ブレードランナー ファイナル・カットのレビュー・感想・評価
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これまで見た中で最も暗いSF
最後まで見届けるとなにかこう、感慨深いものが湧いてくる。レプリカントやブレードランナーの行動目的がちょっとわかりづらいので、混沌としたストーリー展開。外国人に生まれて、この映画を見てみたかった。アジアというか日本を意識したシーンや、ところどころに日本語のセリフがあって、欧米(ということばで一括りにするのもいまいちだが)の人々からみると、日本とはなかなか謎めいているが最先端な、謎なイメージなんだろうか。劇中の世界観はすべてセットで作りこまれているようだが、ストーリーに負けじというか、勝ってというかまさに混沌としていて、こんな未来にはなってほしくないなぁという感がすごい。#2018-003
オタク文化が作り上げたまさに映画な傑作
酸性雨の降り続く近未来のロサンゼルス。
環境汚染によって多くの人々が地球を離れたものの、遺伝子工学の最先端技術を駆使して製造されたレプリカントと呼ばれる人造人間を労働力として酷使して人々は過酷な環境ながらも暮らしていた。
しかしそのレプリカントが暴走し、人間を殺害し地球に潜伏したとの報を受け、対レプリカント専門の警察官、ブレードランナーが動き出す。
そのベテランで凄腕のリックデッカードとレプリカントの死闘を描いたSF映画の歴史的金字塔。
個人的レビューを書きにくいランキングトップクラスの作品笑。
カルト的な人気が強すぎる為、余白が多すぎる為、初見時ちょっと寝た為といろいろと敷居が高すぎる印象が強い。
公開当時は生まれてないし、2017年公開の続編を観るミーハーとして今作に触れたのが初だった為、尚更のやりづらさはあった笑。
今作の何がそこまですごいのか。正直理解できている気はしないが思ったことをポツポツあげていきたい。
まず今作、ものすごく語りたくなる要素が多い。
地球に潜伏した6人のレプリカントの内1人正体が明かされていない人物がいたり、デッカード自体がレプリカントではないのかなどの考察がネットのあらゆるところで見受けられる。
実際のところ6人目のレプリカントは予算の関係で出演が不可能になってしまい、それに伴う冒頭のセリフの修正が公開に間に合わなかった為、矛盾が生じてしまっているらしいのだが、この考察を長いことファンの中でああでもないこうでもないと論争を続けている。
おそらくほぼ全員が上記の事実を知っていながら作品としての謎を各々の想像力を駆使して妄想している、ファンメイド的な要素が非常に多いのが大きな特徴かなと感じた。
また圧倒的な世界観も大きな特徴。
当時の主流のSF映画の世界観であったクリーンで美しさを感じる街並みとは大きく異なった退廃的で憂鬱な未来都市を表現している。
大きな液晶型看板には舞子の格好をした女性が強力わかもとを手にした映像、酸性雨の降りしきる地上には多種多様な人々が陰惨な雰囲気の中食事をしていて、よくみるとそれが日本食だったりと、リドリースコットが気に入ったという歌舞伎町の街並みや日本文化を感じさせるシーンがあったりと日本人のオタクが大喜びするようなシーンがたくさんある笑。
観ながら何か違和感あったけどそれが歴史的な洋画から普通に日本語が聞こえてくることたと気付くまでに少し時間がかかった笑。
二つで充分ですよ!なんてセリフが名言扱いされる辺りからもカルト的人気を感じさせる。
また何と言ってもやはりハリソンフォードが死ぬほどかっこいい。坊主に近い髪型なのにどこかセクシーにも見える笑。
当時の彼は今作でリックデッカード、その1年前にインディジョーンズ、そのさらに3年前にハンソロと間違いなく人気とキャリア絶頂期の俳優だったんだろうな。
ただ今作の公開当初はあまり評価的興行的にあまり反応が良くなかったようで中には駄作と切り捨てる観客や評論家たちが後を絶たなかったらしい。
傑作エイリアン後の作品として大きな注目を集めていたリドリースコットの当時最新作として満を持して公開されたが理解が出来ないよくわからないという感想が多かったらしい。
自分が1番今作で1番すごいなと思うのが公開後から今日に至るまでの過程だと思う。
