけはやりたかったんです。Lにも思うところはあったと思うんですけど、明らかに希望も絶望もない傍観者でしかなかった。そこを変えたかったんです」
――本編の終盤、自分で自分の寿命を決めてしまったことを少なからず後悔するLのセリフがありますね。あれはLを救ってあげられたことの証と思っていいですか?
「そうですね」
――本作を含む計3本の「デスノート」シリーズを終え、これらが俳優・松山ケンイチの姿勢であったり、今後の目標であったり、なにかに影響を与えているとしたら、それはどんなことになりますか?
「話し合いの中で、僕は役者としての目線、あるいはLとしての目線でしかしゃべっていなかったんです。でも、そうした役者あるいは役としての発言には、監督と役者の関係性の中で『ダメなものはダメ、いいものはいい』という答みたいなものがあることを感じられるようになって。自分はこれ以上のことはしちゃいけない、とか。結局、ひとりで全部やるならすべてのことに関して話をして決めていけばいいけれど、そうでないなら話しても仕方ないこと、無理矢理やっても仕方ないこともあるんです。映画は個人競技ではなく総合芸術だから、自分のやるべきことは他にあると思う機会は多かったんです。だから、それはちゃんと覚えておこうと思いました」
――俳優として、「松山ケンイチって○○だよね」と言われて嬉しい褒め言葉は何ですか?
「褒めてくれるんだったら、なんでも嬉しいです」
――では、逆に言われていやだな、というのは?
「(しばらく考えて)……何もない、かな……あまり考えたことないですけど」
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