ツリー・オブ・ライフ

劇場公開日:

ツリー・オブ・ライフ

解説

「天国の日々」「シン・レッド・ライン」のテレンス・マリック監督が、ブラッド・ピット、ショーン・ペンを主演に描くファンタジードラマ。1950年代半ば、オブライエン夫妻は中央テキサスの田舎町で幸せな結婚生活を送っていた。しかし夫婦の長男ジャックは、信仰にあつく男が成功するためには「力」が必要だと説く厳格な父と、子どもたちに深い愛情を注ぐ優しい母との間で葛藤(かっとう)する日々を送っていた。やがて大人になって成功したジャックは、自分の人生や生き方の根源となった少年時代に思いをはせる……。製作も務めたピットが厳格な父親に扮し、成長したジャックをペンが演じる。第64回カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した。

2011年製作/138分/G/アメリカ
原題または英題:The Tree of Life
配給:ディズニー
劇場公開日:2011年8月12日

スタッフ・キャスト

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受賞歴

第64回 カンヌ国際映画祭(2011年)

受賞

コンペティション部門
パルムドール テレンス・マリック

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コンペティション部門
出品作品 テレンス・マリック
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映画レビュー

3.0なんか

2024年10月31日
iPhoneアプリから投稿

10回くらいトライしましたが マジで絶対に寝てしまうんですよ😴💤 流石に最後まで観るのを諦めました! 脳🧠になんだか波が急激に来て💤寝てしまうんでしょうね💤

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お主ナトゥはご存じか2.1ver.