意図的か製作上の都合か不明だが今作余りにも余白の部分が多い。それはつまり観客が自分たちで妄想し、議論することに繋がっている。さらにはその中で出てきたあるアイディアをリドリースコット自身が気に入り、バージョン違いでリリースした本作に追加シーンを加え、また新たな論争や妄想を引き起こしている。
こんな作品は類を見ない。まるで映画が歳月を通して成長しているかのようだ。
ファンにも製作陣にも愛された傑作といっていい作品だと思う。
ただもちろん自分は余白を理解できていないし、多くのバージョン違いも観ていない笑。
この作品は何度も何度も観たいと思わせてくれる作品だ。時間をかけて理解して行きたいと思う。
赦し
やはり名作
it’s time to die
レプリカントは黒人に変わる新たな奴隷
続編『ブレードランナー2049』を観るために復習として本作を観ることにした。
原作となるフィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』も以前に1度読んでいるが、全く覚えていないので今回改めて読み直した。
なお映画はファイナル・カットを観た後にオリジナル劇場版も早送りで流し観てチェックした。
結論から言うと、小説と映画はほぼ別の作品である印象を持った。
どちらが面白いかは甲乙つけがたく、深さの方向性自体も違うように思えた。
原作ではアンドロイドと呼び、映画ではレプリカントと呼ぶ亜人種は、端的に表現すれば黒人などに変わる新たな奴隷階級である。
その奴隷をどう考えるかの違いが両者の方向性を分けているといったところだろうか。
原作にあって映画にない大きな要素が1つある。
主人公たち人間の住む世界は核戦争後の死の灰(放射性降下物)が降り積もる世界になっていることである。
そしてそれを浴び続けることでレギュラー(適格者)の人々も、思考力や肉体能力の劣ったスペシャル(特殊者)に退化する危険性と常に隣り合わせで生きている。
この要素があるとない(もしくは明確に示されるのと示されないの)とでは作品世界が大きく変わる。
また原作の世界では野生動物がほぼ死に絶えている世界であり、そのため本物の動物、たとえば牛や羊、山羊、馬、フクロウなどを飼育することが大きな社会的ステータスとなっている。
そこであたかも本物を飼育しているかの偽装をするために電気の動物までが存在している。
物語の序盤では、主人公リック・デッカードも本物の羊を死なせてしまったために電気羊を飼っているのだ。
原作のアンドロイドをあえてレプリカントという呼称に変更したこと自体に彼らを人間に近い存在にしたい意図を感じる。
アンドロイド/レプリカントを狩る人間の呼称も変えている。原作ではただのバウンティ・ハンター(賞金稼ぎ)だが、映画はタイトルである「ブレードランナー」というご大層な名前が付いている。
映画は最後でデッカードとレイチェルが別天地へ旅立つ愛の物語になっているが、原作では妻帯者のデッカードが戻るのはガミガミと小言の多い妻イーランの待つ日常である。
映画と同じく原作でもデッカードはレイチェルと肉体関係を持つのだが、そもそも原作のアンドロイドは感情に乏しいままで、映画のレプリカントのように時間の経過とともに感情が生じるわけでははない。
そのため原作のアンドロイドが死へ諦観を持っているのに対して、映画のレプリカントは生へ異常なまでに執着しているように感じられる。
原作のレイチェルはデッカードの前にも他の複数のバウンティ・ハンターと過去に肉体関係があり、彼らがアンドロイドへ感情移入して殺すのをためらうようにわざと性交するような計算高い女性アンドロイドである。
映画のように愛のために同じレプリカント(リオン・コワルスキー:映画オリジナル登場人物)を撃ち殺すような真似はしない。
またデッカードは彼らアンドロイドに感情移入しつつも、最終的には逃亡アンドロイドを自らの手で処分している。
レイチェルと情交したバウンティ・ハンターの中には人間であるとの偽情報を植え付けられたアンドロイドのフィル・レッシュもいたが、元々が人間ではない彼にはレイチェルの策略は通用していない。
原作と映画の相違点を上げると他にもさまざまある。
映画ではレプリカントが人間に反乱を起こし、地球に逃れたレプリカントを処分する設定になっているが、原作のアンドロイドは単に逃亡しただけである。
原作のデッカードはアンドロイド狩りにおいてホールデンより大分腕が落ちる設定だが、映画ではデッカードが一番腕利きとなっている。
