マン・オブ・スティールのレビュー・感想・評価
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アクションの進化形は「見せない」っていう
そもそもスーパーヒーローモノは人を救いすぎ。
そこがキモ、って人はいうかもしれないが、MJばかり危機が訪れ、ロイスばかりが事故に巻き込まれること自体にご都合主義って思わないことが、もう脳みそを焼かれている。
ノーランの「ダークナイト」は決して名作とは思わないけど、助けられない存在がいることをはっきりした形で示している。
本作のゾッド将軍との能力的なスケールを考えると、街は破壊過ぎ、で当たり前。場所を変えよう、っ提案、てどんな昭和のヤンキーよ?
街がぶっ壊れることにアクション的な面白味が出るのだし、ほんとはそれを見たいくせに(笑)
「アルマゲドン」では隕石落っこちてきて、国レベルで壊滅してキャッキャ大喜びしてるくせにね。
ましてはたくさん人を死なせるかもしれない、たくさん巻き添えを食わせるかもしれない、クラークのそういう心情を2時間かけて映画は描いているのに、どうしたんでしょう。
恥ずかしい、くだらないスローを多投してきたザック・スナイダーが今作では、高速アクションに徹している。今回は大正解。
「トランスフォーマー ダークサイドムーン」のスローで魅せるアクションの最終形から、真逆の、「見せない」超高速アクションは、アクションの進化形といえる。
旧作第1作をこよなく愛する者として、1作目でゾッド将軍のバトルにしたことは、ボリューム感としては、十分だが、2作目でゾッド、でもよかった気がする。
まあ、そのボリューム感のおかげで次が見たい1作目ではあったね。
(確か旧作は2作目は1作目と同時制作だったけど)
追記
これを見てドラゴンボールを想像する人が多いのにびっくり。でもDBも「マトリックス」もモトネタがス・・・・(ピー)
完全無欠
今、観ても面白い。
当時も衝撃的ではあったけど、今、観てもすっごい面白かった。クリプトン人同士の戦いが圧巻だ。
DCUに組み込まれたスーパーマンは、絶対的なHEROで何と敵対しても一段上な印象なのだけど、今作は全力の戦いが堪能できる。
その分、破壊力もエゲツないのだけど…そのアクションには度肝を抜かれる。
CG満載ながらも質量と重力を感じるのだ。アメリカを代表するHEROなわけで、それを表現するにあたり並々ならぬ熱量を感じ、まさに渾身の出来栄え。
数年前の作品ながら、全く見劣りしないし、なんならコレを超えるものもない。
Netflixで見初めて、最後まで見るつもりもなかったのだけど…止まらないよね。
またクラークの造詣も素晴らしく、少年期の苦悩や葛藤。両親とのやり取りなど、これまた見応えがある。
スーパーマンになってからも人としての弱さと優しさを併せ持つ実に親近感の持てるHEROなのである。
もう、空中の描写がずば抜けていて…疾走感や滑空感やら空に向かい飛び出す絵はホントに気持ちがいい。
またひき絵の威力が絶大だ。
いやぁー楽しかったー
おかげで今夜も寝不足確定である。
だが、悔いはないっ。
こう言っちゃなんだが、聖闘士星矢はコレをやれば良かったんじゃいかと思う。
肉弾戦の表現力とか、まさにって感じだ。
スーパーマンのはじまり!!
子供の頃、テレビで観ていたスーパーマンは、ロイドメガネ(太い黒縁)の新聞記者
クラーク・ケントで顔も役者名も思い出せないが、声優の大平透と顔が重なっている。
私の中の最初のスーパーマンは大平透だ。
新聞記者のクラーク・ケントが、宇宙人だなんて・・・今でも信じられない!