4.5個人的な感想です

2024年7月1日
PCから投稿

この映画は他の方も言われているように、『旧約聖書のヨブ記』が題材となっています。ですから、欧米人が当たり前のように接している旧約聖書に触れたことのない我々には、全くわからない世界感が描かれていると思います。 さらにこの監督は、聖書や神を、ただ単に原理として受け入れるのではなく、人間と宗教の関係(信仰=信じて疑わない)をかなり皮肉を込めた形でとらえていると思います。暗に批判しているからこそ、より「???」なのかもしれません。 例えば冒頭の、皆さんが言われているようにうんざりするくらいのかなり長いシーンも、この世界は聖書に書かれているように神が一週間でチャチャッと造った(欧米人結構信じてます)のではなく、ビッグバンから始まり何億年といううんざりするくらい長い年月かけて今に至ったのだと暗に(直に笑)言っているようで、さらに、実際旧約聖書には人間の前に恐竜がいたなどとは出てきませんので、強烈な皮肉を込めた映像となっていると私は思います。 旧約聖書は、新約聖書(キリスト教)の前にあった聖書で、現在主にユダヤ人(キリストもユダヤ人でしたのでキリスト教にもつながりますが)や、エホバの証人の方々などが原理として信奉している書物です。「約」=約束であり、「訳」=神の言葉を訳しているというわけではありません。 天地創造から始まり、アダムとイブのエデンの園での出来事、ノアの箱舟やモーセの十戒など壮大な例え話(宗教関係の方すみません個人の感想です。)が書かれています。なんとなく聞いたことがあるという人も多いかと思います。(かくいう私も若いころ、なぜか毎週訪ねてくるエホバの方に長々旧約聖書の講義を受けたのですが…) そして、その中で、『ヨブ記』という非常に理不尽な物語が一つあります。 それは、神を敬い正直者で、家族や使用人や家畜を愛し仲良く幸せに暮らしていた「ヨブ」に、神がその忠誠心を試すかように試練を与える物語です。 神は、ヨブの家畜を盗賊にすべて奪わせ生活の糧をなくし、愛する家族を殺し、ヨブの体にもひどい皮膚病を植え付け、「神よなぜ私を?どうか許してください」と助けを請うヨブを、非情にも何度も奈落の底に落とし痛めつけるひどい話です。 でも、旧約聖書や「ヨブ記」がなぜこの世に存在するに至ったのかと考えた時、それは、昔の人にとってもこの世界は、ヨブ記くらい生きるのにつらい世界だったからなのでは、と私は思うのです。 なぜ、こんなにも生きていくのはつらいのだろうか。真面目にただ一生懸命生きているだけなのに、夏は暑く冬は寒い。暮らしの糧を稼ぐのに必死で、差別や犯罪、災害や病気に日々おびえて暮らし、愛する者は死んでしまう。「なぜなのでしょうか...」 その答えを書いた書物が聖書だったのだと、私は感じます。 私たち人間の最大の悲劇は智恵を持ってしまった事だ。知恵を持ってしまったのは、アダムとイブが禁断の実を食べてしまった(=人間が進化してしまった)からだ。 知恵さえ持たなければ、エデンの園の真ん中に生えている「ツリー・オブ・ライフ(生命の樹)」の実を食べ永遠の命が与えられたのに(他の生きもののように煩悩(自分の心を煩わせ悩ます欲や妬みや怒り)を持たずこの楽園をただ生きて、ただ死ぬことができたのに...。) 聖書から生きる意味を見つけるとするならば、原点に戻りただ自然に沿って生き、必要な物だけを戴き、死んで土に還りそこから草木が生え、その実を鳥や虫が食べまた自然を延々と育ててゆくだけなのだそれが永遠(とわ)の命なのだ、それが神の意志であり神の法則なのだ、とそこには書かれているのかもしれません。 でも、知恵を持ってしまった私たちにとってこの世界は違った生き方(他人との比較や差別)を常に強いられ、毎日が理不尽なことで満ちています。神にすがっても神はなにもしてくれません(神の意志に背き勝手に進化した者など知らぬとでも言いたげに...)。 この監督の「シンレッドライン」という戦争映画でも、命をかけた戦闘シーンには、勇壮なBGMがあるわけでなく奇跡も起こらずヒーローも登場しません。戦場を渡る風と、南の島の自然が、人間の行いをただ見ているだけです。 教会にかかさず通い、日々神に「成功」を祈った敬虔なブラッドピット演ずる父親も、成功も果たせず挫折します。祈りを捧げるのは神との約束=誓い(利他や自然に対する感謝の精神)であり、自分が成功を得るためやあの世で楽園に行くためでもないのに。(宗教関係の方すみません個人の意見です) ショーンペン演ずる主人公も、邸宅を構える生活を送るようになりますが心は満たされません。敬虔ですが煩悩にまみれてしまった父親との関係がトラウマになり、愛し方を忘れてしまったからだと思います。(だから成功を収めることができたのかもしれませんが) それでもショーン・ペンは最後、救いと父への赦し(愛)を求め神にひざまづきます。彼は父を赦し愛すると誓えたのでしょうか。そして、神の意志に沿って生き、愛を取り戻せたのなら、彼(人類)は救われるのでしょうか。 主人公が救われたのかは、あなたの(我々人類の)これからの生き方に、監督は問いかけていると私は思うのです... 個人的な視点で長々すみません、読んでいただきありがとうございました。 (わかったような口をききました。私もいろいろなジャンルの映画が好きなのですが、当時大きな災害もあり、あの年映画館で観た映画はこの一本だけでした。なぜこの作品を観ようと思ったのかというと、実は私は、神様なんていないんだとひねていた学生時代に「沈黙」という小説を読み、神っているのだろうか、いるならなぜ沈黙しているのだろうかとバカですがずっと考えていた時期がありました。そんな当時、ロバート・デ・ニーロの「Mission」という映画を観て、なぜかその時(私は今も無宗教ですが)神の存在というものを自分なりに感じたのです。そして時を経て、デニーロがこの年のカンヌ映画祭の審査委員長としてこの「ツリー・オブ・ライフ」を推したと聞き、どうしてもデニーロの考えに触れたくて足を運んだのでした...)

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AKIRA

1.5新宿ミラノ座で鑑賞

2024年6月18日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

覚えているのは、恐竜のシーン。

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ムーラン

0.5ブラッド・ピット絡みの作品なので

2024年1月23日
PCから投稿

期待は全くしてませんでした。この人の出てる作品はだいたい意味不明でつまらないのが多い。クエンティン・タランティーノ監督が自然現象に目覚めたのかとおもった。この作品も銀河映像とか地球の自然現象とかの映像ばかり出てくるし、「主よ感謝します今日・・・」みたいな台詞ばかりでてくる。最後まで見るのは苦行でした。こんな作品を映画館まで見にいき2時間以上椅子に縛り付けられながら見てた連中が何人ぐらいいるのか考えたら笑える。

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関学にチー牛はおらんのんじゃ