映画の構成上人数も減らしている。原作の逃亡者は元々は8人、デッカードの前任のデイヴ・ホールデンが2人処分して、残り6人をデッカードが始末していくが、映画は4人になっている。
また4人の名前も半分は違う。
ロイ・バティとプリスはいっしょだが、コワルスキーとゾーラ・サロメは映画のオリジナルである。
恐らくコワルスキーは原作ではマックス・ポロコフに当たり、ゾーラは原作ではオペラ歌手のルーバ・ラフトが最も近いかもしれない。
ただしルーバは全く武闘派ではなくむしろデッカードを罠にはめるような知性派であるし、最終的に手を下したのもアンドロイドのフィル・レッシュである。
映画のリプスはロイと恋人関係にあるが、原作のロイにはアームガードという配偶者のアンドロイドが存在する。
また映画ではレイチェルをショーン・ヤングが、プリスをダリル・ハンナが演じ分けているが、原作は両者は同一の姿形をしたネクサス6型であり、プリスは最後にデッカードに撃ち殺されている。
映画のロイは肉体的に相当強くデッカードをターミナーターばりに追い込むが、原作のロイはデッカードにあっさりと殺されてしまう。
ネクサス6型を開発した会社名も違う。映画はタイレル社となっているが、原作はローゼン協会であり、そのため創始者の名前が、映画はエルドン・タイレルであり、原作はエルドン・ローゼンになっている。
またエルドンがロイに殺される描写は原作にはない。
映画でレプリカントを匿うはめになるJ・F・セバスチャンの役回りは、原作ではJ・K・イジドアという人物である。
セバスチャンを早老症にしているのは、原作のイジドアがスペシャルという設定に寄せているのだろう。
そしてもう1つ大きな違いがある。
原作では、感情を制御するためにデッカードや妻のイーラン、イジドアが入信している「マーサー教」という宗教が頻繁に話題に上る。
また最大のテレビ娯楽作品としてバスター・フレンドリー・ショーもよく会話に出て来るが、マーサー教の教祖ウィルバー・マーサーもショーの司会コメディアンであるバスター・フレンドリーも後にアンドロイドであることが判明する。
映画では感情面で人間に近づくレプリカントが実社会ではほとんど影響を持っていないのに対して、原作では内面が人間からはほど遠いはずのアンドロイドが社会的には大きな影響力を持っているなど、両者の描かれ方が全く正反対である。
やはりこれだけ違いがあると映画は原作を活かした別作品と言っても過言ではないだろう。
映画本作における近未来的な描写は30年以上前であってもそれなりの説得力を持ってはいるものの、テレビの形体やレイチェルの着る肩パッドの強い服などの小道具には時代を感じてしまう。
本作のあらゆるデザインをシド・ミードが担当しているが、『トロン』とほぼ同時期に平行して仕事をしていたというのだから驚く。
因みに日本でもガンダムシリーズの『∀ガンダム』において主要なロボット(モビルスーツ)のデザインを担されていたりする。
雑多な町並みや様々な人種が行き交うディストピアな近未来的ロサンジェルスの描写は後のアニメ映画『攻殻機動隊』にも少なからず影響を与えたことも感じられ、なるほどこの下地があるからこそ『攻殻』もアメリカで受け入れられたのかとも思わせてくれた。
本作で描かれる「強力わかもと」の映像広告や微妙に意味不明な日本語看板、ステレオタイプな芸者映像は当時のハリウッド映画なら致し方ないところかと笑って諦められる。
ハリソン・フォード扮するデッカードがうどんを食べるシーンで店主が日本語で話しかけるのも奇妙と言えば奇妙である。
Blu-rayで本作を観たせいか光を巧みに使用した明暗のコントラストは美しく感じられ、登場人物の内面描写にもつながる素晴らしい演出だと思う。
またセバスチャンの部屋の妖しい雰囲気を醸し出すために小人を登場させているが、最近ではホドロスキー監督作品の『リアリティのダンス』や『ブランカニエベス』などの1部のヨーロッパ映画でしかお目にかかれなくなってしまった。
小人症の役者たちは映画などで活躍の場を求めているのに、昨今の表現の自主規制によって多くの映画業界からなかば閉め出されているのだとしたら悲しい限りである。
マネキンが並ぶ変な部屋なども登場し、たとえ『時計じかけのオレンジ』ほど洗練されてはいなくとも、不気味さが感じられる格好の表現である。
以上の何かひっかかる演出は現在のハリウッド映画や日本映画では全く見なくなってしまったので、なおさら映画を制作する当時の環境の自由さを感じてしまう。