「鳥だ!飛行機だ!スーパーマンだ!」
………………………って決め台詞を、必ず言ってたと思う。
クラーク・ケントは地球のピンチ(だったかなぁ?)に、ササっとマントのスーパーマンに
変身して、窓から空の彼方へ飛んでいくのだ。
なのでこの「マン・オブ・スティール」は、新鮮だった。
スーパーマンの誕生秘話。
実の父親(ラッセル・クロウ)は滅亡する惑星クリプトンから、生まれたばかりの息子を
宇宙船に乗せて地球へ送り出す。
その宇宙船を発見したのが、育ての父親(ケヴィン・コスナー)と母親(ダイアン・レイン)
彼らに愛されて育ったクラーク・ケントは稀に見る優しい子供。
父からは超能力を隠すように育てられる。
なので、心の底からアメリカ人なのね。
成人したクラーク(ヘンリー・カヴィル)を、滅びたはずのクリプトン星のゾット将軍(マイケル・ハナム?)が連れ戻しに来る。
ここからはアメコミらしくなる。
宇宙大戦争で、高層ビルは吹っ飛ぶ、車はペチャンコになる。
人も多分何千人も死んだと思う(ここは、何故か、映さない・・・)
地球の危機を救うため→なのに庶民はいっぱい死ぬ→
アメリカ軍も、ゾット将軍のクリプトン兵に→いっぱい殺される。
地球の危機を救うため。
地球人大好きのスーパーマンは地球のために、ゾット将軍を倒すのだ。
(だって、それがアメコミだもん。)
恋人役はデイリー・プラネットの新聞記者のロイス・レイン(エイミー・アダムス)
ゾット将軍の御指名でスーパーマンと宇宙へ飛ばされて、大活躍。
死んだ実父ラッセル・クロウが、ロイス・レインのアップデートで蘇って(ホログラムかね?)
アドバイスをくれたり、アメコミは自由自在に操作する。
この映画をキッカケに複数のアメコミヒーローを主役にしたクロスオーバー作品が作られることになる。
「バットマンvsスーパーマンジャスティスの誕生」
「ジャスティス・リーグ」
と、続く。
監督は本作と同じ、ザック・スナイダー。
オトン無茶だよ
過去のスーパーマン映画未見。
赤ちゃん一人に種族の命運を託さないでしょ普通…という点はまあお約束みたいなものだから良いとして、その後、星が滅んだときに冷凍刑で放流されてた反乱者たちだけが逆に助かるっていうのがアホすぎる。
また、スーパーマンの能力を隠す必要があったにしても、そのために地球人のオトンが無茶して死ぬ(しかも助けたのは犬)のは釈然としない。
シリアスな作風だから余計にそういうところが気になって、入り込めない感じはあったが、普通くらいには面白いです。
高速体当たりが主体のバトルは新鮮。最後の方のビルの間での空中戦闘は非常にカッコ良かった。
スーパーマンじゃなく、マンオブスティールである理由が分かった
はっきり言って、この映画の主人公は災厄の基。
もちろん、本人になんの責任もないんだけど、あまりに地球人、特に一般人が死に過ぎる。
スーパーマンという呼称も、ロイスが思いつきで付けたのはいいとして、それを他の皆も呼ぶ理由が理解できない。
だってこの時点で救ったのって、大佐だけじゃない?
この時の戦いで、ひとつの町が壊滅してるけど、町を守るために戦ったというより、育ての親が襲われた怒りで私闘を繰り広げたようなものだし。
なのに皆がクラークをスーパーマンと呼びはじめる・・・みんな頭大丈夫?
ファントムドライブをぶつけ合うと、特異点が出来てブラックホールが~って、なんの確証もないのにあっさり理解する地球人に思わず噴き出した。
極めつけがロイスの同僚?の「彼のおかげね」のセリフ。この惨状を見てなんでそんな風に思えるんだ!?
最後のタイマンもさ、スーパーマンへの私怨なのは、スーパーマン自身も分かってるんだから、海上なり荒野なりに移動すればいいのに、大惨事を生き残った人たちがいるその場所でやり始めるしで、超迷惑。倒れてなかったビルも倒すし。
ほっといたらもっとひどい事になる怪獣への対応の結果で街を壊しちゃったウルトラマンとかとは違う理不尽さ満開。
で、何食わぬ顔してロイスと同じ社で新聞記者になる
まさに鉄の男だ(顔だけじゃなく全身が)
シリアスすぎる、DCユニバース出身かよ。 辛気臭いスーパーマンなんて誰が見たがるんだ…?
