「不思議な作品です 2回観ました」ラブリーボーン Giovanniさんの映画レビュー(感想・評価)
不思議な作品です 2回観ました
スージーが話す最後のナレーション「、、死者が離れていこうと決めてもそれに気づく人はいない せめてかすかなささやき声かそれが作る空気のうねりを感じるだけ わたしの苗字はサーモン お魚みたいでしょ?名前はスージー 私は14歳のときに殺された 1973年の12月6日だった ほんの一瞬生きてこの世から消えた、 お別れの時です 末永くお幸せに」
う~ん、とても違和感があります。少なくとも酷い殺され方をした女の子の最後の台詞ではないです。もう一つ、犯人がのうのうと生きていたことにも看過しがたい気持ちが。
で、もう一回観てw自分なりに答えらしきものを見つけました。これはスージーが現世と天国の間を彷徨ううちに、犯人に対する恨み、自分を責める気持ち、家族、恋人への想い、善悪その他様々な観念を手放し、全てを在るがままに感じ、本当の意味で全てのものから自由になった境地、仏教でいう解脱に至ったからではないかと。普通私たちは世界を直接見ることはできません。五感から入った情報を脳内で分析、映像を再構築し、脳内のスクリーンに映し出しそれを見ています。そこには様々な観念も加味されます。そういう手続きをすっ飛ばして世界を直接感じることがあるいは悟りと言われるものかも知れません。
母アビゲイルもスージーのことを忘れようともがきますが到底出来ることではなく、最後は負の感情を全て手放しスージーのことを愛しているただそれだけで十分であることに気づきます。
作品を観て思ったのですが、こちらの世界とあちらの世界は密接に繋がっているようです。父ジャックの心が荒れるとスージーの世界も荒れ、スージーが不穏になるとジャックも心がざわつきます。
長生きするほうが幸せいうのも勝手な思い込みです。時間というものは本当に存在するのでしょうか。人間が世界を認識するために脳内で作りあげたただのツールかも知れません。