エンドロールなどで流れるヴァンゲリスの作曲による音楽も作品に最適であるのを改めて確認した。
映画では夢の中にユニコーンが登場したり、レイチェルと旅立つ際にデッカードが見つける折り紙がユニコーンであったり、奇跡の象徴のようにユニコーンを扱っている。
デッカードもレプリカントである暗喩だとも言われているらしく、ハリソン・フォード自身もこの演出はあまり気に入っていないようだが、筆者は観ていてもその演出であることに気付かなかった。
またオリジナル劇場版ではエンドロールになる直前のシーンでデッカードとレイチェルの乗った車が大自然を見はるかす山間の道を走って行くが、ファイナルカットでは削除されている。
筆者の個人的な見解はこのシーンはあってもなくてもどちらでも良いように思える。
フィリップ・K・ディックの映画化作品としては『トータル・リコール』や『ペイチェック』『マイノリティ・リポート』があり、ハヤカワ文庫から新訳版が今も発売され続けている。
筆者も上記の映画は全て観ているし、小説もいくつかは読んでいる。
原作小説で彼はアンドロイドという新たな奴隷階級を創造しながらも、実は死の灰に犯されてレギュラーからスペシャルにいつでも転落する人間も彼らとそれほど変わらないということを示しているように思える。
またもしかすると、ディックは白人がインディアンを殺し、黒人を奴隷としたことへの原罪意識みたいなものを持っていたのかもしれない。
同じくディック作品の『高い城の男』は大日本帝国とナチス・ドイツが戦争に勝ちアメリカを二分した社会が時代背景になっているが、同じ白人国家のドイツは残虐に描かれ、日本は高圧的でありながらも比較的話のわかる相手に描かれている。
しかも小説の結末もアメリカが独立を勝ち取るわけでもない。ディックが若い時にドイツ語を学んでいた事実を知ると尚更不思議な作品に思える。
『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の世界は核戦争後の設定になっているので、もしかすると原爆投下に関しても原罪意識を持っていたのかもしれない。
『高い城の男』はAmazonでシーズン2までドラマ化されている。予告を観た限りではディックの原作とは違い、日本の描写はステレオタイプに感じたが、真相はわからない。
余談だが、『高い城の男』と『パシフィック・リム』を足して2で割ったような『ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン』という作品がある。
作者はピーター・トライアスという名前だが、韓国ソウル生まれの韓国系アメリカ人だからなのか、作品の根底に流れる反日がどうしても感じられ、もちろん『高い城の男』の足下にも及ばない駄作になっている。
映画でリドリー・スコットが描いたレプリカントはどこまでいっても奴隷であり、デッカードという人間が愛のためなら仲間も裏切るいじらしい性格の奴隷を1人救うだけである。
まるで独立宣言を起草した第3代大統領ジェファーソンが黒人を奴隷として差別しながら、同じ黒人女性を愛人にしていたように。
この部分は気になるが、2時間の映画にディックの哲学を反映させるのは時間的に無理であり、レプリカント同士も含めて愛と生(性も)を全面に出した作品になっていると言えるだろう。
いずれにしろ古来から奴隷の概念すらない日本では奴隷階級が出て来る作品はなかなか生まれない。
豊臣秀吉が戦国時代に苛烈にキリスト教を弾圧し始めたのも、キリシタン大名が戦争で負けた日本人を奴隷として国外へ売っていることがわかったからである。
見返せば見返すほど
2007年にファイナルカットバージョンが出たのが本作を知ったきっかけでした。それはこれまで自分が見てきたハリウッドの近未来映画の風景では見たことのない世界、けれどどこか見覚えのあるような世界でした。一度見ただけではすぐ理解できませんでしたがwどこか引き込まれ、BSでの放送、ブルーレイなどで何度も見返すくらいハマりました。
取り上げている「人間らしさ」という本当に難しいテーマに、完璧な答えを提示するわけじゃなく、あえて見る者に改めて問いかける本作のスタイルこそハマっちゃった理由だと思います。あと謎が多い。マジで多いw 「初登場時にこれ、受け入れられたのかな?」っていうレベルで独創性が全開しております。これらには答えはあるんでしょうか?