DCコミックスのスーパーヒーローが一堂に会するアメコミアクション映画「DCエクステンデッド・ユニバース(DCEU)」の第1作にして、最強のヒーロー“スーパーマン“の活躍を描く『マン・オブ・スティール』シリーズの第1作。
地球育ちのクリプトン人、クラーク・ケント/カル=エルは、自身のルーツを探す為に放浪の旅を続けていた。
そんな中、宇宙空間に幽閉されていたクリプトン人のゾッド将軍が地球へと降り立つ。彼は母星を再興するために地球を犠牲にしようと考えていた。それを知ったクラークは…。
監督は『300 〈スリーハンドレッド〉』『ウォッチメン』のザック・スナイダー。
主人公クラーク・ケント/カル=エル/スーパーマンを演じるのは『人生万歳!』『インモータルズ -神々の戦い-』のヘンリー・カヴィル。
デイリー・プラネット新聞社の記者、ロイス・レインを演じるのは『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』『魔法にかけられて』の、名優エイミー・アダムス。
クラークの育ての父、ジョナサン・ケントを演じるのは『アンタッチャブル』『パーフェクト ワールド』の、レジェンド俳優ケビン・コスナー。
デイリー・プラネットの編集長、ペリー・ホワイトを演じるのは『マトリックス』シリーズや『ミッション:インポッシブル3』の、名優ローレンス・フィッシュバーン。
クラークの実父、ジョー=エルを演じるのは『ビューティフル・マインド』『レ・ミゼラブル』の、オスカー俳優ラッセル・クロウ。
製作/原案は『ダークナイト』トリロジーや『インセプション』の、後のオスカー監督サー・クリストファー・ノーラン,CBE。
音楽は『ダークナイト』トリロジーや『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズの、巨匠ハンス・ジマー。
皆さんご存知、「鳥だ!飛行機だ!いや、スーパーマンだっ!」でお馴染みのスーパーマン。アメコミ業界の老舗DCコミックスが1938年に生み出した(おそらく)最古のスーパーヒーローです。
何度も映像化されていますが、本作は新たなスーパーマンを描くというリブート作品なので、過去作を観ていなくても何の問題もありません。
スーパーマンといえば、やはりあのクソださいスーツ!
本作では現代風にアレンジされていますが、やはり青いスーツに赤いマントという星条旗カラーのコスチュームは変わらないので、正直カッコ良くはない。
このコスチュームを着て、コスプレ感を出さないというのはなかなかにハードルが高いと思うのですが、主演のヘンリー・カヴィルはこのハードルを楽々クリアーしています。ここは素晴らしい。
あの驚くべき胸筋と甘いマスクは、まさにスーパーマンといった感じ。
クリプトン星人同士の、ドラゴンボール感溢れるバトルも迫力があって良かった。
アクションシーンはアトラクションのような映像で、劇場の大スクリーンで観ればさぞ興奮したことだろう。
迫力のある映像と再現度の高いスーパーマンを観れたので、まぁ最低限の課題はクリアーしているとは思うが、個人的にはあまり好きになれなかった。
とにかく暗いんだよっ!
ウジウジするんじゃないよ、あんたスーパーマンだろがっ!
そのくせ長いんだよ!絶対120分以内に纏められた内容だろうこれは!
ダークな世界観のアメコミヒーロー映画にも傑作は存在します。『ダークナイト』(2008)とか『LOGAN ローガン』がその良い例。
しかし、それをスーパーマンでやる必要あるのか?
この映画公開時にはすでに「マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)」は存在しており、観客は明るく楽しいアメコミ映画を謳歌しているわけです。
そんな中、数あるアメコミの中でも最も“アメコミ的“なスーパーマンで、あえて王道を外してダークにした意味がわからない。
DC映画なら、ダークな物語はバットマンで展開すれば良いじゃない。そうすれば光のスーパーマン、闇のバットマンみたいな感じで対比的に作品を作り出すことが出来て「DCエクステンデッド・ユニバース」に深みと広がりが出るというのに…。
映画の冒頭から謎の用語がバンバン出てきて全然頭に入らなかったのもハマらなかったポイントの一つ。
無駄に複雑にしないと気が済まないのか?
納得できない点として、クリプトン星人は星と心中するが、その他の惑星をテラフォーミングできるほどの科学力があるなら、さっさと他の星に移住すれば良いのでは?
そうしないのは何故?宗教上の問題?
