ブレードランナー ファイナル・カット : 映画評論・批評
2020年5月12日更新
2019年9月6日よりロードショー
※ここは「新作映画評論」のページですが、新型コロナウイルスの影響で新作映画の公開が激減してしまったため、「映画.com ALLTIME BEST」に選ばれた作品の映画評論を掲載しております。
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初めて映画館で見た時の絶望感、そして今改めて思う「リドリー・スコット、半端ねえ」
「ブレードランナー」が日本でロードショー公開されたのは、1982年7月のことでした。当時私は大学生。公開の週末か、その翌週ぐらいに歌舞伎町のミラノ座に見に行った記憶があります。
そして今日。初公開から38年経った2020年、改めて本編を見直してみると、この映画のクオリティには驚きと興奮を覚えずにいられません。
「強力わかもと」や「うどん屋」をはじめ、画面のあちこちに登場する日本語や日本の意匠は、映画の舞台である2019年のロサンゼルスが、多くの日本企業に浸食されているであろう未来のメタファーであることが分かります。ヘッドフォンを着けてこの映画を鑑賞すると、街のガヤにも日本語の会話がたくさん聞き取れます。
街(あるいは国)の大部分をかつての敵国に浸食され、酸性雨が降りしきるLAの街……それはアメリカ人にとって、悪夢のような未来。そう、ディストピア以外の何物でもありません。
さらにこの映画は、フィルムノワールでもあります。それは、私がまだ生まれる前にフランスやアメリカで一世を風靡した、一連の暗くて重苦しい犯罪映画群……。
リドリー・スコットは、ディストピアを舞台にしたフィルムノワールを作っていたのです。1982年のハリウッドで。しかも、主要な登場キャラはヒューマノイド(レプリカント)。
この事実に改めて気がついた2020年の私は、もう、クラクラするしかありませんでした。「リドリー・スコット、半端ねえ」
そして、ミラノ座で見た時の絶望感も併せて思い出しました。「ちっとも面白くねえよ」ってヤツを。それもそのはず、「スター・ウォーズ」見て興奮している80年代の普通の大学生に、ディストピアもフィルムノワールも分かるわけがない。ようやく、あの時の絶望感から解放されました。そして改めて「よくぞこんな暗い映画にスタジオがOK出したもんだ」と、今さらながらに思うわけです。
ちなみにリドリー・スコットは、「ブレードランナー」の後、有名なアップルのCM「1984」の監督に抜てきされます。一世を風靡する者は、一般客を置き去りにして前に進むんですね。
ここでは、映画の内容に詳しくふれるつもりはありません。だけど最後にひと言だけ言いたい。今の時代に本作を初めて見る人の僥倖は、「ブレードランナー」を見た後に「ブレードランナー 2049」を続けて見ることができるということ。なんてうらやましい。その幸せを、しっかり味わっていただきたいと思います。
(駒井尚文)