近々、新作をみる予定なのでレビューしてみようと思ったのですが、これまとめるのは難しいわw
でも個人的にはハマりました!まあ、こういうもんですよ、カルト映画ってのは。
85点!
アンドロイドは人の夢を追い求め続け…
いよいよ公開迫った『ブレードランナー2049』。
35年振りの続編を前に、前作を予習。見るのは一体いつ以来か。
初見時はそのビジュアルが強烈に印象残ったが、話の方はなかなかに難しく…。
以来ちょっと敬遠するようになり、同じSF映画の名作でも『スター・ウォーズ』や『エイリアン』ほど慣れ親しんでないのが本音。
オリジナル劇場版、インターナショナル版、ディレクターズ・カット版、ファイナル・カット版…数あるバージョンの違いすら分からず。
なので余計な事を一切考えずに、初見のつもりで鑑賞。
ストーリーとビジュアル、どちらを先に語るか悩むところだが、やはり今も尚鮮烈なビジュアルから。
空は暗雲が覆い、スモークが立ち込め、酸性雨が絶えず降り注ぐ。
一見高層ビル群が立ち並ぶが、その陰に潜れば、人ゴミでごった返し、退廃的。
近未来と言えば藤子・F・不二雄の世界で描かれるような明るい近未来を思い描いていた初見時まだガキんちょの自分にとっては衝撃的でもあった。
今思えば、これも敬遠してた理由の一つかもしれない。
未来は何も明るい未来とは限らない…。
それを強烈なまでに知らしめた。
一度世界が荒廃したら、国も人種も無い。
様々な国や人種が入り乱れる中、一際印象残るのが、日本人だからかもしれないが、日本要素。
日本語の看板やポスター、チラシ、芸者の映像や音楽、街中のガヤも時々日本語が聞こえ、屋台のオヤジはやたらと“2つ”を薦めてくる。あの芸者の広告の薬は昔よく食べてたっけ。(懐かし~!)
監督が来日して影響受けたというギラギラ妖しいネオン街。
日本要素が『ブレードランナー』のビジュアルや世界観に一役買ってるのは、日本人としては嬉しい限り。
『~2049』でも是非、日本要素が継承されていて欲しい。今ハリウッドが贔屓してる某国色じゃなくて。
シド・ミードが手掛けたデザイン、幻想的な世界観を醸し出したヴァンゲリスの音楽。
映像センス、SFセンス、美的センス…いずれもリドリー・スコットの作品の中でも随一。
ストーリーは改めて見ても、確かに万人受けするような代物ではない。
宇宙での奴隷労働を強いられる“レプリカント”と呼ばれるアンドロイドが地球へ脱走、“ブレードランナー”と呼ばれる捜査官が追う。
SFアクションもしくはSFサスペンスのような一応のあらすじではあるが、娯楽性を期待するとKO。公開時のキャッチコピー“2020年、レプリカント軍団、地球に宣戦布告!”なんて、一体誰がどう見て、どう付けたんだ?
主人公はハリソン・フォード演じるブレードランナーのデッカードだが、やはりどうしてもレプリカントたちの彷徨を追ってしまう。
人間が創造したアンドロイド。が、彼らも怯え、哀しみ、苦しみ、血も流す。
“我思う 故に我あり”
レプリカントとは? 人間とは? 自分は何者か?