ケビン・コスナーが死ぬところとかなんか釈然としないし、最後のゾッド将軍殺してウワッーてところとか、いやいやあんたらの戦いでめちゃくちゃ人死んでるから今更やでとか思ったし、なんかダークにしようとしすぎているせいで逆にアホッぽくなっている。
ただ、クライマックスでクラーク・ケントがお馴染みのメガネ姿になったのは結構好きです。こういうお約束をやるのは大事でしょう。
まぁ退屈はしないが好きな映画ではない。
エンドロールでジョン・ウィリアムズのテーマ曲が鳴り響きけば評価爆上がりだったのになー。
ヒーロー映画だけれどブラックなテイスト
MCUなどのヒーロー映画が好きで、この映画も楽しめました。
自分的には少し展開が早すぎるなと感じました。
またなぜ敵は地球の女性を連れていく必要があったのか、クリプトンの星がすぐに消滅すると分かった上で星の外に罪人を幽閉させれ必要があったのかなど細かい点ですが腑に落ちないポイントがありました。あと細かいですが、地球人を助けることを選択した上で地球上で戦うときにはたくさんの死者出ていることをあんまり気にしてないんだってことは思ってしまいました笑笑
ただ、個人的には飛行シーンなどをズームなどで臨場感を増すような演出にはとても見入ってしまいましたし、他のヒーロー映画とは違い敵から地球を救うだけでなく人とはかけ離れた力すぎるために畏怖される存在でもあるという面も描かれているのは新鮮に思いました。
WELCOME TO THE PLANET
クラークは,クリプトン星における数世紀のあいだで初めて,自然出産によって生まれた子供である。人口出産で生まれた人間とは異なり,彼には役割がなく,決められた生き方もない。彼に込められた願いこそ,「自分の生き方を自分で決める」という「自己決定」である。
対してゾッド将軍は,軍人として設計され,軍人として育成され,軍人として生きてきた。「クリプトン人を守るために戦う」という目的を失うと,生き方を見失ってしまう。ゾッド将軍に対するクラークの勝利は「決められた生き方にしたがう」という生き方に対して「自分で決める」という生き方が勝利することを象徴している。
クラークにとって,クリプトン星人は同胞である。地球人は,クリプトン人由来の能力を発揮すれば彼を迫害するであろう。クラークが自分自身でいる(自己実現)することを、地球人は許さないのである。それでもクラークは地球人の側に立とうと選ぶ。これが自己決定である。
育ての父は,クラークに「能力を発揮するな」と伝えた。その父の教えに逆らい,能力を発揮することを決めた。これもまた自己決定である。(超人のみに許される自己決定だが……)
クラークは父を救うことができなかった。「あのとき能力を発揮していれば」「あんなことはもう2度と起こしたくない」「母やロイスを守りたい」かつて自分が果たせなかった願いを成就する。個人的に思い入れのある地球人を守る。そのような個人的な感情にしたがって将軍に反抗することが,結果的に全地球人を守ることになるのである。
クラークは「クリプトン星人」という帰属,血統やルーツよりも,自分の思い入れのある人々のそばにいることを選んだ。彼が能力を発揮することで,地球の人々は彼を脅威だとみなし,彼を迫害するかもしれない。それでも自分の能力を発揮した結果を受け入れようと覚悟した。自分の行動の結果を受け入れる。これは自己決定のキモであるように思う。
自分をすみに追いやってきた地球人たちのために生きることを選んだクラーク。それはクラークがようやく,周囲の人々を受け入れた瞬間である。そんな彼に報いようと,ロイスもまた「地球人はあなたを受け入れる」というメッセージを送る。それがまさに「Welcome to the planet!」というエンドロール直前のあのセリフだったのだ。
