ヒトラー 最期の12日間
劇場公開日:2005年7月9日
解説
独裁者アドルフ・ヒトラーの最期の12日間を克明に描いた実録ドラマ。ヨアヒム・フェストによる同名研究書、およびヒトラーの秘書を務めたトラウドゥル・ユンゲの証言と回想録「私はヒトラーの秘書だった」を基に、「es エス」のオリバー・ヒルシュビーゲル監督がメガホンをとった。1942年、ミュンヘン出身の若い女性トラウドゥルは、ナチス総統ヒトラーの個人秘書として働くことに。1945年4月20日、ベルリン。ヒトラーは迫りくるソ連軍の砲火から逃れるため、側近たちとともにドイツ首相官邸の地下要塞に避難する。その中にはトラウドゥルの姿もあった。誰もがドイツの敗戦を確信していたが、もはやヒトラーは客観的な判断能力を失いつつあった。「ベルリン・天使の詩」の名優ブルーノ・ガンツがヒトラー役を熱演。トラウドゥル役に「トンネル」のアレクサンドラ・マリア・ララ。
2004年製作/155分/ドイツ
原題:Der Untergang
配給:ギャガ
スタッフ・キャスト
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ヒトラーが自決するまでの最後の12日間を描いた作品。
ナチスドイツの中枢で働く人々が戦況の劣勢によって焦燥や盲信、未来への展望が絶望によって染まっていく様子が見て取れる。
ナチスドイツは非道な行いをしたが、「ただ悪として存在した」としてはいけないと私は思う。
独裁者。
差別主義者。
優生思想。
戦勝国が作り上げた「正しさ」によって単純化してしまうことに危機感を覚える。
彼らも同じ血の通った人間であり、大切なもののために考え決断をした人々。
そして、それを支持した人々もいる。
彼らの決断を現代を安穏と生きる私が現代の価値観で論じることにはとても抵抗を覚える。
敗軍の幹部の妻子がどのように扱われるのか。
自分の命一つの覚悟ならできる。
しかし、愛する人の苦渋に満ちた人生を憂えばこそ。
そして薬を飲ませ、食卓で手榴弾のピンを抜く。
ナチスドイツを、ヒトラーを悪と断じて単純化しがちだが、同じ血の通った人間であることを思い出させてくれた。
2023年3月26日
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ウクライナを思い、かつての(もしくは現在の)日本を思う。主人公の秘書は、(なかなか)覚醒できなかったすずさん、といった趣か。
2022年10月27日
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この戦争をこの角度から観たのは初めて。当然だが、どの国のどの立場の人も、決して好きで戦っているわけではないのが、実に切ない。
戦争の悲劇が女性や子供にもおよぶのは、もう言葉にならない。
戦争の無い世の中を切に願う。
2022年10月18日
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○作品全体
ヒトラーの描き方が独特な作品だ。
ナチスドイツの終わりの時期に焦点を当てることで、快進撃の根幹にいたヒトラーの姿は一抹も感じさせない。「カリスマ性」とか「煽動力」といった、ヒトラーを語るうえでよく出る単語からはほど遠い姿が印象的だ。
構成やセリフから「悪夢」という単語が浮かんだ。
ドイツという国そのものが「悪夢」の真っ只中である12日間だが、ファーストシーンが真夜中で、ラストシーンが夜明けである本作の構成そのものも「悪夢」を想起させる。ユンゲが地下へと潜って行くのも悪夢という眠りの淵へと向かって行くかのようだ。そしてラストシーンでユンゲが語る「目を見開いていれば…」という言葉が、瞳を閉じて見続けている悪夢の世界を印象付ける。
そして悪夢だと感じているのはドイツ国民だけではない。親愛なる国土を蹂躙され、なすすべもなく喚くも状況が変わらないヒトラーも悪夢の中を過ごしている。「偉大な総統」だった頃こそが夢であったかのようなヒトラーの姿は、作中では癇癪持ちの疲れ切った老人でしかない。時折ユンゲたちに見せる優しい表情が、むしろその悲哀を助長させる。
夢破れ、夢から醒めた老人という部分にスポットをあてていることが、「最期」の無情さを最大限に感じさせていた。ヒトラーが総統でなく、ただの老人になってしまったことがナチスドイツの「最期」で、その描き方はベルリンの大戦禍とは裏腹に、穏やかな老衰死のような、なだらかな死のように描いていたのがまた印象的であった。
○カメラワークとか
・地下施設の映し方が上手だった。狭苦しい環境のはずだけど、ヒトラーからすると心許せる人物が少ない場所。時折ガランとした空間を映すことでヒトラーの空虚に接近する。
・最初のヒトラー激怒シーン。怒る直前、メガネをゆっくりと外すのはシンプルにカッコよかった。怒ってからヒトラーの背中をなめて、奥に立つ将軍たちを映す。意見の決定的な乖離が際立つカメラ位置だった。