レプリカントが抱く葛藤や感情を通じて、人間とレプリカントの一筋縄ではいかない存在意義を投げかける。
それらを体現したレプリカントのロイの狂気の中に滲む悲哀。ルドガー・ハウアー一世一代の名演。
色褪せないビジュアル、テーマ性…。
改めて見て、“伝説”と評される所以が分かった気がした。
人の夢を追い求め続けるレプリカントたちは…?
あの後、デッカードは…?
『~2049』公開まで後少し!
唖然
ブレードランナー ファイナル・カット
植民惑星から4体の人造人間=レプリカントが脱走した。
彼らの捕獲を依頼された“ブレードランナー”デッカードは、
地球に潜入したレプリカントたちを追うが……。
「ブレードランナー」の5つのバージョンの最終版。
当時新しかった退廃的で混沌とした世界観は、
今見ても斬新に感じます。
大都会で孤立しているレプリカンが、
自分の存在意義を問いかけるというシンプルな話。
ルドガー・ハウアー演じる反乱者のリーダーのロイが、
敵役なのに魅力的なキャラクターでした。
それにくらべ、
主人公のデッカードは終始情けなさを漂わせています。
レプリカントたちにボコボコにされた上に、
最後にはロイに命を救われる始末です。
奴隷としてこき使っていたはずのレプリカントですが、
反逆されると人間は成す術もない姿が描かれてます。
なんせ謎が多い映画なんで、
観てる側があれこれ想像して楽しめる。
いまだに古びない
爆音祭
2019 酸性雨に煙るロスが主役
85年–86年の空前のビデオブームの頃、何度となく借りて、その度に途中で寝てしまった因縁の映画、その名はブレードランナー。
82年の公開当時のことももちろん覚えています。当時、バン・ソロで一躍有名になったハリソン・フォード主演のSF大作。高校生だったころ、部活に明け暮れて映画館で観ることは出来なかったのですが、しっかりコケたこと、覚えています。ハリソン君はスターウォーズの後、ハノーバーストリートと言う大戦恋愛映画のあと、レイダースの前後にこの映画に出たのではなかったでしょうか?
そういえばレイダースもなぜか日本ではヒットしなかった覚えがありますが。
またブレードランナーと言えば、ヴァンゲィリスのエンドタイトル。知る人はほとんどいないとは思いますが、84年–85年にマツダサバンナRX–7のCM曲として使われてました。当時はブレードランナーのサントラは発売されてませんでしたが。この30年間、私の愛聴ソングです。
さてそんな曰く付きの映画、遂に映画館で生まれて初めて通して鑑賞することが出来ました。
それも爆音上映です。幸せでないはずはありません。
あくまで主役は2019年のロスです。核戦争も無く、荒廃して行く世界を描いています。今年観たライアン・ゴズリング主演のベストガイズでは72年のロスが舞台でしたが、街を俯瞰で撮った冒頭のシーンは私にとっては対比できるようなシーンでした。最近の映画では40年前の街を描こうとして、35年前は40年後の街を描こうとして。
そして描かれる2019年の街にはなんと多くの日本語が聞こえることか。改めて観て思うとともに、80年代のジャパンパワーを感じました。
言い古された言葉ですが、訳もなく死にゆく街は魅力的です。
さてハリソン君。改めて見直して、なんと間抜けで弱っちょろいのか!
無防備な相手(女性)を背後から撃つくらいで、後の3人に関してはラッキーな展開。2049の予告編で『昔は腕が良かった』的な発言がありますが、多分そんなことはない。
但し、この映画のメッセージは明快。原作通りにアンドロイドも電気羊の夢を見ることは出来る。それをルドガー・ハルアーの顔芸で魅せてくれている。その演技に満点。
そしてハリソン君のピアノ脇の写真にも◎。でも続編が出来たことでレプリカント疑惑はあえなく払拭。
折り紙◎。これあってのブレードランナー。
ヴァンゲィリスのエンドタイトルまで楽しめました。
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