★表面上は「プラネット紙にようこそ」という意味だが、「異星人であるクラークを地球に迎え入れる」という意味でもある。が、何より重要なのは「ようやくクラーク個人が地球人に受け容れられた」、いや、「クラークが地球人を受け容れた」ということを示すセリフだということだ。この映画のすべてが集約されている★
(ついでに言えば、リブート版スーパーマン第1作としての始まりを告げるセリフでもあったはずなのだが……)
*
この映画はアクションシーンに満ちた映画である。しかし「アクションだけ」だと浮わついた映画になってしまう。そうならないよう,上述したような設定を練りこんでおく。これによってドッシリと重しのある映画になるのである。ヒーロー映画でありながら,小説的な象徴に満ちた映画になっている。
ヒーローが戦うに至るまでの過程を緻密に設定し,また幼少期・青年期のトラウマ体験を現在の行動決定に反映させる。これは製作のクリストファー・ノーランが,自身の監督作品『バットマン・ビギンズ』(2005)で行なったのと同じことである。
観客がヒーロー映画に期待するのは,敵をなぎ倒す爽快感であるかもしれない。この映画について言えば,それは薄いだろう。戦闘は派手ではあるけれども,いささか爽快感には欠ける。どちらかというとストレスフルで,クラークは苦戦することが多い。それよりも「彼個人の思いや感情」という心理的な面において観客がカタルシスを得ることに狙いが置かれているように思われる。
このような製作者側の意図と,観客のニーズとのあいだにギャプが生じているとすれば,それはこの映画がしばしば「つまらない」と評価される所以であるかもしれない。(とは言え,派手なアクションさえあれば映画が面白いかというとそういうわけではない場合もあるだろう)
ヒーロー映画らしい戦闘の爽快感と,主人公の心情に寄り添った1つの物語として破綻のないプロット。これら2つを両立するという映画製作上の1つの課題が浮き上がってくる。
(1つ言うとすれば,画面はここまでブルーでなくとも,製作者の意図は伝わったのではないかと思う。)
スーパーマンの自分探し
DCエクステンデッド・ユニバース第1作。
"マン・オブ・スティール" 三部作第1部。
通常スクリーンで鑑賞(字幕)。
原作コミックは未読。
スーパーマンのオリジン・ストーリーが描かれ、自分自身の存在に悩みながらもヒーローとして覚醒していく姿が、迫力の超絶アクションと共に紡ぎ出されていて大興奮でした。
アイデンティティーを求め、放浪するクラーク・ケント。暗く陰鬱な風景が彼の心象を表し、苦悩の深さが窺えました。
地球人として生きるべきか、はたまたクリプトン人として生きるべきか。葛藤の果ての選択と決意に胸を打たれました。
アクション・シーンは、これまでのスーパーマン映画では実現出来なかったスピード感溢れる場面の連続で、目を瞠るものがありました。VFXの進歩とは、本当に素晴らしいです。
[余談]
冒頭から中盤はダークナイト・トリロジーみたいにリアリティー溢れる濃密なドラマが展開されエモーショナルでしたが、ラストに向けてその雰囲気が崩れていく気がしました。
バットマンは鍛え上げた強靭な肉体と財力を駆使して凶悪な犯罪者たちと戦っています。つまり、少し強いだけの人間。よって現実に近い世界観を構築出来るのだと思います。
対してスーパーマンは超人。ヴィランのゾッド将軍も宇宙人だし、バトルもビルを壊し、目からビームを発射するなどリアルな世界観と合わず、違和感を伴っていると感じました。
この違和感は後のDCEU作品でも尾を引き、批判の原因となりますが、今思えば本作ですでに片鱗があったのでした。
[以降の鑑賞記録]
2014/? ?/? ?:DVD(字幕)
2016/03/25:金曜ロードSHOW!
2022/05/29:Ultra HD Blu-ray(字幕)
2024/02/19:Amazon Prime Video(吹替)
※修正(2024/02/19)
今まで勘違いしてた
アメコミはMARVELから入った
MARVELはコメディっぽく笑えるシーンが多かったのでどうしても暗めのDCは合わない気がしてた
それにDCはMARVELに比べ新しくそこまで作品が出ていないので観る気になれなかった
今作をちゃんと観た
キャストも作りもMARVELに劣らず素晴らしい
これからも応援します
迫力ある CG は素晴らしかったのですが
普通の映画でした。 迫力ある CG は素晴らしかったのですが、 それ以外が劣悪でした。 陳腐かつ不自然なストーリーは作品のかちを大幅に劣化させています。 ストーリーが時系列順に並んでいないため、 理解しづらいなど、 視聴者を突き放した自己満足的な内容が目立ちました。 少なくとも、 せんとうが集結する前にラブシーンを始めるのは、 絶対にやめるべきでしょう。
これはスーパーマンのリメークのようなものですが、 そもそもスーパーマンらしくない内容です。 スーパーマンに固執する必要もなく、 別の主人公にするべきだと感じました。
ちなみに、 主人公のスーパーマンは、 さんざん素顔を晒しまくった挙句、 最後に一般人としていきていくことをせんたくしました。 そんなばかな。 と言っても、 そもそも初代のスーパーマンも、 そういう はなしだったきがしますが。
よそでやれ
どうもこの宇宙人共は、手前の勝手な都合で地球にやってきてひと騒動起こしたようだ。建物をやたらに壊して人を殺しまくる。地球人になんのプラスも自省を求める要素もなし。こんな話に付き合わされた役者陣はかわいそう。名優達が浪費される。
ヒロインのエイミーアダムス。最初の登場からしてウザイ。道中においてもヒロインとしての資格を得るには至らない。スーパーマンは喋りすぎる男。三度ぐらい「ええっ!言っちゃうの」というツッコミを入れてしまった。最後は一般ピープルとして生きて行くって、あれだけ顔バレして、名前も変えるわけでもなく、冗談としか思えない。
宇宙人というが宇宙人っぽさはなく、兵器も凡庸。戦闘シーンもワンパターンで、少し雑。名前の由来のシーンは失笑。いくらなんでもかっこ悪すぎ。
77点
幼少期のクラークが可哀想で何故か涙がw
2回目なはずやのにこんなんやっけ?
って感じした!覚えてないだけかもやけど
さすがクリストファーノーラン!
ただ人死にすぎまちめちゃくちゃなりすぎw
お父さんの意識、意識以上の働きしすぎw
ゾッド将軍VSカル=エル
マイケル・シャノン対ラッセル・クロウのクリプトン文明をいかに残すかという闘い。星が崩壊寸前の時にそんな議論や闘いをしても虚しいだけだが、カル=エルの親父は、科学者であり宇宙船の設計者でもある。自分の息子にクリプトン星人のすべての遺伝子を注入し、はるかなる地球へ送りすべての運命を託した。マイケル・シャノンのゾッド将軍のほうは、どこまでクリプトン文明のことを考えていたのかわからん。まあ、エル家のことが単に嫌いだったのではないかと思われる。クリプトン文明のためとか民のためとか言いながら、そこにエル家は入っていないし、星の指導者たちのことも信用していなかった。クーデーターを起こして追放になった。このゾッド将軍が、生まれた星ではない地で鬱屈して育ったカル=エルと同等かそれ以上の苦労をしてやっと宿敵の息子を探しだしたのだ。この二人の全地球を取るかとれないかという命を賭けた陣取り合戦というわけだ。映像がとにかくすごい。ワールドエンジンうんぬんのあとからがさらにすごい。地面や建物は破壊されまくったが、地球人が残虐に死ぬ場面は少ないため、もの足りない感じはのこる。ラストの赤目火炎ビームくらいだし。
無敵すぎる
結局彼は地球人として生きて行くのかね。クリプトン人としては生きて行かないのか。
胸のマークはSではなかったのな。
アクションは迫力あってよかったけど街壊しすぎじゃない?
敵も敵なりの正義があってかっこいいなって思った。最後のバトルで首ぽきっとおったけど殴り合いが吹っ飛ぶだけでダメージ全く受けてなさそうだからさっさと折ってしまえと思いましたね。
モーレンスフィッシュバーンをマトリックスぶりにみたけどめっちゃ太ってるな。
シリアスギャグを追求した結果
全体的に「なんで?」というシーンが多くツッコミどころ満載の映画でした。
例を挙げるとキリがないですが、ただのジャーナリストでしかないヒロインが、拾ったばかりの銃(クリプトン製)を使いこなし躊躇なく発砲していくところはさすがに無理があるかと…。
他にも逃げられそうなのに竜巻の目の前でドヤ顔しながらぼっ立ちしている親父や、民間人の隠れている民家に向かってミサイルを容赦なく放つ政府軍の姿は最高にクレイジーだと思います。
ストーリーは多少無理があるくらいで普通につまらないです。
あと目から熱線を出せる設定は削除したほうが良いと思いました。
イメージと違うスーパーマン
明るい正義のヒーロー!ではなく、超人的な力のせいで行動を制限され、恐れられ、悩みながら生きるスーパーマンの姿が描かれていました。
クリプト星が滅びる直前に地球に送られたスーパーマン。他のクリプト人が絶滅したのに、ゾッド将軍一味はどうやって助かったのか?何故危機的な状況で幽閉みたいな甘い処置を取ったのか、そもそも疑問でした。
他にも力をつかわず、結果育ての親を見殺しにしてしまうシーン。そこまでして隠すことあったのかな。
色々疑問はありますが、戦闘シーンはかっこ良かったです。
40点
映画評価:40点
アクションシーンは迫力があり、最新技術盛り沢山の見応えのある作品です
ただスーパーマンらしさ(電話BOXで着替えて颯爽と人助けみたいなやつ)は今作では見られませんでしたね
それに初めからこんだけ目立つとスーパーマンだと地球人にバレてしまうんじゃない?普通にサラリーマンとか今後やれなくない?とか色々と矛盾を拾ってしまいそうになりました
スーパーマンの成り立ちは壮大なバックストーリーがあるって所までは良かったんですけどね
地球に来てからのストーリーがチープ過ぎて勿体なかったかなと
次回作もある様なので期待しておきます
【2016.3.26鑑賞】
レンタル程度で◯
映画館じゃないので、迫力に欠けたと思うが、それでも戦闘シーンはすごい
ても、壊し過ぎじゃないか??
地球を救ったとしで、一般人はそんな大規模に物をら考えられないから、そうなると自分の身近な被害額としてはスーパーマンも悪役もどっちもどっちと、言いたくなるくらい壊しまくりw
そんなに飛べるなら地球外でやってくれw
でも、苦しくて咳き込んだりするとこはなんか人間味があってちょっと笑えたw
あ、やっぱ苦しいんだ、って
若かりし日の苦悩は、すごく痛みが伝わってきた
竜巻のシーンで、自分の死をもってしてまで息子に秘密を守ることを教える父
実父以上愛情を感じました
まー、退屈はしなかったよ
On my world it means hope. ザック・スナイダー監督の描く新しい「スーパーマン」誕生の物語
スーパーヒーローの先駆け「スーパーマン」の原作のコミックが始まったのが1938年。何故か比較されているドラゴン・ボールより50年近く前に原作は始まっています。アメコミの歴史恐るべし。
以前のクリストファー・リーブ版は子供の頃にテレビで観たかなっというぐらいで特に思い入れのないので、今回の「マン・オブ・スティール」は存分に楽しむ事ができました。リアル志向でちょっと暗いという意見も多いですが、これだけCGを使い物事をリアルに見せる事ができるようになった現代で、もし牧歌的なスーパーマン見せられても「なんだかなぁ」っという気になるので今回のリアルなスーパーマンはとても良かったです。
兎にも角にも映像が素晴らしい。街が大破壊されるシーンはもちろんの事、スーパーマンが飛び立とうとする時に回りの石が揺れたりするシーン等細かい所にもリアルにこだわっています。また、引きの映像から一ヶ所にフォーカスしてカメラがズームする撮り方はいつ観てもカッコいいですね。CGをいかに使うかは作り手のイマジネーションとこだわりに依る所ですが、ザック・スナイダーいい仕事してます。
新しいスーパーマンのヘンリー・カビル、筋肉がスゴすぎです。最初見たときはCGか?と思ったのですが、役作りのトレーニングで鍛え上げたみたいです。最終的には200キロのバーベルを上げれるまでになったという話も納得の筋肉です。ってどんだけ鍛えてんねん!!
ケビン・コスナー、ラッセル・クロウ、ダイアン・レイン、ローレンス・フィッシュバーンとやたら出演者が豪華です。特にケビン・コスナー演じる父親が竜巻にのまれそうな時に助けに行こうとするクラーク・ケントを制止する場面がカッコ良かった!!ケビン・コスナーはいくつになってもカッコ良い。
これだけ長い原作があると色々な物語があったり、設定も時代に合わせて変わったりしていますが、見事に現代にマッチしている「スーパーマン」。間違いなく壮大なアクション超大作。映画ではマーベルに押され勝ちなDCコミックの新しい「希望」になりえる超人達のガチバトルを存分に楽しめる作品です。
全55件中、1~20件目を表示